ペドロ・シモセ
ペドロ・シモセ Pedro Shimose | |
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誕生 |
Pedro Shimose Kawamura 1940年3月30日(84歳) ボリビア・ベニ県リベラルタ |
職業 | 作家、詩人、ジャーナリスト、作詞家、作曲家 |
言語 | スペイン語 |
国籍 | ボリビア |
代表作 | 『ぼくは書きたいのに出てくるのは泡ばかり』 |
主な受賞歴 | 『カサ・デ・ラス・アメリカス賞』、『ボリビア国民文化賞』 |
デビュー作 | 『亡命における三つのピアノ練習曲』 |
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ペドロ・シモセ・カワムラ(Pedro Shimose Kawamura、1940年3月30日 - )は、現代ボリビアにおける国民的詩人であり、ジャーナリスト、作詞家。
経歴
[編集]1940年3月30日、 ボリビア北西部にある ベニ県のリベラルタで日本人男性とリベラルタ出身で日系2世の女性との間に7人兄弟の長男として生まれる。
少年時代は主にリベラルタで教育を受けた。19歳でボリビアの中心部ラパスにある名門サン・アンドレス大学に入学する。 しかしその後中退してヨーロッパへ留学するため旅立つ。 スペイン滞在中にアンダルシア人女性と出会い、そして1966年に結婚する。
1971年、ウゴ・バンセル・スアレス将軍が軍事クーデターを起こす。これにより左派だったシモセはスペインへ亡命した。
1972年、キューバで『ぼくは書きたいのに出てくるのは泡ばかり』が、カサ・デ・ラス・アメリカス賞を受賞する[1][2]。
1999年再び政権に返り咲いたウゴ・バンセル・スアレス大統領政府が公式にシモセに謝罪した。同年にボリビア国民文化賞を受賞[3]。
人物
[編集]彼の詩は政治的な非常にひらめきのある言葉で有名であった。その詩はボリビア国民にナショナル・アイデンティティを植え付け、かつ人々を社会的抑圧から解放した。
ボリビアの学校の教科書には彼の詩が掲載されており、子供達はその詩を学んだりしている。 シモセの作品はドイツ語、フランス語、ロシア語、アラビア語、トルコ語、イタリア語、オランダ語、その他、世界中にある多数の言語に翻訳されている。
ジャーナリストとしても活動しており、マスメディアにおいて積極的に発言している。音楽関係では、作詞や作曲を手掛けており人気がある。
作品
[編集]- Triludio en el exilio (1961)
- Sardonia (1967)
- Poemas para un pueblo (1968)
- Quiero escribir, pero me sale espuma (1972)
- Caducidad del fuego (1975)
- Al pie de la letra (1976)
- El Coco se llama Drilo (1976)
- Reflexiones maquiavélicas (1980)
- Diccionario de Autores Iberoamericanos (1982)
- Bolero de caballería (1985)
- Poemas (1988)
- Historia de la literatura hispanoamericana (1989)
- Riberalta y otros poemas (1996))
- No te lo vas a creer (2000))
作詞
[編集]- El sombrero de saó
- Yesca enamoraó
- Siringuero
- Lucero triste
- Me voy pa’Guayará
邦訳
[編集]『ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり ペドロ・シモセ詩集』細野豊, 現代企画室, 2012