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ヘルゴラント級軽巡洋艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘルゴラント級軽巡洋艦

軽巡洋艦ヘルゴラント
艦級概観
艦種 軽巡洋艦
艦名 地名
前級 アドミラル・シュパウン
次級 なし
性能諸元
排水量 常備:3,500トン
満載:4,010トン
全長 130.6m
130.6m(水線長)
全幅 12.8m
吃水 5.3m
機関 ヤーロー石炭専焼水管缶16基

+AEG式直結タービン2基2軸推進
(サイダのみMelms-Pfenniger式直結タービン2基2軸推進)
最大出力 25,100hp
最大速力 27.0ノット
航続距離 -ノット/-海里
乗員 340名
兵装 Skoda K11 10cm(47口径)単装砲9基
Skoda 4.7cm(44口径)単装砲1基
6.6cm単装高角砲1基(第一次世界大戦時に追加)
45cm魚雷発射管連装3基(新造時)
53.3cm魚雷発射管連装2基(第一次世界大戦時に換装)
装甲 舷側:60mm(水線部)
甲板:20mm(水平面)、65mm(傾斜部)
主砲防盾:40mm(前盾)
司令塔:50mm

ヘルゴラント級軽巡洋艦 (Rapidkreuzer der Helgoland Klasse) は、オーストリア=ハンガリー帝国海軍軽巡洋艦。同帝国では第一次世界大戦前に最後に竣工した軽巡洋艦である。

概要

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本級は、オーストリア=ハンガリー帝国海軍がイタリア海軍に対抗し、アドリア海等における制海権維持のために建造した巡洋艦である。同帝国海軍においては偵察巡洋艦に類別された。

前級のアドミラル・シュパウンとともに第一次世界大戦期のオーストリア=ハンガリー帝国海軍では最良の軽巡洋艦であり、大戦全期間を通じてアドリア海域各地の機動作戦に使用された。第一次世界大戦を生き残った本級各艦のうち、ヘルゴラントとサイダはイタリアに賠償艦として引き渡され、ヘルゴラントは「ブリンティジ」、サイダは「ヴェネツィア」とそれぞれ改名された。ノヴァラのみはフランスに賠償艦として引き渡され、「ティオンヴィル」と改名された。

艦形

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軽巡洋艦ノヴァラ

本級は船体形状を船首楼型船体とした。軽構造で全体的に低いシルエットとなっている。艦橋構造物は二層構造で、棒檣構造の前とともに船首楼の後端寄りに設けられた。艦橋前と艦橋後方両舷の船首楼甲板上には10cm単装主砲各1基を配置した。

船首楼後方の主船体内は缶室区画で、甲板上には等間隔に4本の煙突があり、付近の両舷は端艇揚収位置となっている。船体中部から後部にかけての甲板上左右両舷に、10cm単装主砲を片舷各3基ずつ配置した。

後檣も棒檣構造で、機械室区画後方の甲板上に設けられた。45cm連装魚雷発射管3基は、4番煙突の両脇に1基ずつの計2基と後甲板の最後部に1基を配置した。

兵装

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軽巡洋艦サイダ

本級の主砲には「アドミラル・シュパウン」に引き続きシュコダ社でオーストリア=ハンガリー帝国海軍向けに製造したK11型 10cm(47口径)砲9基を搭載した。この砲は後に自国の駆逐艦タトラ級」の主砲にも採用された。

その性能は、26.2kgの砲弾を用いた場合仰角14度での射程11,000mであった。これを防盾の付いた単装砲架で搭載した。旋回と俯仰は主に人力で行われ、砲身の仰角18度・俯角4度で砲架は左右に180度旋回できたが実際は上部構造物により射界に制限があった。発射速度は毎分8~10発だった。

他に対水雷艇迎撃用にシュコダ製4.7cm(44口径)砲を1基搭載した。また、第一次世界大戦時に6.6cm単装高角砲1基が追加された[1]

水雷兵装として当初45cm連装魚雷発射管3基を装備したが、第一次世界大戦時に53.3cm連装魚雷発射管2基に換装された[1]

機関

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本級はヤーロー式石炭専焼水管缶16基とAEG・カーチス式直結タービンを採用した。タービン機関2基による2軸推進で最大出力25,100shpを発揮し、最大速力27.0ノットを得た。「サイダ」のみMelms-Pfenniger式直結タービン2基2軸推進で異なっていた。

機関配置は、艦中央部前寄りに缶室、その後方に機械室をそれぞれまとめて配置する形態を採っていた。

同型艦

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  • ヘルゴラント(Helgoland)

ダヌビウスフィウメ造船所で1911年10月28日起工、1912年11月23日進水、1914年8月29日竣工。イタリアへ賠償艦に指定され1920年9月19日よりイタリア海軍にて「ブリンディシ(Brindisi)」として就役、1929年11月に除籍後解体処分。

  • サイダ(Saida)

CNT(カンティエレ・ネイブル・トリエスティノ)社モンファルコーネ造船所で1911年9月9日起工、1912年10月26日進水、1914年8月1日竣工。イタリアへ賠償艦に指定され1920年9月19日よりイタリア海軍にて「ヴェネツィア(Venezia)」として就役、1930年3月に除籍後解体処分。

  • ノヴァラ(Novara)

ダヌビウス社フィウメ造船所で1912年12月9日起工、1913年2月15日進水、1915年1月10日竣工。フランスへ賠償艦に指定され1920年9月20日よりフランス海軍にて「ティオンヴィル(Thionville)」として就役、1932年に除籍後解体処分。

脚注

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  1. ^ a b 「世界の艦船増刊第54集 イタリア巡洋艦史」 p.126

参考文献

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  • 「Conway All The World's Fightingships 1906–1921」(Conway)
  • 「Conway All The World's Fightingships 1922-1946」(Conway)
  • 「Jane's Fighting Ships Of World War I」(Jane)
  • 世界の艦船増刊 2010年10月増刊 近代巡洋艦史」(海人社
  • 「世界の艦船増刊第54集 イタリア巡洋艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第50集 フランス巡洋艦史」(海人社)

関連項目

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外部リンク

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  • 'Helgoland' (1911)「ヘルゴラント」のスペックと艦形図があるページ。(英語)
  • Helgoland「ヘルゴラント」のスペックと写真があるページ。
  • Veneziaサイダの「ヴェネツィア」時代の本艦のスペックがあるページ。(イタリア語)