マリアナ・デ・アウストリア
表示
マリアナ・デ・アウストリア Mariana de Austria | |
---|---|
スペイン王妃 | |
『王妃マリアナ・デ・アウストリア』(1652-1653年、ディエゴ・ベラスケス画) | |
在位 | 1649年10月7日 - 1665年9月17日 |
別称号 |
ナポリ王妃 シチリア王妃 |
出生 |
1634年12月23日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
死去 |
1696年5月16日(61歳没) スペイン帝国、マドリード |
埋葬 | スペイン帝国、エル・エスコリアル修道院 |
結婚 | 1649年10月7日 ナバルカルネロ |
配偶者 | スペイン王フェリペ4世 |
子女 |
マルガリータ・テレサ カルロス2世ほか |
家名 | オーストリア・ハプスブルク家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世 |
母親 | マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン |
宗教 | ローマ・カトリック |
マリアナ・デ・アウストリア (Mariana de Austria, 1634年12月23日 - 1696年5月16日)は、スペイン王フェリペ4世の2度目の王妃。マリア・アナ(Maria Ana)ともいう。ドイツ語名ではマリア・アンナ・フォン・エスターライヒ(Maria Anna von Österreich)と呼ばれた。
生涯
[編集]神聖ローマ皇帝フェルディナント3世と皇后マリア・アンナの長女としてウィーンで生まれた。兄にローマ王フェルディナント4世、弟に皇帝レオポルト1世がいる。
子供の頃からフェリペ4世の一人息子バルタサール・カルロスと婚約していたが、彼が1646年に早世すると、男子の後継者が必要になったフェリペと、1649年に14歳で結婚した。マリアナの母マリア・アンナはフェリペ4世の妹であるという関係から伯父と姪の近親婚になる。
2人の間に生まれた子で成人したのは、長女マルガリータ・テレサと三男カルロス(のちのカルロス2世)の2人である。
1665年にフェリペが亡くなると、3歳のカルロス王の摂政として1675年まで国政をみたが、実際は亡くなる年まで影響力を保持した。カルロスは10歳になるまで抱かれて運ばれるほど、歩行も会話も不自由だったためである。マリアナはカルロスの在位期間の大半の摂政だったが、1678年にフアン・ホセ・デ・アウストリアの宮廷革命で一時追放された(彼女が重用したフェルナンド・デ・バレンズエラに不満をつのらせたため)。翌年フアンが死んだため、宮廷へ戻った。
子女
[編集]5子が生まれたが、成人したのは1男1女であった。
- マルガリータ・マリア・テレサ(1651年 - 1673年) - 父方の従兄、母方の叔父である神聖ローマ皇帝レオポルト1世の皇后
- マリア・アンブロシア(1655年)
- フェリペ・プロスペロ(1657年 - 1661年) - アストゥリアス公
- トマス・カルロス(1658年 - 1659年)
- カルロス(1661年 - 1700年) - スペイン・ハプスブルク家最後の国王カルロス2世