ボーボーアウン
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ボーボーアウン | |
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ボーボーアウン像(2018年撮影) | |
生地 | ビルマ王国 |
ボーボーアウン(ビルマ語: ဘိုးဘိုးအောင်)は、ミャンマーのウェイザーである。彼はもっとも著名なウェイザーのひとりであり、ボーミンガウンとともにミャンマーにおいて広く信仰を集めている[1]。
来歴
[編集]土佐桂子によれば、ボーボーアウンに関する現存する資料のうち、成立年代が確認できるもっとも古いものは、1890年頃の『ボーボーアウンの唄』である。シュエタインニュンの作詞である同曲は、ボーボーアウンが若いときのボードーパヤー王と出会い、後に再開するという内容の楽曲である。また、1904年にはシャルル・デュロワセルにより、修行僧ののウ・アウンがピイで様々な奇跡を起こして著名となり、ボードーパヤー王に連行されるものの、そこでも奇跡をおこし、彼を改心させるという物語が記録されている。土佐は、1890年代より「アウン」という名前の超能力者の物語は広く知られていたとしながら、現代ミャンマーで一般に知られているボーボーアウンの伝記を、書籍『ボーボーアウンとその修業(ビルマ語: Bò Bò Aung hnín Kyínzin)』を底本としながら、以下のようにまとめている[2]。
ボーボーアウンはボードーパヤー王と同時期の人間であり、幼少期にタウンドウィンジーの僧院に預けられた。僧院長はウェイザーの啓示をもとに秘法が記された折本を見つけ、輪廻から抜け出した[注釈 1]。その後、ボーボーアウンはこの折本を手にし、修行の中でさまざまな術を身につけていく。彼は各地を旅する中で、後のボードーパヤー王と出会う。彼らは後に出世したらお互いに取り立て合おうと約束した。ボーボーアウンは新たな折本を手に入れ、さらに強力なウェイザーとなるが、王となったボードーパヤーは彼の名声を恐れ、召喚したのち処刑しようとした。彼は秘術によって王を懲らしめ、改心させた。その後、ボーボーアウンは皇太子の息子である「転輪聖王」を謀殺から救った。また、ボーボーアウンは3代後のミンドン王の時代にも現れ、第五回仏典結集を助けた。王朝が滅びたあとのイギリス領時代にも彼はしばしば現れ、子どもをどこかに連れ去ったが、これは転輪聖王となる子どもを育てるためなのだという。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 土佐桂子『ビルマにおけるウェイザー信仰の研究』総合研究大学院大学博士論文、1995年。doi:10.11501/3106703。