ポワティエ家
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ポワティエ家(フランス語:maison de Poitiers)は、9世紀以降フランスのポワトゥー伯およびアキテーヌ公として同地方を支配した貴族の家系。ラヌルフ家(Ramnulfides)ともいわれる。
歴史
[編集]当初の9〜10世紀にかけては、他家とアキテーヌ公位を争ったが、950年にギヨーム1世(公としては3世)がアキテーヌ公となって以降は、同家がアキテーヌ公位を世襲した。
12世紀に同家最後の女公アリエノールがイングランド王ヘンリー2世と結婚し、アキテーヌ公位はイングランド王家(プランタジネット朝)へと継承されることになり、のちに百年戦争においてアキテーヌの地をめぐってフランス王とイングランド王との間で争うこととなった。また、ギヨーム8世(公としては10世)の次男レーモンはアンティオキア女公コンスタンスと結婚し、子孫はアンティオキア公となった。
系図
[編集]ジェラール (c.795-841.6.25) オーヴェルニュ伯 | ロトルーデ? (フランク王ルートヴィヒ1世娘?) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラヌルフ1世 ポワトゥー伯 アキテーヌ公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラヌルフ2世 ポワトゥー伯 アキテーヌ公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(庶子) エブル・マンゼ ポワトゥー伯 アキテーヌ公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギヨーム1世(3世) ポワトゥー伯 アキテーヌ公 | アデール (Gerloc) (ノルマンディー公ロロ娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エマ (ブロワ伯ティボー1世娘) | ギヨーム2世(4世) アキテーヌ公 ポワトゥー伯 | アデライード | ユーグ・カペー フランス王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギヨーム3世(5世) アキテーヌ公 ポワトゥー伯 | アニェス (ブルゴーニュ伯オット=ギヨーム娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギヨーム4世(6世) アキテーヌ公 ポワトゥー伯 | ウード アキテーヌ公 ポワトゥー伯 ガスコーニュ公 | ギヨーム5世(7世) アキテーヌ公 ポワトゥー伯 | ギヨーム6世(8世) アキテーヌ公 ポワトゥー伯 | アニェス | ハインリヒ3世 神聖ローマ皇帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ピエトロ1世 サヴォイア伯 | アニェス | ギヨーム7世(9世) アキテーヌ公 ポワトゥー伯 | フィリッパ トゥールーズ女伯 (トゥールーズ伯ギヨーム4世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アエノール (シャテルロー子爵エメリー1世娘) | ギヨーム8世(10世) アキテーヌ公 ポワトゥー伯 | レーモン アンティオキア公 | コンスタンス アンティオキア女公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギヨーム・エグレ | ルイ7世 フランス王 | アリエノール アキテーヌ女公 ポワトゥー女伯 | ヘンリー2世 イングランド王 | ペトロニーユ | ラウル1世 ヴェルマンドワ伯 | アンティオキア公家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プランタジネット朝 (イングランド王家) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
- 桐生操『王妃アリエノール・ダキテーヌ―リチャード獅子王の母―』新書館、1988年