ホテルイーストジャパン
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ホテルイーストジャパン | |
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ホテル概要 | |
運営 | ホテルイーストジャパン |
所有者 | ホテルイーストジャパン |
前身 | ホテルビバリートム |
階数 | 1 - 10階 |
部屋数 | 57[1]室 |
開業 |
1973年(ホテルビバリートム) 1981年(ホテルイーストジャパン) |
閉業 | 2003年1月25日[2] |
所在地 |
〒053-0003 苫小牧市入船3-2-20[3] |
位置 | 北緯42度38分36.13秒 東経141度37分11.54秒 / 北緯42.6433694度 東経141.6198722度座標: 北緯42度38分36.13秒 東経141度37分11.54秒 / 北緯42.6433694度 東経141.6198722度 |
ホテルイーストジャパン(英:Hotel East Japan)は、かつて北海道苫小牧市に存在したホテル。
概要
[編集]1973年に岩倉組がホリデイ・インの技術提携によるフランチャイズ形式で「ホテルビバリートム」として苫小牧港入船埠頭の後背地6600平米の敷地に総工費4億円を投じて開業[4]。竹山実が設計を担当[5]、10階建て総面積4200平米[4]、円筒形の建物にドームをかぶせた形で[6]、最上階に港を一望するスカイラウンジを設けるなどユニークな構造とした[4]。
1976年には経営合理化のため子会社「ホテルビバリートム」に移管したが、本社の経営悪化に伴う不動産売却の対象となり売却[4]。1980年11月4日に東日本フェリーが苫小牧港のフェリー基地としての将来性を評価して子会社「ホテル・イーストジャパン」を設立、本ホテルを創業した岩倉組グループ等と提携し3億円の費用をかけ改装を実施[7]。1981年に「ホテル・イーストジャパン」に改称し5月から6月にかけ宴会・客室・レストランの順に段階的に営業を再開[4]。また1986年には北海道のホテルでは初の結婚式用チャペルも設置[6]。
その後1996年から利用者が減少[8]、建物の老朽化や低価格競争により業績が低迷[1]、独特の構造により改修工事が困難なことから[9]、2003年1月24日の宿泊と25日のレストラン営業をもって閉業[2]。同年春に解体が予定されたが[10]、苫小牧市内の不動産会社との売却交渉が折り合わず東日本フェリーの会社更生法申請もあり延期され2004年5月から解体に着手し会社を清算[8]。
跡地の一部には2018年に大東開発によりオフィスを中心とした複合ビル「入船クロスポートビル」が建設されている[11]。
施設
[編集]- 客室[3]
- シングルA(5室、和室)
- シングルB(25室)
- シングルB(6室)
- ダブル(5室)
- ツイン(17室)
- スイート(2室)
- 飲食店
- その他
関連項目
[編集]- 栗子国際スキー場 - 本ホテルと同じく東日本フェリーが保有した観光施設。
脚注
[編集]- ^ a b ホテルイーストジャパン来月25日で閉鎖 - 北海道新聞2002年12月5日夕刊
- ^ a b あす閉鎖ホテルイーストジャパン 名残惜しレストラン盛況 従業員再就職先未定が大半 - 北海道新聞2003年1月24日朝刊
- ^ a b c d e 新入会ホテル紹介 ホテルイーストジャパン -ホテルレビューNo.387(1982年8月 日本ホテル協会)
- ^ a b c d e 苫小牧市史追補編 642頁
- ^ 新建築 1974年1月号(新建築社)
- ^ a b c 経済くらしティータイム 高橋嘉昭さん ホテルイーストジャパン社長 - 北海道新聞1994年8月2日朝刊苫小牧日高版
- ^ 株式会社ホテル・イーストジャパン設立 - 社史 創業より二十年(東日本フェリー 1986年)131頁
- ^ a b 2004年5月13日 ホテルイーストジャパン解体へ - 苫小牧民報(Internet Archive)
- ^ イーストジャパン来月25日に閉鎖 集客競争耐えられず独特外観、改修も困難 - 北海道新聞2002年12月6日朝刊苫小牧日高版
- ^ 来月閉鎖のイーストジャパン建物は来春取り壊し - 北海道新聞2002年12月8日朝刊苫小牧日高版
- ^ 苫小牧西港大東開発の複合ビル全テナント未定来月完成 - 北海道新聞2018年12月14日朝刊苫小牧日高版
- ^ 味じまん やきそば レストランべが -北海道新聞2001年9月28日朝刊苫小牧日高版
- ^ 経済リポート会社見聞 ホテルイーストジャパン - 北海道新聞2002年1月9日朝刊苫小牧日高版
外部リンク
[編集]- グループ紹介 - 東日本フェリー(Internet Archive)