マイク・ネスミス
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マイク・ネスミス | |
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ザ・モンキーズ全盛期時代(1966年) | |
基本情報 | |
出生名 | Robert Michael Nesmith |
生誕 | 1942年12月30日 |
死没 | 2021年12月10日(78歳没) |
ジャンル | ロック、ポップ、フォーク、カントリー、フィクション、ポップロック |
職業 | 著述家、作詞家、ミュージシャン、俳優、 |
担当楽器 | ボーカル、アコースティックギター、エレクトリック・ギター、ピアノ、電子オルガン、シンセサイザー、ハーモニカ、ペダススチールギター |
活動期間 | 1965年 - 2021年 |
共同作業者 | ザ・モンキーズ |
マイク・ネスミス(Mike Nesmith, 1942年12月30日 - 2021年12月10日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、作詞家、俳優、小説家、実業家、慈善家。テキサス州ヒューストン出身。ロックバンド・ザ・モンキーズのメンバーとして知られる[1][2]。
人物
[編集]母親は修正液の発明者で実業家のベティ・ネスミス(1924~80)。
在籍したザ・モンキーズでは、ギターとヴォーカルを担当。在籍時に書いた「悲しきロック・ビート(Different Drum)」が1967年にストーン・ポニーズ(リード・ボーカルはリンダ・ロンシュタット)にカバーされ、彼らのバージョンは翌1968年に全米13位を記録した。
モンキーズ解散後は自身のカントリー・バンドであるファースト・ナショナル・バンドで活躍、「シルバー・ムーン」等のヒットがある。1981年にミュージック・ビデオのカテゴリーで『Elephant Parts』がグラミー賞を受賞した。
クリスチャン・サイエンスの信者である[3]。
2021年12月10日、心不全のためカリフォルニア州の自宅で亡くなった[4]。同年11月のロサンゼルスでのミッキー・ドレンツとのツアー公演が最後のバンド演奏となった[5]。
出演
[編集]映画
[編集]- ハイド・アンド・シーク(1996年)クレジットなし
脚注
[編集]- ^ “「モンキーズ」ギター、ネスミスさん死去78歳 映画監督など幅広く活躍”. 日刊スポーツ (2021年12月11日). 2021年12月11日閲覧。
- ^ Deming, Mark. The Monkees | Biography & History - オールミュージック. 2020年11月16日閲覧。
- ^ Marinucci, Steve (2018年5月31日). “Mike Nesmith Reflects on His Weed-Fueled, Post-Monkees Project First National Band & New Memoir”. Billboard 2021年7月28日閲覧。
- ^ “マイク・ネスミス氏死去 米バンド「モンキーズ」メンバー”. 時事ドットコムニュース. (2021年12月11日) 2021年12月11日閲覧。
- ^ “モンキーズのM・ネスミスさんが死去 78歳”. CNN.co.jp. (2021年12月11日) 2021年12月11日閲覧。