マッシモ・アゴスティーニ
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名前 | ||||||
本名 | マッシモ・アゴスティーニ | |||||
愛称 | アゴ[1] | |||||
ラテン文字 | Massimo Agostini | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1964年1月20日(60歳) | |||||
出身地 | リミニ | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW(CF) | |||||
ユース | ||||||
1981-1983 | チェゼーナ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1983-1986 | チェゼーナ | 78 | (19) | |||
1986-1988 | ローマ | 40 | (6) | |||
1988-1990 | チェゼーナ | 59 | (22) | |||
1990-1991 | ミラン | 15 | (2) | |||
1991-1992 | パルマ | 30 | (4) | |||
1992-1994 | アンコーナ | 67 | (30) | |||
1994-1996 | ナポリ | 62 | (13) | |||
1996-1999 | チェゼーナ | 78 | (26) | |||
1999 | ラヴェンナ | 10 | (0) | |||
1999-2000 | スペツィア | 31 | (4) | |||
2001-2002 | ティヴォリ | 8 | (2) | |||
2002-2003 | フォルリ | 22 | (3) | |||
2003-2004 | チェゼナティコ | |||||
2006-2008 | ムラタ | |||||
代表歴 | ||||||
イタリア ビーチサッカー | 48 | (55) | ||||
監督歴 | ||||||
2004-2007 | イタリア ビーチサッカー | |||||
2008-2010 | ムラタ | |||||
2009-2010 | サンマリノ U-21 | |||||
2012-2013 | リヴィエラ・ディ・ロマーニャ | |||||
2017 | イタリア ビーチサッカー | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マッシモ・アゴスティーニ(イタリア語: Massimo Agostini、1964年1月20日 - )は、イタリアの元サッカー選手、元ビーチサッカー選手、現サッカー指導者。元ビーチサッカーイタリア代表。選手時代のポジションはFW。
クラブ歴
[編集]ACチェゼーナの下部組織出身で、1983年に選手となった。1986年にASローマに移籍したが出場機会を得られず[1]、1988年にチェゼーナに復帰、2シーズン連続でセリエA二桁ゴールを挙げる活躍を見せるも、ビチーニ監督が代表チームに召集することは無かったが[1]、この活躍から1990年にACミランとジョヴァンニ・トラパットーニが獲得を熱望したインテルからオファーが届いた[2]。1989年12月にミランと既に口頭合意していたことから、ミランへ移籍した[2]。リーグ開幕節のジェノア戦に途中出場、ファーストタッチで決勝ゴールを決めるデビューを飾った[2]。インターコンチネンタルカップとUEFAスーパーカップの二冠を達成するも、余り出場機会を得られなかった[1]。
1991年にパルマACに移籍したが、スカラ監督との関係がうまくいかず、途中出場することが多かった[2]。翌年にアタランタへのレンタル移籍が決定的であったが、最終的にレンタルでUSアンコーナ1905に移籍した[2]。個人としては33試合で12得点を決めたが、クラブは1年で降格した[2]。しかし翌年に自身はセリエB得点王に輝いた。1994年にパルマが2シーズンの契約延長をしたが、チームはマルコ・ブランカを獲得したこともあり、1994-95シーズン開幕直前にSSCナポリに2年契約+1年の契約延長オプションで移籍した[2]。このシーズン、リーグ戦9得点を挙げ、チームは7位に入った[2]。しかし、1995-96シーズン、怪我を抱えながらのプレーを強いられ、4ゴールを挙げるに留まり、シーズン終了後、チェゼーナに再復帰した[2]。
1999年にラヴェンナFCに移籍すると、下部リーグのクラブを渡り歩いた[3][4][5]。2005年にはカンピオナート・サンマリネーゼのSSムラタに移籍し、ここでサッカー選手を引退した。ムラタ在籍時代にはビーチサッカー選手としてもプレーしており、イタリア代表として活躍した[6]。
指導歴
[編集]ビーチサッカーイタリア代表監督として指導者の道を歩み始め、サッカー選手引退後はSSムラタの監督に就任した。ムラタでは初年度にリーグとカップを両方制した[7][8]。その功績からU-21サンマリノ代表の監督も兼任した[9] 。
参考文献
[編集]- ^ a b c d 週刊サッカーダイジェスト 1996年1/31日号 創刊300号記念特大号 p.21-23
- ^ a b c d e f g h i “Massimo Agostini, 'Il Condor' del goal: dal grande Milan al beach soccer”. GOAL (2023年1月20日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “Massimo Agostini” (Italian). www.tuttocalciatori.net. 29 April 2015閲覧。
- ^ “ESCLUSIVA: A tu per tu con Massimo Agostini: "Da Van Basten c’era solo da imparare"” (Italian). www.stadiosport.it (23 December 2013). 29 April 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。29 April 2015閲覧。
- ^ “Forever Aquile: Massimo "Condor" Agostini” (Italian). www.sportmain.it (23 December 2014). 29 April 2015閲覧。
- ^ “Lo Staff” (Italian). Beach Soccer L.N.D.. 12 February 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。26 February 2009閲覧。
- ^ “CALCIO – Campionato interno: il Murata esonera Pasquali. Al suo posto Massimo Agostini” (Italian). San Marino Notizie. (14 November 2007) 26 February 2009閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “Murata complete double again” (Italian). UEFA.com. (3 June 2008) 26 February 2009閲覧。
- ^ “UFFICIALE: Massimo Agostini alla guida dell'under 21 di San Marino” (Italian). TuttoMercatoWeb. (26 February 2009) 26 February 2009閲覧。
外部リンク
[編集]- マッシモ・アゴスティーニ - FootballDatabase.eu
- マッシモ・アゴスティーニ - Transfermarkt.comによる選手データ
- マッシモ・アゴスティーニ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- マッシモ・アゴスティーニ - UEFA