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マット・ワトソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マット・ワトソン
Matt Watson
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ランカスター
生年月日 (1978-09-05) 1978年9月5日(46歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1999年 MLBドラフト16巡目
初出場 MLB / 2003年9月12日
NPB / 2006年6月2日
KBO / 2009年4月4日
最終出場 NPB / 2007年10月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マシュー・カイル・ワトソンMatthew Kyle Watson , 1978年9月5日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

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千葉入団前

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1999年のMLBドラフト16巡目でモントリオール・エクスポズに入団。2003年ニューヨーク・メッツでメジャー昇格。

2006年3Aサクラメント打率.317、5本塁打の好成績を残した。

ロッテ時代

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同年5月に千葉ロッテマリーンズが獲得を発表[1]。5月23日に入団会見が行われ、背番号は19に決まった[2]

2006年のロッテには既に投手2人(ケビン・バーンジャスティン・ミラー)・野手3人(ベニーマット・フランコヴァル・パスクチ)の5人の外国人がいたため、ワトソンの入団によって支配下外国人選手が6人になっていた。

6月2日に初めて一軍登録され、「2番・右翼手」でスタメン出場。来日第2打席で2点本塁打を放った。6月7日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、8回表に平井正史から決勝本塁打を打った[3]。6月10日の対読売ジャイアンツ戦(千葉マリンスタジアム)では9回裏二死一塁の場面で代打で出場し、林昌範からサヨナラ二塁打を放った[4]。7月15日の対西武ライオンズ戦(千葉マリンスタジアム)でも、9回裏二死一塁の場面で松坂大輔から右中間へサヨナラ二塁打を打った[5]

日本野球への高い適応力を見せたものの、シーズン終盤ではパワー不足で成績が伸び悩み、9月19日にパスクチとともに一軍登録抹消。12月時点では契約保留選手となっていた。

2007年1月5日、ロッテと年俸40万ドル+出来高払いの1年契約で残留が決定[6]。4月3日に右脇腹痛の福浦和也に代わり一軍昇格した[7]が、この年は打率が2割をわずかに超える程度の不振で、ライトか指名打者でしか使えないこともありサブローの復帰後は二軍暮らしが長く続いた。オフの11月9日に戦力外通告を受けて退団が決定し、11月16日付で自由契約公示された。

斗山時代

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2009年1月6日、韓国プロ野球・斗山ベアーズと契約した。

同年4月9日のハンファ・イーグルス戦で許維新から本塁打を放ったが、それ以降は低打率のため4月中に2軍へ降格すると、その後1軍へ昇格できず5月24日に退団となった。

斗山退団後

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6月にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだが、不振のまま7月に放出される。

その後、彼は地元・ランカスター独立リーグアトランティックリーグのチーム・ランカスター・バーンストーマーズと契約を結んだ。

2010年オークランド・アスレチックスとマイナー契約。5年ぶりにメジャーリーグ公式戦出場を果たした。その後、再び、ランカスター・バーンストーマーズと契約した。

選手としての特徴・人物

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選球眼がよく、ボールをよく見たバッティングをする。は弱くはなく、ライトの守備も無難。但し、レフトの守備は著しく落ちる(なお、マリーンズではセンターを守った事は無い)。

ニックネーム(応援歌での呼び名など)は「ワティー」(ファーストネームが同じ“マシュー”で「マティー」と呼ばれたマット・フランコとの混同を避けるため)。応援歌の元曲はBEAT CRUSADERSの「FEEL」。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2003 NYM 15 25 23 0 4 2 0 0 6 2 0 0 1 0 1 0 0 5 1 .174 .208 .261 .469
2005 OAK 19 50 48 4 9 3 0 0 12 5 0 0 0 0 2 0 0 4 1 .188 .220 .250 .470
2006 ロッテ 64 213 186 14 51 12 0 5 78 20 0 1 0 1 25 1 1 37 4 .274 .362 .419 .781
2007 51 150 138 12 28 7 0 4 47 13 2 0 0 0 12 0 0 25 9 .203 .267 .341 .607
2009 斗山 10 42 38 3 7 1 0 2 14 6 0 0 0 0 4 1 0 5 1 .184 .262 .368 .630
2010 OAK 12 33 30 2 6 2 0 1 11 4 0 0 0 0 3 0 0 5 0 .200 .273 .367 .639
MLB:3年 46 108 101 6 19 7 0 1 29 11 0 0 1 0 6 0 0 14 2 .188 .234 .287 .521
NPB:2年 115 363 324 26 79 19 0 9 125 33 2 1 0 1 37 1 1 62 13 .244 .322 .386 .708
KBO:1年 10 42 38 3 7 1 0 2 14 6 0 0 0 0 4 1 0 5 1 .184 .262 .368 .630

背番号

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  • 50(2003年)
  • 12(2005年)
  • 19(2006年 - 2007年)
  • 25(2009年)
  • 26(2010年)

脚注

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出典

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  1. ^ 「ロッテに新外国人 ワトソン外野手獲得を発表/プロ野球」『読売新聞』(読売新聞社)2006年5月19日、東京朝刊 スポB 22頁。
  2. ^ 「ロッテのワトソンが入団会見/プロ野球」『読売新聞』(読売新聞社)2006年5月24日、東京朝刊 スポB 18頁。
  3. ^ 「ロッテの成瀬、13奪三振で2勝目/ロッテ2―1中日」『読売新聞』(読売新聞社)2006年6月8日、東京朝刊 スポA 23頁。
  4. ^ 「Gミスミス5連敗/ロッテ3―2巨人」『読売新聞』(読売新聞社)2006年6月11日、東京朝刊 スポB 28頁。
  5. ^ 「レオ、サヨナラ負け “敢投”松坂サバサバ/ロッテ1―0西武」『読売新聞』(読売新聞社)2006年7月16日、東京朝刊 スポB 22頁。
  6. ^ 「ロッテ、ワトソンと1年契約/プロ野球」『読売新聞』(読売新聞社)2007年1月6日、大阪朝刊 スポC 18頁。
  7. ^ 「プロ野球登録・抹消=4月3日」『読売新聞』(読売新聞社)2007年4月4日、東京朝刊 スポB 20頁。

関連項目

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外部リンク

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