ベルンハルト・コール
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基本情報 | ||||
生年月日 | 1982年1月4日(42歳) | |||
国籍 | オーストリア | |||
出身地 | ウィーン | |||
身長 | 172cm | |||
体重 | 61kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 引退 | |||
分野 | ロードレース | |||
特徴 | クライマー | |||
アマチュア経歴 | ||||
2002 | エルク・ハウス | |||
2003-2004 | ラボバンク(エスポワール) | |||
プロ経歴 | ||||
2005-2006 | T-モバイル | |||
2007-2008 | ゲロルシュタイナー | |||
主要レース勝利 | ||||
オーストリア選手権・個人ロードレース 2006 | ||||
最終更新日 2009年7月28日 |
ベルンハルト・コール(Bernhard Kohl、1982年1月4日 - )は、オーストリア・ウイーン出身の自転車競技選手。
キャリア
[編集]2002年にアンダー23(U-23)オーストリア国内選手権・個人ロードレース優勝。2003年から2004年まで、ラボバンクのアマチュア(コンチネンタル)チームに在籍。
プロ選手になる前(17から19歳まで)はアマチュアチームで走る傍ら、煙突の掃除人をしていたこともあった(CICLISSIMO 2008 no.10)。
2005年、T-モバイルと契約を結びプロ選手となり、同年のブエルタ・ア・エスパーニャに出場、総合110位。2006年、国内選手権(エリート)・個人ロードレース制覇、ドーフィネ・リベレ総合3位の実績を残す。2007年、ゲロルシュタイナーに移籍。ツール・ド・フランスに出場し総合31位。
2008年のツール・ド・フランスでは、ピレネー越えステージの第10ステージで4位に入り、総合順位も一気に4位に浮上。アルプス越えステージでも快走を見せ、第15ステージ終了時点で、首位のフランク・シュレクに7秒差の総合2位、また山岳賞部門では首位に躍り出た。ラルプ・デュエズがゴールの第17ステージではチームCSC-サクソバンク勢の巧妙な作戦もあって、総合優勝を果たすことになるカルロス・サストレから遅れを取り、総合優勝争いでは一歩後退を余儀なくされたが、最終的に総合3位に入り、また山岳賞部門はサストレら他の選手を圧倒して獲得したが、後述するドーピング違反のため、総合順位等は取り消され、山岳賞も剥奪された。
2009年5月には、出場停止期間が終了しても選手生活に復帰する意志はないとして、引退を表明した。
ドーピング問題
[編集]フランスのスポーツ新聞、レキップの2008年10月13日付記事[1]は、コールにCERA(持続性エリスロポエチン受容体活性化剤=Continuous Erythropoietin Receptor Activator)陽性反応が出たと報じた。フランスアンチドーピング機構の話を受けてレキップが報道したことによるもの。
ロイター・共同によると、同月15日、この報道を受けて記者会見を行ったコールは、CERAの使用を大筋で認めた。
11月24日には、オーストリア反ドーピング機構により2年間の出場停止が言い渡された。
脚注
[編集]- ^ Cyclisme - Dopage - Kohl a triché lui aussi Archived 2012年1月22日, at the Wayback Machine.
外部リンク
[編集]- 公式サイト(ドイツ語)
- ベルンハルト・コール - サイクリングアーカイヴス