マツダ防府工場
マツダ防府工場(マツダほうふこうじょう)は、山口県防府市にあるマツダの自動車製造工場。
防府市西浦にある自動車組立工場の西浦地区(にしのうらちく)と、防府市浜方にあるトランスミッション工場の中関地区(なかのせきちく)の2地区に分かれる。
本社併設の工場(広島県安芸郡府中町及び広島市南区)の操業を支援するために開設された、マツダとして日本国内第2の製造拠点である。
概要
[編集]防府市南部の、いわゆる「三田尻六ヶ所浜」(古浜、中浜、鶴浜、大浜、江泊浜、西浦浜)の塩田で行われ、古くから長州藩の財政を支え、一時は国内第2位の規模を誇っていた製塩事業(防長三白参照)が1959年(昭和34年)の塩業整備臨時措置法成立を機に全廃され[1]、塩田の跡地利用として防府市の誘致により1973年(昭和48年)にマツダの進出が決定。工場用地売買が行われたが、オイルショックの影響もあり、実際に操業が開始されたのは1981年(昭和56年)のことであった[2]。
マツダの防府進出により、1985年における山口・防府地区の製造品出荷額は、1980年の3倍以上となり、以後も防府市や山口市南部に関連企業の進出が相次いだことで地域経済に大きく貢献している[3]。
西浦地区
[編集]西浦地区には2つの主要工場がある。敷地面積は約80万平方メートル[4]。2013年8月に2工場合計の累計生産台数が1千万台を達成した(操業開始から30年11カ月)[5]。
第1工場
[編集]1982年9月に本格操業を開始した。通称「H1」。
第2工場
[編集]増築により1992年2月に操業開始。通称「H2」。電動車などの生産に対応できるよう2021年にリニューアルが行われている[7]。
- 以前の製品
中関地区
[編集]中関地区は西浦地区より早い1981年12月に稼働開始。537,000 平方メートルの広さを有する。オートマチックトランスミッションおよびマニュアルトランスミッションを製造しており、マツダの全生産台数の83%分の変速機を生産する[9]。
2019年に変速機の生産台数が 4千万台に達した。
脚注
[編集]- ^ “三田尻塩田の歴史”. 防府市おもてなし観光課. 2022年10月16日閲覧。
- ^ 友澤和夫「山口県防府市における自動車組立工場の立地と関連工場の展開」『東北地理』第42巻、東北地理学会、1990年9月1日、168-170頁、doi:10.5190/tga1948.42.168、2022年10月16日閲覧。
- ^ 能野昌剛(財団法人山口経済研究所) (6 2002). “企業誘致の現状と課題”. 第14回 研究集会報告書 (広島大学大学院社会科学研究科附属地域経済システム研究センター): 166-179 .
- ^ 松田タクヤ (2018年3月19日). “マツダの防府工場にメディアが初潜入! 編集者が見たマツダの革新的なモノづくり現場【マツダ体験会レポート 前編】”. MOTA. 株式会社MOTA. 2022年10月16日閲覧。
- ^ 『マツダ、防府工場の累計生産台数1,000万台を達成』(プレスリリース)マツダ株式会社、2013年8月27日 。2022年10月16日閲覧。
- ^ “Mazda Begins CX-3 Production at Hofu Plant”. Mazda (2016年12月16日). 2018年5月24日閲覧。
- ^ “マツダ防府第2工場 リニューアル 電動車生産にも対応”. 山口新聞. みなと山口合同新聞社. (2021年10月7日) 2022年10月16日閲覧。
- ^ “Mazda Starts Production of the CX-5 at Hofu Plant”. Mazda (2017年10月17日). 2019年1月24日閲覧。
- ^ 高根英幸 (2015年11月9日). “マツダの変速機工場に躍進の原動力を見た”. 日経XTECH. 日経BP. 2022年10月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- 日本での活動 - マツダ
- 操業開始から40年。もう一つのマツダ車のふるさと、“防府工場“をご紹介します - マツダ公式ブログ 2021年12月13日
座標: 北緯34度01分13.5秒 東経131度30分57.1秒 / 北緯34.020417度 東経131.515861度