ベルゴロド公国
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ベルゴロド公国(ロシア語: Белгородское княжество)はキエフ・ルーシ期の分領公国である。首都はベルゴロド(ベルゴロド・キエフスキーとも。現ビロホロードカ[1])に置かれ、12 - 13世紀の間存在していた。
991年、キエフ大公ウラジーミル(ウラジーミル・スヴャトイ)はイルピニ川沿いに要塞を建設し、これをベルゴロドと名づけた。ベルゴロドならびにベルゴロド公国は、南方の遊牧民からキエフを守る防衛拠点であり、ベルゴロド公国に独立性は与えられなかった。また、キエフならびにキエフ大公位をめぐる闘争が発生した際には、ベルゴロドはキエフ大公の退避場所となっていた。キエフ大公の兼任ではないベルゴロド公としては、たとえば1117年に、キエフ大公ウラジーミル(ウラジーミル・モノマフ)に配備された、モノマフの長男ムスチスラフ(ムスチスラフ・ヴェリーキー)などが挙げられる[1]。
1240年にモンゴルのルーシ侵攻によってベルゴロドが破壊された後は、ルーシの年代記(レートピシ)上にベルゴロド公に関する言及はみられない。
出典
[編集]- ^ a b Белгородское княжество // Все монархии мира