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ホルヘ・パエス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホルヘ・パエス
基本情報
本名 ホルヘ・アドルフォ・フェブレス・パエス
通称 El Maromero
階級 スーパーフェザー級
身長 165cm
リーチ 173cm
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 (1965-10-27) 1965年10月27日(59歳)
出身地 バハ・カリフォルニア州メヒカリ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 98
勝ち 79
KO勝ち 51
敗け 14
引き分け 5
無効試合 0
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ホルヘ・パエス(Jorge Paez、1965年9月27日 - )は、メキシコ男性プロボクサーバハ・カリフォルニア州メヒカリ出身。元IBF世界フェザー級王者。元WBO世界フェザー級王者。フェザー級統一世界王者やIBFでは8度防衛する安定政権を築いた実績を持っている。2人の息子アズリエル・パエスとWBCシルバーインターナショナルスーパーウェルター級王者ホルヘ・パエス・ジュニアは共にプロボクサー。

来歴

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1984年11月16日、プロデビュー戦を行い3回TKO勝ちで白星でデビュー戦を白星で飾った。

1988年8月4日、4年かかって念願の世界初挑戦。故郷メヒカリのプラザ・デ・トロス・カラフィナで34戦全勝のIBF世界フェザー級王者カルビン・グローブと対戦し王者グローブがリードを広げる展開になるも、少しずつ追い上げて最終15回にはグローブから3度ダウンを奪いKO寸前まで追い詰めて判定になった。15回2-0の判定勝ちで王座獲得に成功した。

1戦ノンタイトル戦を挟んで1989年3月30日、カルビン・グローブとリマッチを行い11回1分2秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

1989年5月21日、アメリカデビュー戦をアリゾナ州フェニックスのベネチアン・メモリアル・コロシアムでルイ・エスピノサと対戦し、12回1-1の三者三様の引き分けに終わり2度目の防衛に成功した。

1989年8月6日、テキサス州エルパソのカウンティー・コロシアムでスティーブ・クルスと対戦し、12回3-0の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。

1989年9月16日、メキシコシティのプラザ・デ・トロスでホセ・マリオ・ロペスと対戦し2回1分27秒KO勝ちで4度目の防衛に成功した。

2戦ノンタイトル戦を挟んで1989年12月9日、ネバダ州リノのローラー・イベント・センターでルーペ・グティエレスと対戦し6回2分1秒TKO勝ちで5度目の防衛に成功した。

1990年2月4日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトンで2度対戦する好敵手になるトロイ・ドーシーと対戦し12回2-1の判定勝ちで6度目の防衛に成功した。1者が113-115とドーシーにスコアを付け、2者が114-113とわずか1点差とパエスに付ける接戦だった。

1990年4月7日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトンでWBO世界フェザー級王者ルイ・エスピノサと王座統一戦を行い12回2-1の判定勝ち。2者が115-113とパエスに付けるも、113-115とエスピノーサに付けるわずか2点差の接戦を制しIBF王座は7度目の防衛、WBO王座獲得に成功した。

1990年7月8日、トロイ・ドーシーと対戦し12回1-1の三者三様の引き分けに終わりIBF王座は8度目、WBO王座初防衛に成功した。

1990年9月22日、王座を保持したままカリフォルニア州サクラメントアルコ・アリーナでIBF世界スーパーフェザー級王者トニー・ロペスと対戦し、12回0-3の判定負けで2階級制覇に失敗した。

1990年にはWBO、1991年4月にはIBF世界フェザー級王座を返上。

1991年10月5日、リノのリノ・スパークス・コンベンションセンターでWBA・IBF・WBC世界ライト級王者パーネル・ウィテカーと対戦し12回0-3の判定負けでまたも2階級制覇に失敗した。

1992年11月6日、カリフォルニア州イングルウッドグレート・ウェスタン・フォーラムNABF北米ライト級王者で後のIBF世界ライト級王者ラファエル・ルエラスと対戦し、初回に2度ダウンを奪われストップ寸前まで追い詰められる。10回終了時ドクターストップによる棄権で王座獲得に失敗した。

1993年7月17日、シーザーズ・パレスでIBF世界ライト級王者フレディ・ペンデルトンと対戦し4回にダウンを奪われてペースを失うも12回0-3の判定負けで2階級制覇に失敗した。

1994年7月29日、MGMグランドジョバンニ・パリージの返上で空位になったWBO世界ライト級王座決定戦を後の世界6階級制覇王者オスカー・デ・ラ・ホーヤと対戦し悶絶KOを奪われ試合終了。2回39秒KO負けでまたも2階級制覇に失敗した。

1995年3月31日、後のスーパーフェザー級2冠王者ヘナロ・エルナンデスと対戦し8回ドクターストップで再起に失敗した。

1995年9月30日、シーザーズ・パレスでNABO北米スーパーフェザー級ホセ・ビダ・ラモスと対戦。前回の対戦は2か月前に5回2分49秒失格負けになる因縁の対戦になったが、12回0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。

1996年8月17日、WBCアメリカ大陸スーパーフェザー級王者ナーシソ・バレンズエラと対戦し3回KO勝ちで王座獲得に成功した。

1996年10月19日、ジュリアン・ウィーラーと対戦し12回0-3の判定負けで初防衛に失敗し王座から陥落した。

1997年1月13日、ジュリアン・ウィーラーとリマッチを行い12回3-0の判定勝ちで王座返り咲きに成功した。

1997年4月26日、ゲラルド・グレイと対戦し5回TKO勝ちで王座返り咲き後初防衛に成功した。

1997年8月2日、WBU世界スーパーフェザー級王者アンヘル・メンフレディと対戦し8回1分8秒TKO負けで王座獲得に失敗した。

1998年11月14日、IBAアメリカスーパーフェザー級王者ファン・ポロ・ペレスと対戦し2回2分51秒KO勝ちで王座獲得に成功した。

1999年10月16日、後のWBC世界ライト級王者でIBA世界スーパーフェザー級王者ホセ・ルイス・カスティージョと対戦し5回1分4秒KO負けで王座獲得に失敗した。

2002年2月22日、元IBF世界フェザー級王者で11度防衛した実績を持っているトム・ジョンソンと対戦し2回2分51秒TKO勝ちでジョンソンに引導を渡した。

2003年12月5日、スコット・マククラッケンと対戦し10回2-1の判定勝ちを最後に現役を引退した。

獲得タイトル

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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前王者
カルビン・グローブ
IBF世界フェザー級王者

1988年8月4日 - 1991年4月(返上)

空位
次タイトル獲得者
トロイ・ドーシー
前王者
ルイ・エスピノサ
WBO世界フェザー級王者

1990年4月7日 - 1990年(返上)

空位
次タイトル獲得者
マウリシオ・ステッカ