マリヤ・ロルニカイテ
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マリヤ・ロルニカイテ Marija Rolnikaitė | |
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誕生 |
マーシャ・ロルニク 1927年7月21日 リトアニア クライペダ |
死没 |
2016年4月7日(88歳没) ロシア サンクトペテルブルク |
職業 | 作家、翻訳家 |
国籍 |
リトアニア ソビエト連邦 ロシア |
ウィキポータル 文学 |
マリヤ・ロルニカイテ(Marija Rolnikaitė、1927年7月21日 - 2016年4月7日)は、ユダヤ系リトアニア人の作家で翻訳家。「リトアニアのアンネ・フランク」とも呼ばれる[1][2]。ロシア語ではマリヤ・ロリニカイテ (Мария Рольникайте) と表記する。
経歴
[編集]1927年7月21日、リトアニアのクライペダ(メーメル)にて生まれる。出生時の名前はマーシャ・ロルニク (מאַשע ראָלניק; Mascha Rolnik; Maša Rolnik)。その後は父の出生地であるプルンゲに在住[1]。母語はイディッシュ語で、日記もイディッシュ語で記した[1]。リトアニア語は学校で学んだが、他方でロシア語は誰からも教わらなかった[1]。
1941年から1943年まで家族とともにヴィリニュス・ゲットーに収容される[1][2][3]。その後43年から1945年までラトビアのカイザーヴァルト強制収容所やポーランドのシュトゥットホーフ強制収容所に収容される[2]。収容中に日記を書くことが趣味になった[1]。
戦後、リトアニアに戻り、リトアニア国立交響楽団にて勤務[3]。ソ連の作家の作品をリトアニア語に翻訳するなどした[2]。1955年、モスクワのマクシム・ゴーリキー文学大学を修了[2]。1963年、ゲットーおよび強制収容所に関する著書『私は語らなければならない』を出版[2][3]。同書はその後18言語に翻訳された[2][3]。1965年からレニングラード(現サンクトペテルブルク)に在住[2][3]。1974年、短編を出版。
著書
[編集]- マリア・ロリニカイテ 著、飯田規和 訳『マーシャの手記——もう一人のアンネ』合同出版〈パピルス双書〉、1966年。ASIN B000JAAIT4。
- マーシャ・ロリニカイテ 著、内村剛介 訳『マーシャの日記——私は語らずにはいられない』雪書房、1966年。ASIN B000JA8NGE。
- マーシャ・ロリニカイテ 著、内村剛介 訳『マーシャの日記―もうひとりのアンネ・フランクの記録』集英社〈集英社文庫——コバルトシリーズ〉、1979年。ASIN B000J8FL5C。
- マリア・ロリニカイテ 著、清水陽子 訳『長い沈黙』未來社、1990年。ISBN 978-4624610210。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Milda Augulytė (2016年3月20日). “Marija Rolnikaitė: „Aš juk supratau, kad mus sušaudys“”. lrytas.lt 2016年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Jūratė Laučiūtė (2016年4月20日). “Turiu papasakoti...”. Lietuvos žinios 2016年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f “Užgeso Lietuvos žydų kilmės rašytojos M. Rolnikaitės gyvybė”. Kauno diena. (2016年4月8日) 2016年7月30日閲覧。