マリー・エリーザベト・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプ
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マリー・エリーザベト Marie Elisabeth | |
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ホルシュタイン=ゴットルプ家 | |
出生 |
1634年6月6日 神聖ローマ帝国 シュレースヴィヒ公国、ゴットルプ城 |
死去 |
1665年6月17日(31歳没) 神聖ローマ帝国 ヘッセン=ダルムシュタット方伯領、ダルムシュタット |
配偶者 | ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ6世 |
子女 | 一覧参照 |
父親 | フレゼリク3世 |
母親 | マリー・エリーザベト・フォン・ザクセン |
マリー・エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ(ドイツ語: Marie Elisabeth von Schleswig-Holstein-Gottorf, 1634年6月6日 - 1665年6月17日)は、ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ6世の妃。
生涯
[編集]マリー・エリーザベトはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公フレゼリク3世と、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世の娘マリー・エリーザベトの間の娘である。
マリー・エリーザベトは、1649年の誕生日にルートヴィヒ6世と婚約し、翌1650年11月24日にゴットルプ城において結婚した。この結婚式の際に、ヘッセンで最後の剣舞がロラーの祭りで行われた。
ルートヴィヒ6世の父ゲオルク2世は、ルートヴィヒ6世を結婚の翌年の1651年より国政に参画させ、1661年にルートヴィヒ6世は方伯位を継承した。マリー・エリーザベトの妹スウェーデン王妃ヘートヴィヒ・エレオノーラを通して、ルートヴィヒ6世はスウェーデンと広範な政治的連携を築いた。マリー・エリーザベトは1665年に出産時に死去し、ルートヴィヒ6世は深く喪に服した。ルートヴィヒ6世は亡き妻を偲んで多くの詩を書いた。
子女
[編集]マリー・エリーザベトは以下の8人の子女を生んだ。
- マグダレーナ・ジビュラ(1652年 - 1712年) - ヴュルテンベルク公ヴィルヘルム・ルートヴィヒ妃
- ゾフィー・エレオノーレ(1653年)
- ゲオルク(1654年 - 1655年)
- マリー・エリーザベト(1656年 - 1715年) - ザクセン=レムヒルト公ハインリヒ妃
- アウグステ・マルガレーテ(1657年 - 1674年)
- ルートヴィヒ7世(1658年 - 1678年) - ヘッセン=ダルムシュタット方伯
- フリードリヒ(1659年 - 1676年)
- ゾフィー・マリー(1661年 - 1712年) - ザクセン=アイゼンベルク公クリスティアン妃
参考文献
[編集]- Heinrich Zehfu: Alterthümlichkeiten der Residenzstadt Darmstadt p. 60
- Zeitschrift für deutsche Kulturgeschichte p. 345
- Georg Friedrich Teuthorn: Ausführliche Geschichte der Hessen p. 582
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、マリー・エリーザベト・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプに関するカテゴリがあります。