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ポール・ディコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・ディコフ
名前
ラテン文字 Paul Dickov
基本情報
国籍 スコットランドの旗 スコットランド
生年月日 (1972-11-01) 1972年11月1日(52歳)
出身地 スコットランドの旗 スコットランド リヴィングストン
身長 165cm
選手情報
ポジション FW
ユース
リヴィングストン・ユナイテッド
1989-1990 アーセナル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1996 イングランドの旗 アーセナル 22 (4)
1993-1994 イングランドの旗 ルートン・タウン (loan) 15 (1)
1994 イングランドの旗 ブライトン (loan) 8 (5)
1996-2002 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 158 (35)
2002-2004 イングランドの旗 レスター・シティ 89 (32)
2004-2006 イングランドの旗 ブラックバーン・ローヴァーズ 50 (14)
2006-2008 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 16 (0)
2007 イングランドの旗 クリスタル・パレス (loan) 28 (8)
2008 イングランドの旗 ブラックプール (loan) 11 (6)
2008-2010 イングランドの旗 レスター・シティ 21 (2)
2009 イングランドの旗 ダービー・カウンティ (loan) 16 (2)
2010 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド 4 (0)
2010-2011 イングランドの旗 オールダム・アスレティック 2 (0)
通算 421 (101)
代表歴
1992-1993 スコットランドの旗 スコットランド U-21 4 (0)
2000-2004 スコットランドの旗 スコットランド 10 (1)
監督歴
2010-2013 イングランドの旗 オールダム・アスレティック
2013-2015 イングランドの旗 ドンカスター・ローヴァーズ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ポール・ディコフ(Paul Dickov、1972年11月1日 - )は、スコットランドの元サッカー選手、サッカー指導者。

アーセナルFCでキャリアをスタートさせ、1994年にUEFAカップウィナーズカップで優勝したが、トップチームでは定着できず、ルートン・タウンFCブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCにレンタル移籍した時期もあった。1996年にマンチェスター・シティFCに移籍するまで、2回の昇格と2回の降格を経験した。2002年にレスター・シティFCに移籍し2シーズン過ごした後、2004年にブラックバーン・ローヴァーズFCに移籍した。2006年にマンチェスター・シティFCに復帰し、その後はクリスタル・パレスFCブラックプールFC、レスター・シティ、ダービー・カウンティFCリーズ・ユナイテッドFCでプレーした。2010年にはオールダム・アスレティックAFCに選手兼任監督として所属した。2013年にドンカスター・ローヴァーズFCの監督に就任した。

代表としては10試合に出場し、1得点を記録した。

クラブ歴

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アーセナル

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リヴィングストンで生まれたディコフは、9歳頃からサッカーを始め、地元のリヴィングストン・ユナイテッドのU-11チームでプレーを始めた。U-13チームでプレーしていたときに、アーセナルFCのスカウト、マルコム・マクレガーの目に留まった。ディコフは1989年にアーセナルの下部組織に入団し、1990年にトップチームに昇格した。イアン・ライトといった主力選手がいたこともあり、ジョージ・グラハム監督の下ではディコフの出場機会は限られていた。1994年にUEFAカップウィナーズカップで優勝したときには控えメンバーだった。1993年にルートン・タウンFC、1994年にブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCにレンタル移籍した。

マンチェスター・シティ

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1996年8月22日、75万~100万ポンドの移籍金でマンチェスター・シティFCに移籍した[1]アラン・ボール監督の下ではこれが最後の契約となった。8月24日のストーク・シティFC戦でデビューを飾った。ボールはこの試合を最後に退任した。次節のチャールトン・アスレティックFC戦では初の先発出場を果たした。ディコフはクラブの混迷期に加入したこともあり、最初のシーズンでは5人の異なる監督(うち暫定監督が2人)の下でプレーした。エイサ・ハートフォードスティーヴ・コッペルフィル・ニール監督の下では先発メンバーに名を連ねたが、フランク・クラーク監督の下では出場機会が減り、最終的には25試合5得点でシーズンを終えた。1997-98シーズン開幕時にはトップチームに出場しなかったが、ウーヴェ・レスラーリー・ブラッドベリーが負傷したため、先発に復帰した。ディコフは9ゴールを挙げてチームの得点王としてシーズンを終えたが、クラブは22位に終わり、クラブ史上初めて3部に降格した。

1998-99シーズンはショーン・ゴーターと前線でコンビを組み、リンカーン・シティ戦でのハットトリックを含む公式戦16ゴールを記録した。シーズン後半の春に調子を上げることから、ジョー・ロイル監督は「クロッカス」というあだ名を付けた。プレーオフ準決勝ファーストレグのウィガン・アスレティック戦では重要な同点ゴールを決めた。このゴールはスプリングフィールド・パークで決められた最後のゴールでもあった。このシーズンで16番目のゴールは特に決定的なもので、ジリンガムとの昇格プレーオフ決勝での後半アディショナルタイムに決めた同点ゴールだった。このゴールで延長戦に持ち込まれ、最終的にはマンチェスター・シティが勝利して2部昇格を決めた。このゴールは、2005年に投票された「シティ史上最高のゴール」に選ばれた。1999-20シーズンもトップチームでの地位を維持した。1999年9月26日に顔面に負傷を負い、歯を失ったにもかかわらず、リーグ戦の最初の15試合はすべて先発出場した[2]。しかし、10月27日のイプスウィッチ・タウン戦で膝の靱帯を負傷し、先発出場は途切れた。負傷中にロバート・テイラーが加入したため、シーズン後半の出場のうち、ほとんどは途中出場であった。シーズン最終戦のブラックバーン・ローヴァーズ戦では途中出場から4点目のゴールを決め、プレミアリーグへの昇格を勝ち取った。

2000-01シーズンにシティにプレミアリーグに復帰したときには、ジョージ・ウェアパウロ・ワンチョペが加入したため、出場機会が限られると思われたが、ディコフはチーム内での地位を維持した。そのパフォーマンスがスコットランド代表クレイグ・ブラウン監督の目に留まり、代表に初めて招集された。

シティは2001-02シーズンに再び1部に降格し、ジョー・ロイルの後任としてケビン・キーガンが監督に就任した。チーム内にはパウロ・ワンチョペ、ショーン・ゴーターやダレン・ハッカビー等のストライカーが在籍していたため、出場機会が限られているとディコフは感じていた。2002年2月22日、レスター・シティFCに移籍金15万ポンドで移籍した[1]

レスター・シティ

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ダービー・カウンティ戦でレスターでのデビューを果たしたが試合は0-3で敗れた。レスターでの初ゴールは6試合目の出場となったブラックバーン・ローヴァーズ戦で、2ゴールを挙げ、クラブとしては4ヶ月ぶりの勝利となった。しかし、そのシーズン、ディコフはあと2ゴールしか決められなかった。レスターは最下位に終わり降格が決まった。2002-03シーズンにはキャリアハイとなる20ゴールを記録した。レスターは2部でポーツマスに次ぐ準優勝となり、トップリーグに復帰した。

2003-04シーズンには13ゴールを記録した。その後レスターは1部に降格し、レスターからの契約延長の申し出を断り、ブラックバーン・ローヴァーズに移籍した。

2003-04シーズンの最終節、古巣のアーセナルと対戦した。アーセナルはプレストン・ノースエンドに次ぎ、最上位リーグを無敗で終えたチームとして歴史に名を刻もうとしていた。前半25分にディコフが先制ゴールを決めたが、アーセナルが逆転して2-1で勝利し、偉業を達成した。

ブラックバーン・ローヴァーズ

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2004年8月14日のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦で、後半開始から途中出場しデビューした。次節のサウサンプトン戦で初得点を挙げた。2004-05シーズンのほとんどの試合に出場したが、膝の負傷によりシーズン最後の数週間を欠場した。リーグ戦で10ゴールを挙げてこのシーズンを終えた。2005-06シーズンは、マーク・ヒューズ監督がクレイグ・ベラミーシェフキ・クキと契約したため、出場機会を確保するのが難しくなった。ウェストハム・ユナイテッド戦でレッドカードを受けたこともあり、シーズン最初の月のほとんどを欠場した。秋には再び試合に出場したが、シーズンが進むにつれて先発出場は減っていった。2006年夏に契約満了に伴いクラブを退団した[3]

マンチェスター・シティ復帰

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2006年5月26日、マンチェスター・シティに再加入し、2年契約を結んだ[4]。2006-07シーズンの初戦となるチェルシー戦に途中出場したが、0-3で敗れた。その後、1-0で勝利した古巣アーセナル戦を含む次の3試合に先発出場した。

ディコフはシーズン中に背中、膝、つま先など複数の負傷に苦しみ、つま先の負傷では4か月間戦列を離れた。2006-07シーズンは9試合に先発出場し、7試合途中出場したが、1ゴールも記録できなかった。2007年5月、引退後に指導者となることに関心があると発表した。

2007年8月31日、3か月のレンタルでクリスタル・パレスFCに移籍した。2008年1月31日にはサイモン・グレイソン監督率いるブラックプールFCに5月までのレンタルで加入した。ブラックプールFCでのデビュー戦となった古巣レスター・シティ戦では70分に途中出場し、89分に決勝ゴールを決めた。このゴールは2006年1月2日以来の得点となった。ブラックプールでの最初の5試合で5ゴールを決め、3月4日にはPFAによる2月の最優秀選手に選ばれた。レンタルが終わるまでに、ディコフは11試合に出場して6ゴールを記録していた。レンタル終了後マンチェスター・シティに戻り、シーズン終了後に放出された。

レスター・シティ復帰

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レスター・シティからのオファーを一度拒否し、トロントFCとブラックプールFCからのオファーを熟考した後、2008年8月7日にレスターに再加入することを決め、2年契約を結んだ[5]。2008年8月9日のミルトン・キーンズ・ドンズ戦で移籍後初出場し、リーグカップフラム戦で初ゴールを決めた。リーグ戦合計20試合に出場し、2ゴールを決め、レスターは2008-09シーズンのリーグ1に優勝しシーズンを終えた。

2009年9月28日、ダービー・カウンティFCに翌年1月までレンタル移籍した。ディコフの粘り強いプレースタイルはダービーファンの支持を獲得した。2009年10月24日のクイーンズ・パーク・レンジャーズ戦でダービーでの初ゴールを決めた。レスターに戻った後、2010年2月1日に契約を解除され、新たなクラブを探した。

リーズ・ユナイテッド

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2010年3月3日、リーズ・ユナイテッドFCとシーズン終了までの契約を結んだ。当初はMLSトロントFCがディコフと契約すると思われていたが、最終的にはリーズと契約することとなった。ディコフは今シーズン既に2つのクラブでプレーしているため、リーズはディコフと契約するためにFIFAから特別な許可を得る必要があった。ブレントフォード戦で控えメンバーに名を連ね、終盤に途中出場してリーズでのデビューを果たした。ミルウォール戦では負傷したジャーメイン・ベックフォードに代わって先発出場した。2009-10シーズン、リーズは2位でフィニッシュし、チャンピオンシップへの昇格を果たしたが、ディコフの契約は更新されなかった。

代表歴

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1989 FIFA U-16世界選手権でスコットランド代表として出場し、サウジアラビアとの決勝でゴールを決めたが、PK戦では失敗し優勝を逃した[6]。2000年10月7日、2002 FIFAワールドカップ予選サンマリノ戦に途中出場し、A代表デビューを果たした。この年、クロアチア戦とオーストラリア戦でも途中出場した。クラブでの出場機会が限られていたため、その後2年間代表に選ばれなかった。レスターで好調だった2002年9月に再び代表に招集され、フェロー諸島戦で先発出場を果たした。しかし、不慣れなウィングでの出場となり、ハーフタイムで交代となった[7]。翌年のUEFA EURO 2004予選のフェロー諸島戦で代表初得点を挙げた。代表最後の出場は2004年のノルウェー戦であった。スコットランド代表としては合計10試合に出場し、1得点を記録した。

監督歴

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オールダム・アスレティック

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2010年6月9日、デイブ・ペニー監督の退任に伴い、オールダム・アスレティックAFC選手兼任監督として1年契約を結んだ[8]。選手としてはオールダムが最後のクラブになると思われていた。オールダムでの監督としての初陣はライバルのトレンメア・ローヴァーズ戦で、デール・スティーブンスが2得点を挙げて2-1で勝利した。選手としては2010年9月4日のブリストル・ローヴァーズ戦に後半途中出場し、オールダムでのデビューとなった[9]

ディコフは若手を中心としたチームを作ることを決め、2009-10シーズンの年間最優秀選手でキャプテンのショーン・グレーガンとチーム得点王のパヴェル・アボットを放出するという、物議を醸す決断を下した。新年を迎えたときには、ホームでは無敗で9位につけていたが、シーズン後半の成績は安定せず、最終的には17位でシーズンを終えた。2011年5月6日、ディコフはシーズン最終戦でシーズン2度目の出場をし、その後は監督に専念するために現役生活を終えると表明した。翌日、現役最後の試合となったミルトン・キーンズ・ドンズ戦は後半32分から途中出場した[10]

2011-12シーズンは前シーズンより1つ順位を上げ、リーグ1を16位で終えた。

2013年1月27日には、FAカップ4回戦のリヴァプール戦で3-2の衝撃的な勝利を導いた[11]が、リーグでの成績不振を理由に2月3日に辞任した[12]

ドンカスター・ローヴァーズ

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2013年5月20日、2012-13シーズンのリーグ1を制しチャンピオンシップに昇格したドンカスター・ローヴァーズFCの監督に就任した[13]。ドンカスターは最終節でレスター・シティに0-1で敗れ、わずか1シーズンでリーグ1に降格した[14]。2015年9月8日、成績不振を理由にドンカスターの監督を解任された[15]

私生活

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既婚者であり、3人の子供がいる。家族はチェシャーに住んでいる。ディコフという姓はブルガリア人の祖父に由来している。

スペインのラ・マンガでのトレーニングキャンプ中の2004年3月、レスター・シティのチームメイトであるキース・ギレスピーフランク・シンクレアとともに、性的暴行の疑いがかけられた。その後、法医学検査により申し立てが虚偽であることが判明し、3人全員が無罪となった[16]。ディコフは後にこのことをサッカー選手としてのキャリアで「最も暗い時期」と表現した[17]

個人成績

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クラブ

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所属クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ その他 合計
所属リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アーセナル 1992-93 プレミアリーグ 3 2 0 0 0 0 3 2
1993-94 プレミアリーグ 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0
1994-95 プレミアリーグ 9 0 0 0 4 3 0 0 13 3
1995-96 プレミアリーグ 7 1 0 0 0 0 0 0 7 1
合計 20 3 0 0 4 3 0 0 24 6
ルートン・タウン 1993-94 ディヴィジョン1 15 1 15 1
ブライトン 1993-94 ディヴィジョン2 8 5 8 5
マンチェスター・シティ 1996-97 ディヴィジョン1 29 5 1 0 2 0 32 5
1997-98 ディヴィジョン1 30 9 2 0 1 0 33 9
1998-99 ディヴィジョン2 35 10 4 1 4 2 3 2 46 15
1999-2000 ディヴィジョン1 34 5 1 0 2 1 37 6
2000-01 プレミアリーグ 21 4 1 0 3 1 25 5
2001-02 ディヴィジョン1 7 0 0 0 1 1 8 1
合計 156 33 9 1 13 5 3 2 181 41
レスター・シティ 2001-02 プレミアリーグ 12 4 12 4
2002-03 ディヴィジョン1 42 17 2 2 2 1 46 20
2003-04 プレミアリーグ 35 11 2 1 2 1 39 13
合計 89 32 4 3 4 2 97 37
ブラックバーン・ローヴァーズ 2004-05 プレミアリーグ 29 9 6 1 0 0 39 10
2005-06 プレミアリーグ 21 5 1 0 4 2 26 7
合計 50 14 7 1 4 2 65 17
マンチェスター・シティ 2006-07 プレミアリーグ 16 0 1 0 1 0 18 0
2007-08 プレミアリーグ 1 0 1 0
合計 16 0 1 0 2 0 19 0
クリスタル・パレス 2007-08 チャンピオンシップ 9 0 9 0
ブラックプール 2007-08 チャンピオンシップ 11 6 11 6
レスター・シティ 2008-09 リーグ1 20 2 3 0 2 1 1 0 26 3
2009-10 チャンピオンシップ 1 0 1 0 2 0
合計 21 2 3 0 3 1 1 0 28 3
ダービー・カウンティ 2009-10 チャンピオンシップ 16 2 16 2
リーズ・ユナイテッド 2009-10 リーグ1 4 0 4 0
オールダム・アスレティック 2010-11 リーグ1 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0
キャリア通算 417 100 24 5 30 13 4 2 475 120

代表

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スコットランド代表
出場 得点
2000 3 0
2001 0 0
2002 1 0
2003 3 1
2004 3 0
通算 10 1

監督成績

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2015年9月8日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
オールダム・アスレティック 2010年6月9日 2013年2月3日 141 43 37 61 030.50
ドンカスター・ローヴァーズ 2013年5月20日 2015年9月8日 113 34 30 49 030.09
合計 254 77 67 110 030.31

タイトル

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クラブ

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アーセナル
レスター・シティ

個人

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脚注

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  1. ^ a b James, Gary (2006). Manchester City – The Complete Record. Derby: Breedon. ISBN 1-85983-512-0 p218.
  2. ^ “Paul's painful encounters”. Manchester City F.C. Match programme. (27 November 1999) 
  3. ^ “Blackburn release striker Dickov”. BBC Sport. (20 May 2006). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/b/blackburn_rovers/5000330.stm 2023年7月13日閲覧。 
  4. ^ “Man City snap up striker Dickov”. BBC Sport. (26 May 2006). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/m/man_city/5020550.stm 2023年7月14日閲覧。 
  5. ^ “Dickov returns to Leicester City”. BBC Sport. (8 August 2008). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/l/leicester_city/7548718.stm 2023年7月14日閲覧。 
  6. ^ How Scotland almost won a World Cup at Hampden in 1989”. BBC Sport (24 June 2020). 2023年7月14日閲覧。
  7. ^ Lamont, Alasdair (7 September 2002). “Things can only get better”. BBC Sport. http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/internationals/scotland/2243434.stm 2023年7月14日閲覧。 
  8. ^ “Oldham name former Manchester City striker Paul Dickov as player-manager”. The Guardian. Press Association (London). (9 June 2010). https://www.theguardian.com/football/2010/jun/09/oldham-paul-dickov-league-one 2023年7月14日閲覧。 
  9. ^ “Oldham 1–1 Bristol Rovers”. BBC News. (4 September 2010). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/eng_div_2/8964065.stm 
  10. ^ “Oldham 1 – 2 MK Dons”. BBC Sport (British Broadcasting Corporation). (7 May 2011). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/eng_div_2/13247264.stm 2023年7月14日閲覧。 
  11. ^ “Oldham 3–2 Liverpool”. BBC Sport. (27 January 2013). https://www.bbc.co.uk/sport/0/football/21106938 
  12. ^ “Paul Dickov: Oldham Athletic manager steps aside”. BBC Sport. (3 February 2013). https://www.bbc.co.uk/sport/football/21313686 2023年7月14日閲覧。 
  13. ^ “Paul Dickov: Doncaster Rovers appoint former Oldham boss”. BBC Sport. (20 May 2013). https://www.bbc.co.uk/sport/football/22596813 2023年7月14日閲覧。 
  14. ^ “Leicester City 1-0 Doncaster Rovers” (英語). BBC Sport. (3 May 2014). https://www.bbc.co.uk/sport/football/27167657 2023年7月14日閲覧。 
  15. ^ “Paul Dickov: Doncaster sack manager after poor start to season”. BBC Sport. (8 September 2015). https://www.bbc.co.uk/sport/football/34188161 2023年7月14日閲覧。 
  16. ^ “Leicester trio cleared of assault”. CNN. (20 May 2004). https://edition.cnn.com/2004/SPORT/football/05/20/england.leicester/index.html 
  17. ^ “Dickov speaks about La Manga case”. BBC Sport. (17 March 2009). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/l/leicester_city/7947839.stm 2023年7月14日閲覧。 

外部リンク

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