マリー・フォン・ヴュルテンベルク (1816-1887)
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マリー・フォン・ヴュルテンベルク Marie von Württemberg | |
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ナイペルク伯爵夫人マリー、1875年頃 | |
出生 |
1816年10月30日 ヴュルテンベルク王国、シュトゥットガルト |
死去 |
1887年1月4日(70歳没) ヴュルテンベルク王国、シュトゥットガルト |
埋葬 | ヴュルテンベルク王国、シュトゥットガルト、ヴュルテンベルク霊廟 |
配偶者 | アルフレート・フォン・ナイペルク |
家名 | ヴュルテンベルク家 |
父親 | ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世 |
母親 | エカテリーナ・パヴロヴナ |
マリー・フリーデリケ・シャルロッテ・フォン・ヴュルテンベルク(Marie Friederike Charlotte Prinzessin von Württemberg, 1816年10月30日 - 1887年1月4日)は、ドイツ・ヴュルテンベルク王国の王族。ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世と、その2番目の妻でロシア皇帝パーヴェル1世の娘であるエカテリーナ・パヴロヴナの間の第1子、長女[1]。ヴュルテンベルク王女(Prinzessin von Württemberg)、結婚によりナイペルク伯爵夫人(Gräfin von Neipperg)の称号を有した。
1840年3月19日にシュトゥットガルトにおいて、ヴュルテンベルク王国のシュタンデスヘル家門の1つ、ナイペルク伯爵家の家長アルフレート・フォン・ナイペルク(Alfred von Neipperg)と結婚した。アルフレートは、父アダム(パルマ女公マリア・ルイーザの2度目の夫)が最初の妻との間にもうけた長男であった。夫は最初の妻ヨゼフィーナ(Josefina Grisoni)と死別しており、この結婚は再婚であった。伯爵夫妻の間には子供が無く、ナイペルク家の家督は夫の弟エルヴィン(Erwin von Neipperg)が相続した。
脚注
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “Marie Frederica Charlotte Prinzessin von Württemberg”. 4 March 2012閲覧。