マダム (雑誌)
マダム | |
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Madam | |
ジャンル | 月刊婦人雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 | 鎌倉書房 |
発行人 | 長谷川映太郎 |
刊行期間 | 1964年6月(第1号) - 1994年12月(第382号) |
姉妹誌 |
『別冊マダム』 『かわいい子ども服』 『Paku paku』 『Sense up』 |
『マダム』(英語: Madam)は、かつて存在した日本の雑誌である[1][2]。東京都新宿区の出版社鎌倉書房が編集出版した[1][2]。1964年(昭和39年)6月創刊、1994年(平成6年)12月休刊[1][2]。いわゆる「戦後四大婦人雑誌」に比して、もっとも後発であった[3]。
略歴・概要
[編集]長谷川映太郎が1941年(昭和16年)に創立した「株式会社鎌倉書房」が、1964年(昭和39年)6月に創刊した婦人雑誌である[1][2]。「戦前の四大婦人雑誌」とされた『主婦の友』『婦人公論』『婦人画報』『婦人倶楽部』、「戦後の四大婦人雑誌」として第二次世界大戦後に創刊された『主婦と生活』『婦人生活』に比して、20年近く後発であった[3][4]。
1968年(昭和43年)秋、姉妹誌として季刊『別冊マダム』が創刊される[5]。
1975年(昭和50年)1月号から12月号まで、年間を通して伊藤緋紗子が表紙モデルを務めた。
1981年(昭和56年)夏、『別冊マダム』真夏号(通巻第56号)を最終号となるが、『別冊ドレスメーキング』と合併して同誌を継続、新たに『ドレスメーキング・マダムのスタイルブック』を創刊する[5]。したがって『ドレスメーキング・マダムのスタイルブック』秋冬号は、通巻第57号とされた[6]。
1994年(平成6年)12月、第382号が発売されたが、その後、版元の鎌倉書房が破産したため、同号が最終号となった[1][2]。1995年(平成7年)1月23日、長谷川映太郎が満83歳で死去、鎌倉書房は解散となった[7]。同社の雑誌で営業権を他社が引き継いだのは『ジュニー』(扶桑社が継承)のみで、『マダム』を含めてすべてが休刊となった。『ドレスメーキング・マダムのスタイルブック』は前年1994年9月の通巻第136号が最終号になった[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『〈主婦〉の誕生 - 婦人雑誌と女性たちの近代』、木村涼子、吉川弘文館、2010年8月 ISBN 4642037969
関連項目
[編集]- 主婦の友 - 主婦の友社(1917年 - 2008年)
- 婦人倶楽部 - 講談社(1920年 - 1988年)
- 婦人画報 - ハースト婦人画報社(1905年 - )
- 婦人之友 - 婦人之友社(1908年 - )
- 婦人公論 - 中央公論新社(1916年 - )
- 主婦と生活 - 主婦と生活社(1946年 - 1993年)
- 婦人生活 - 婦人生活社(1947年5月 - 1986年)
- ミセス (雑誌) - 文化出版局(文化服装学院、1961年 - )
- 家庭画報 - 世界文化社(1958年 - )
- 女性 (雑誌) - プラトン社(1922年 - 1928年)
- 婦人サロン - 文藝春秋(1929年 - 1932年)
- 婦女界 - 婦女界社(1910年 - 1948年)