マイク・ノックス
マイク・ノックス | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
ナックス ヌックス ノックス マイク・ノックス |
本名 | マイケル・ショーン・ヘッティンガ |
ニックネーム |
ザ・デザート・デストロイヤー マウンテナー モンスタナー |
身長 | 198cm |
体重 | 133kg |
誕生日 | 1978年7月17日(46歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンバーナーディーノ |
所属 | TNA |
トレーナー | スティーブ・イスラス |
デビュー | 1998年 |
マイケル・ヘッティンガ(Michael Shawn Hettinga、1978年7月17日 - )はアメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州サンバーナーディーノ出身[1]。
来歴
[編集]1998年にプロレスラーとしてのキャリアを開始。
2000年、WWFの傘下団体であったUPW(Ultimate Pro Wrestling)に入団し、マーシャル・ノックスと兄弟タッグであるアーバン・アウトローズを結成して活動。
2001年9月8日、日本のインディー団体であるZERO-ONEに参戦する為、初来日を果たす。マイク・クック・ハートとタッグを組んでザ・プレデター & トム・ハワードと対戦するがレフェリーストップによる敗戦となった。
2003年、WWEへの出場機会を掴み、HEATとVerocityの前座番組に登場してショーン・オヘアやスコット・スタイナーと対戦するもジョバー的な役割に終わった。
同年10月、再びZERO-ONEに参戦する為来日。13日にザ・プレデターとZERO-ONE USヘビー級王座を賭けて対戦するが敗戦し、王座を獲得する事ができなかった。
2005年、WWEとディベロップメント契約を交わし入団。傘下団体であるDSWにてデリック・ナイカークとザ・エリートなるタッグチームを結成して活動した。
2006年6月、WWEに昇格。ヒールとしてECWに登場する。またエクストリーム・エクスポーゼの一員のケリー・ケリーのアングル上の恋人となり、当時露出狂キャラであったケリー・ケリーが服を脱ごうとするたびにそれを阻止し、観客からブーイングを浴びていた。その後恋人のケリー・ケリーがCMパンクに言い寄ったことによりパンクに嫉妬し抗争を開始する。そしてケリーとは12月にリング上で別れを告げ破局する。
2007年、出場機会が減少してDSWへと降格。DSWがWWEとの関係を解消後、FCWへと移籍してトレーニングを続ける。9月には再びECWに登場し、CMパンクなどと勝負を重ねる。
2008年11月にはRAWへと移籍する。RAWではレイ・ミステリオなどと抗争する。
2009年の追加ドラフトによりSmackDown!へと移籍する。SmackDown!に移籍後は一時期フィンレーと抗争していたが基本的にジョバー的な役割での登場が多くなり、2010年4月22日にWWEから解雇された。
WWE解雇後はハードコア・ヒップホップ・デュオであるICPが主宰しているJCW(Juggalo Championship Wrestling)、トミー・ドリーマーが主宰しているHOH(House of Hardcore)といったインディー団体に参戦。
2012年5月、TNAのダークマッチに出場し、ディーボンと対戦。そして10月には正式に契約し入団。覆面ユニットであるエイシズ・アンド・エイツ(Aces & Eights)の一員として活動するも2013年11月に出場機会を失った。
2014年4月、田舎のサーカスユニットであるザ・メナジェリーを結成。5月8日、iMPACT Wrestlingにてカザリアンを相手に勝利した。
2015年4月9日、IGFに参戦する事が発表[2]。同月11日、IGF3(INOKI GENOME FIGHT 3)にて王彬と対戦するが卍固めを決められ敗戦した[3]。5月5日、GENOME33にて橋本大地と対戦して勝利した[4]。
得意技
[編集]- スウィンギング・リバースSTO
獲得タイトル
[編集]- DSW
- DSWタッグチーム王座 : 1回
- w / デリック・ナイカーク
- IZW(Impact Zone Wrestling)
- IZWヘビー級王座 : 2回
- IZWタッグチーム王座 : 1回
- w / デリック・ナイカーク
- APWA(American Pro Wrestling Alliance)
- APWAハードコアカップ : 2012年度優勝
- NWA
- NWA世界タッグ王座:1回
- w / トレバー・マードック
入場曲
[編集]- Death Grip