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マリンテニスパーク・北村

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マリンテニスパーク・北村
地図
施設情報
所在地 大阪府大阪市大正区北村3-3-70
位置 北緯34度38分57秒 東経135度27分52秒 / 北緯34.6491813度 東経135.4643383度 / 34.6491813; 135.4643383
開場 1991年4月27日
運用者 ダンロップテニススクール(2019年3月まで)
使用チーム、大会
第10回全国専門学校テニス選手権大会
平成27年度全国高等学校総合体育大会
第52回国民体育大会
2001年東アジア競技大会
2003年全日本ソフトテニス選手権大会
第18回全日本シングルスソフトテニス選手権大会
収容人員
観覧客400名収容(センターコート)

マリンテニスパーク・北村(マリンテニスパークきたむら)は、大阪府大阪市大正区にある庭球場である。同市内では最大の面積を有するテニス競技施設となっており、しばしばテニスおよびソフトテニスの大会会場となっている。

施設

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大阪市内で最大のテニス場であり、敷地面積は約37,700平方メートル (405,800 sq ft) である[1]。施設内には砂入り人工芝[2]テニスコート25面が存在し、そのうち16面にはナイター設備が用意されている[1]。また、センターコート(1面)には400名が収容可能な観覧席が設置されている[2]。25面中、センターコートを含めた16面の施工は住友ゴム工業が手掛けている[3]

本施設はそのほか、売店・レストラン[2]・141台収容可能な駐車場を備えている[4]。施設内には約2万本の樹木が植樹されており[5]、施設周辺にはジョギングロード・遊歩道・広場などが整備されている[1]。年間の利用者数は約12万人とされている[6][7]

著名な大会の開催歴として、テニスでは2010年の第10回全国専門学校テニス選手権大会[8]2015年の全国高等学校総合体育大会で用いられた[9]。ソフトテニスでは1997年の第52回国民体育大会秋季大会[10]2001年東アジア競技大会[11]、2003年の全日本ソフトテニス選手権大会[12]、2011年の第18回全日本シングルスソフトテニス選手権大会で使用された[13]

沿革

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本施設は大阪市が費用14億円を負担し[5]、区画整理事業に伴って空いた市有地に建設された[6]。1991年にクラブハウスの建物を完成させ[4]、同年4月27日に開場した[1]。「マリンテニスパーク・北村」という施設名称は日本全国からの公募により集められた1021個の案から選出された「なにわ・マリン・テニス・パーク」を基に1991年1月30日に決定され、案が採用された人物や入賞者5名に対し賞金の贈呈も行われた[14]。開場以降は大阪市が年間約3000万円弱で市都市建設技術協会に貸付け、管理を任せていた[6]。運営・企画を受託されていたのは住友ゴム工業系列のダンロップテニスであった[3]。1997年には放送室棟の施工を完了させた[4]

しかし、2006年1月12日に大阪市が発表した行財政改革計画案で[15]区画整理時に生じた借金返済のための財源として[7]マリンテニスパーク・北村を2007年度中に売却し、民間へ運営委託を行うことが検討され[15]、これに対し大正区民からは反発の声が上がり陳情書が市に提出されるに至った[6]。のちの2008年には施設利用者数が多く存続の声があったことを受けて市が売却案を撤回し[7]、運営・管理者の公募を行うことで施設の存続を図る方針を表明した[16]。2011年6月からは施設の管理および運営を株式会社ダンロップテニススクールが請け負ったが[17](前身名称はワコーテニス[18])、2019年3月末にてその賃貸借契約が満了する予定となっている[1]

イベント

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2015年にはプロテニス選手である錦織圭の等身大フィギュアが施設内に設置され、大会に出場する選手達からの人気を集めた[19]

営業・アクセス

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年末年始に当たる12月30日より1月2日までを休業日としている[2]。住所は大阪市大正区北村3丁目3番70号で、大阪シティバスの新千歳バス停より徒歩2分もしくは大正区役所バス停より徒歩9分の位置にある[20]

脚注

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  1. ^ a b c d e “報道発表資料 マリンテニスパーク・北村の賃貸による管理運営事業者を募集します”. 大阪市. (2018年10月1日). オリジナルの2019年1月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190102112132/http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/toshiseibi/0000447554.html 2019年1月2日閲覧。 
  2. ^ a b c d マリンテニスパーク・北村”. みおつくしスポーツネット. 大阪市スポーツ総合情報センター. 2019年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  3. ^ a b 「ダンロップテニス、大阪市から受託のテニス場オープン。」『日経流通新聞』1991年4月30日、3面。2019年5月22日閲覧。
  4. ^ a b c マリンテニスパーク・北村 管理運営者選定条件付一般競争入札 実施要領” (PDF). 大阪市都市整備局企画部区画整理課 拠点開発事業グループ (2018年10月). 2019年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  5. ^ a b 「大阪・大正内港「船の“墓場”」 放置船急増 少年非行の温床に 景観は台無し」『毎日新聞 大阪夕刊』1991年8月12日、8面。2019年5月22日閲覧。
  6. ^ a b c d 井上直樹「大阪市のテニス場売却:大正区民ら「やめて」、市に4000人分署名提出 /大阪」『毎日新聞 地方版/大阪』2006年10月26日、27面。2019年5月22日閲覧。
  7. ^ a b c 「テニス場の売却撤回 大阪市 /大阪府」『朝日新聞 朝刊』2008年3月5日、22面。2019年5月23日閲覧。
  8. ^ 第10回全国専門学校テニス選手権”. 東京都専門学校テニス連盟 (2010年10月29日). 2019年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  9. ^ “インハイ M、Kが日本一”. tennis365.net (フュービック). (2015年8月9日). オリジナルの2015年8月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150810212412/http://news.tennis365.net/news/today/201508/105758.html 2019年1月2日閲覧。 
  10. ^ 第52回大会(平成9年・1997年開催)”. 日本スポーツ協会. 2018年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  11. ^ LIFE LONG SPORTS Vol.6” (pdf). なみはやスポーツネット. p. 4. 2016年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  12. ^ ソフトテニスマガジン 2003年10月27日発売号”. 富士山マガジンサービス. 2014年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  13. ^ ソフトテニス スケジュール&試合結果”. 西日本電信電話. 2013年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  14. ^ 「「マリンテニスパーク・北村」 海辺のテニス場の愛称決定 大阪」『朝日新聞 朝刊』1991年1月31日。2019年5月22日閲覧。
  15. ^ a b 「大阪市:行財政改革計画案 要旨」『毎日新聞 大阪朝刊』2006年1月13日、23面。2019年5月22日閲覧。
  16. ^ 「大阪市議会:代表質問 「職員1万人削減、将来的に可能」平松市長が見解 /大阪」『毎日新聞 地方版/大阪』2008年3月5日、25面。2019年5月22日閲覧。
  17. ^ 会社概要”. ダンロップテニススクール. 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  18. ^ “集い、習い、競い、楽しめる『ダンロップ「テニスパーク」プロジェクト』が4月より始動”. THE TENNIS DIARY (WOWOW). (2014年3月4日). オリジナルの2019年1月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190102111234/https://www.thetennisdaily.jp/news/contents/items-and-contents/contents/20140304_0006140.php 2019年1月2日閲覧。 
  19. ^ 「等身大エア・ケイ フィギュア人気=大阪」『読売新聞 大阪朝刊』2015年8月6日、32面。2019年5月23日閲覧。
  20. ^ アクセス”. ダンロップテニススクール. 2019年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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