プロジェクト‐ノート:美術
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質問:美術品の出典(あるいは出所)の書式について
[編集]- まず、キリスト教美術の題材であるピエタの記事をご覧ください(最近触ったので、精査もしてくれると助かります)。
西洋美術史の書籍を入手したため、触り始めました。 さて、本題の「美術品の出典」ですが、ギャラリーのキャプションがバラバラである(ように見える)ことに気づきました。
- ピエタ (ミケランジェロ), 1499年 大理石、高さ174 cm、幅 195 cm サン・ピエトロ大聖堂
- 「ピエタ」ミケランジェロ, ドゥオーモ美術館, フィレンツェ
- 「ピエタ」ロヒール・ファン・デル・ウェイデン, プラド美術館, マドリード
- ペルジーノによるピエタ
- — 間2作略 —
- ミケーレ・トリピシアーノによるピエタ
トリピシアーノ美術館(シチリア、カルタニッセッタ)
- といった感じです。
私はことさら美術を専門的に学習していないため、このばらつきが妥当なものか、あるいは「美術の出典」は書式が揺れることにあまり関心がないのか、それとも当時の編集者が無頓着だったのかといったことがわかりません。
理想は「美術の出典」を記述するテンプレートがあることですが、プロジェクト美術によくいる編集者としては、どういう状況が妥当でしょうか。どちらでもよいという場合は、できれば「美術の出典」テンプレートを作ろうという方向に話が転んでほしいです。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2023年11月21日 (火) 04:04 (UTC)
告知:Template:Infobox 芸術家 について
[編集]{{Infobox 芸術家}}に関して、2023年11月に実施された編集に起因して「死亡年月日が表示されない」問題を確認したため、対応を行いました。11月の編集はWikipedia:合意形成を図った形跡がなく、未だ問題が潜んでいる可能性があります。本件に関するご意見などありましたら、「Template‐ノート:Infobox 芸術家#2023年11月13日に行われた編集について」まで、よろしくお願いします。--Qurren(会話) 2023年12月15日 (金) 08:03 (UTC)
有泉豊明の書籍はWikipedia:信頼できる情報源に該当するか
[編集]有泉豊明という作者が葛飾北斎などを題材に複数の一般書籍を刊行しています。またこの書籍を典拠にWikipedia上では青山円座松や富嶽三十六景に甲州石班澤など複数の記事で加筆が行われているようです。この作者はプロフィールで医者としているようで、美術史家や浮世絵研究者といった立場にない人物のようにも読み取れ、かつ書籍の評価や作者の評価などからもかなり慎重に使用する必要があると思われるのですが、有泉豊明の書籍がWikipedia:信頼できる情報源に該当するかどうか見解をお伺いしたいです。
刊行書籍例
- 『楽しい絵本・葛飾北斎「富嶽百景」を読む』ISBN 978-4907211233
- 『葛飾北斎 冨嶽三十六景を読む 増補版』ISBN 978-4907211035
- 『北斎漫画を読む―江戸の庶民が熱狂した笑い』ISBN 978-4898063606
ご意見よろしくお願いします。--Gurenge(会話) 2025年2月16日 (日) 14:14 (UTC)
- 「かなり慎重に使用する必要がある」という意見には同意しますが、「信頼できない情報源」という程ではなく、出版物も複数の公立図書館で確認できましたので(カーリルで都内の図書館を検索)、自費出版的なものではないだろう、という判断は可能です。著者は確かに浮世絵の専門家(研究者)ではないので、「~、という判断をしている者もいる」という形で、引用書・ページを明記して紹介する、という案を示しておきます。--砂手紙(会話) 2025年2月16日 (日) 14:34 (UTC)
- Wikipedia:信頼できる情報源には[分野ごとのアドバイス」「大衆文化やフィクション」に関する覚書があり、北斎の作品はそれに該当すると思われますが、ご意見をお聞かせください(砂手紙)--ねこまんま(会話) 2025年2月16日 (日) 18:13 (UTC)
- 「WP:信頼できる情報源#どの学術誌が評判が良いか?」にあるように学術誌であろうとも気を付ける分野で専門家でもない方の一般書籍を使うならその道の研究者の方からの高評価は必要じゃないかなと思います。他の専門家、美術館の書籍と同等に扱うことはWP:中立的な観点#適当な重み付けに反することになるかと思います。その上で1つずつ見ていくと青山円座松で記述されている内容は「研究者ではない方」の「個人研究」を「他の研究者の賛同なく」事実のように記載されているように見えます。富嶽三十六景も同様に並み居る研究者の方の評価を置いて「研究者ではない方」の評価を引用をする必然性が私には見つかりません。WP:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件にある「引用を行う必然性があること」を満たせていないとして削除依頼を出すべきかもしれません。甲州石班澤はもっと顕著かなと思うのですが「投網である」とする研究者、研究機関が複数ある中で「研究者ではない方」の1つの出典で否定形の内容や誰も触れなかった「個人研究」内容を記載するのも重み付けが違うと思います。以上のことから除去または版指定削除するべきではないかというのが私の意見です。--ぷにを(会話) 2025年2月17日 (月) 01:04 (UTC)
- Wikipedia:信頼できる情報源には[分野ごとのアドバイス」「大衆文化やフィクション」に関する覚書があり、北斎の作品はそれに該当すると思われますが、ご意見をお聞かせください(砂手紙)--ねこまんま(会話) 2025年2月16日 (日) 18:13 (UTC)
- 富嶽三十六景の編集に気がついた者として意見を述べます。
- まず、Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意で「専門知識を有することが検証可能な人物によるものを情報源としてください」とあります。この点からすれば当該著者は専門的な美術研究者としての実績が確認できません(検索しても学業的実績が出てきません)。したがって、上記の専門知識を有することが検証できるとは言えないと考えます。
- 次に、著作物の出版社についてです。Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源にあるような自費出版物とは断定できないものの、出版社のひとつである「目の眼」社の事業案内(出版・各種印刷物)によると、本の出版依頼も受けているようです。つまり、上記の点から関連して、当該出版物はその制作を著者から依頼された成果物であり、出版社がその販売元となっている可能性も否定できません。(この点から、図書館や書店で確認できることもってして、信頼できる情報源として使用できるとは言えません)
- 以上2点から、信頼できる情報源として見なすことは、現時点ではできないと考えます。
- また、個々の事例においては、ぷにをさんのコメントと同様の判断をすべきと考えます。
- 「分野ごとのアドバイス」「大衆文化やフィクション」に関しても、そもそも「信頼できる情報源」を用いることが大前提となっています。また、一般書の場合は「専門家によるもの」であってもかなり割り引いて考え、「非専門家」によるものは出典としてふさわしくないとしています。既に砂手紙さんは「著者は確かに浮世絵の専門家(研究者)ではないので」と認識されているのですから、少なくとも疑問の呈されている情報源を敢えて出典として用いることは避けるのが記事の品質保持に利するのではないでしょうか。--みそがい(会話) 2025年2月17日 (月) 03:38 (UTC)
ご意見いろいろありがとうございます。いくつか私感を交えながら自分の意見を語ります。
まず、「富岳三十六景」は「大衆文化やフィクション」に属するものであり、以下の記述は「分野ごとのアドバイス」「歴史」[基本的な考え方」の節として語られており、「大衆文化やフィクション」のアドバイスには該当しない、と判断できます。
- 「一般書の中でも非専門家の手によるものは「信頼できる情報源」として認められたとしても基本的にウィキペディアの出典としては相応しくないと見做されるでしょう。非専門家はほとんどの場合いわゆる「歴史学上の手続き」を心得ておらず、論証過程の逸脱・自己の主張に合わせた史料の選択などをやってしまいがちです。」
「大衆文化やフィクション」の節を引用するのは煩雑になるので省略します。しかし「歴史」「科学」「法律」その他に関するアドバイスとは異なる節が設けられていることにご留意ください。
「富嶽三十六景」を歴史的な視点から扱うなら「いつ」「誰が」「どこで(どの版元で)」その他となり、「どう見るのが正しいか」というのは、フィクション的なものには存在しない(信頼できる情報源は、ない、というか、存在と非存在のあいまいな狭間にある)、と判断できます。
北斎の絵にはさまざまな「実際にはあり得ない」ものが描かれており、浮世絵の研究家である日野原健司氏は『富嶽三十六景』(岩波文庫)の「隠田の水車」の解説で、水の流れがおかしい水車に言及して以下のように述べています(P145)
- 「『北斎漫画』二編を思い起こせば、北斎は水車の水がどのように動くかしっかりと観察していたはずだから、水がこのような流れ方をしないということは十分に承知していただろう。それにもかかわらず、なzせこのような起こり得ない水の動きを描いたのかといえば、やはり絵としての面白さを優先させるためだったのである」(強調部分はこの節の記述者による)
まず「青山円座松」に関しては、面白さよりも資料的な価値を優先させる(と判断しても間違いない)「江戸名所図会」には以下のような画像があります。→https://arasan.saloon.jp/rekishi/images/edomeishozue0916.jpg
この「笠松」を、どこからどう見たら北斎の絵に見えるか、ということに考察の助けとなる「専門家」は「浮世絵」ではなく「園芸・植物」に関しての専門家でしょう。そしてまた「笠松は円座松とも呼ばれ」というテキストは、うまく元のものが確認できませんでした。引用の引用の引用の…のようなものばかりです。
北斎は「富嶽三十六景」で森羅万象あらゆるものを描き、そこに描かれているものの理解・解釈に必要なものは「浮世絵の専門家」ではなく「さまざまな分野の専門家」です。たとえば「神奈川沖浪裏」なら「波」の、「凱風快晴」なら「地質学」「気象」の、「甲州石班澤」なら「漁業」の、それぞれの専門家が必要になります。
私の乏しい知識と検索能力でも、「甲州石班澤」の漁師のように、4本の綱を使う投網は存在せず(1本以上の綱を使うと、綱がからまる可能性があります)、あのような場所であのような作業をおこなうことはありません。従いまして「物理学的にあり得ない」は正しい記述です。もっとも江戸時代の漁業や物理法則に関しては私もくわしくはありません(すみません、ちょっとボケ入れてしまいました)。ただ、なんであの構図を描いたかに関しての、「理解・解釈」ではなく「鑑賞」の視点からだとあそこに富士山と相似するものを置きたかった、という判断が可能になります。
同様に「青山円座松」はあそこに逆さ富士を置きたかった、という判断が可能になります。
えーと、大丈夫ですか、ついてこれますか(これは書いている自分に関する励ましです)。Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意を留意した意見としては、たとえば浮世絵の研究者である日野原健司氏の記述は、森羅万象の研究者ではない、という判断から、浮世絵以外に関しては偽情報・情報源であるものもある、その可能性は否定できない、ということになります。
要約しながらひどいことを言うと、
1・フィクションに対する解釈・鑑賞に「信頼できる情報源」は存在しない
2・浮世絵や江戸美術の専門家は他の分野の専門家である可能性は高くないので「偽の権威に注意」が必要である
3・有泉豊明氏による解釈・鑑賞を排除する理由はあいまい(合意形成の難易度が高い)
ご意見をお聞かせください(こちらからの返事は私用により遅くなりそうです)(砂手紙)--ねこまんま(会話) 2025年2月17日 (月) 07:26 (UTC)
- 本トピックは「有泉豊明の書籍はWikipedia:信頼できる情報源に該当するか」について皆様のご意見をうかがうことを目的としておりますので、それ以外のトピックについては必要でしたら別途提起をお願いします。もうしばらく他の方のご意見を待ちたいと思います。--Gurenge(会話) 2025年2月17日 (月) 13:14 (UTC)
- 1・フィクションに対する解釈・鑑賞に「信頼できる情報源」は存在しない
- 前提として「信頼できる情報源」が存在しないと思っているのであれば「ガイドライン」に沿って記載しないのが正しいのでは?そもそもここで記載するべきは解釈・鑑賞ではなくどのような作品でどのように評価されているかなどかと思います。
- 2・浮世絵や江戸美術の専門家は他の分野の専門家である可能性は高くないので「偽の権威に注意」が必要である
- 今回の浮世絵や江戸美術に類する物を語るのに基本的にそれ以外の専門性は必要ありません。有泉豊明氏も「医者」であってそれ以外の専門家という訳ではないはずです。「青山円座松」ではそもそも美術の専門家からも富士山はあんな大きさで見えないし、円座松を見下ろすロケーションがないと説明されていますし、構成されていることが解説されているので枝ぶりで別のロケーションだとするならよほどの学術研究が必要ではないかと思います。
- 3・有泉豊明氏による解釈・鑑賞を排除する理由はあいまい(合意形成の難易度が高い)
- 今回記載された分野の「非専門家」の一般書から「美術の専門家」がする説明と違ったり、そもそも説明されなかったことを追加する理由が見つかりません。
- 上記の3点についての回答と共に追加するべきとお考えなのは今のところ砂手紙さんだけだということもお考え下さい。--ぷにを(会話) 2025年2月18日 (火) 01:19 (UTC)
- 1・フィクションに対する解釈・鑑賞に「信頼できる情報源」は存在しない
- まず、砂手紙さんがすべきことは、有泉豊明文献がWikipediaの当該記事において「信頼できる情報源」であることを説明することであって、方針・ガイドライン文書に異を唱えることではありません。私を含め3人はそれらの文書に従って当該文献が信頼できる情報源ではないと疑念を呈し/判断しています。
- あるいは、信頼できる情報源でなくても記事に記載できるということにしたいのであれば、関連する方針・ガイドラインの改定が前提になるでしょう。非常に高いハードルになると思いますが。
- 専門家の文献は「ある分野では非専門家だから(偽の権威)」否定するが、Wikipediaでは偽の権威として疑義の生じる非専門家による「非専門分野の文献」を優先して採り上げる/排除しない姿勢に理解が出来ません。--みそがい(会話) 2025年2月18日 (火) 03:23 (UTC)
報告コメントありがとうございました。最終のコメントから一週間が経過しました。もうしばらく他の方からのご意見もお待ちしますが、特にこれ以上の見解が無ければ「浮世絵の分野において有泉豊明は専門家ではなく、刊行書籍はWikipedia:信頼できる情報源に該当しない」という点で合意が出来そうに思います。有泉豊明で全文検索したところ、現時点で当該著者の書籍を出典として用いている記事は初めに挙げた青山円座松、富嶽三十六景、甲州石班澤の3記事のみとなっているので、本日より1週間後を目安に該当の記述を除去いたします。--Gurenge(会話) 2025年2月25日 (火) 10:02 (UTC)
- ご連絡いただきありがとうございます。現時点では十分な合意形成がなされるほどの意見が出ていないという判断で「保留」にしておきました。返信が遅れまして申し訳ありません。私のノートページでのコメント「北斎の作品は江戸時代の化政文化に該当しますので、歴史的な観点、美術的な観点から学術的な調査、研究、分析などが実施される分野であるという理解」という会話さんのご意見について、もう少しくわしい説明をいただければ、と思います。北斎の作品は「江戸時代の化政文化時代における創作物」という判断がありますので、「歴史・歴史書」に関する記述のガイドラインではなく、必要なのは「創作物」としてのレベルでの「信頼できる情報源」ではないでしょうか。なお、とりあえず更に複数の意見が集まるまで「コメントアウト」の状態にしておく、という暫定的な合意形成の方向の提案をさせていただきます。(砂手紙)
- --ねこまんま(会話) 2025年2月25日 (火) 12:16 (UTC)
- 北斎の作品が「歴史・歴史書」に該当するか「大衆文化やフィクション」に該当するかは当方と砂手紙さんの見解の相違によるものですが、どちらの分野に合致するにせよ「信頼できる情報源」による裏付が必要であり、本トピックでは重要な争点ではありません。そのため砂手紙さんの会話ページで返信いたしました。本件の議題は「有泉豊明の書籍はWikipedia:信頼できる情報源に該当するか」というものです。
- 当方含め3名の議論参加者からその信頼性あるいは専門家の情報と併記することについて疑義が提示されています。みそがいさんのコメントの繰り返しとなりますが、有泉豊明文献の信頼性について議題に合致する情報、コメントを頂きたいです。--Gurenge(会話) 2025年2月25日 (火) 13:17 (UTC)
- (北斎の作品は)必要なのは「創作物」としてのレベルでの「信頼できる情報源」ではないでしょうか
- とのことですが、浮世絵の専門家とは、浮世絵という創作物(文化)の専門家です。例に出た日野原氏は太田記念美術館の主席学芸員です。日野原氏が北斎作品を鑑賞評価する上で「信頼できない」ならば、医師である有泉氏の北斎作品の鑑賞評価に医学的部分(があるとしてそれ)以外のどの部分が「信頼できる」のでしょうか。根拠を説明して下さい。砂手紙さんの論旨は有泉文献をWikipedia各記事からさらに遠ざけるだけになっているのではないですか。
- また新たなご提案については疑義が解決されていない以上反対します。まずすべきことをして下さい。--みそがい(会話) 2025年2月26日 (水) 03:54 (UTC)
反対 砂手紙さんの提案に反対させていただきます。他の方もコメントしていますが「美術の非専門家の方の一般書」をもって内容を記述する根拠を示せないのであれば除去するのみです。参加者が4人いて見つからないならそういうことなんだと思います。--ぷにを(会話) 2025年2月26日 (水) 05:03 (UTC)
- ぷにをさん、ご意見どうもありがとうございます。繰り返しになりますが、創作物に関しまして「情報源」の問題で削除されたものはあまり知らないので、具体的にこのような事例が複数あり、そういう編集は一般的である、という情報がいただけましたら幸いです。なおこの場は賛成・反対で何かを決める場ではなく、合意形成の場と判断しているのは、冒頭「論争が生じたら、解決を探ろう」という記述、およびこのノート欄で賛否によって何かを決めたというものがうまく確認できなかったことによります。ぷにをさんのほうから、合意形成に至るような提案をいただけましたら幸いです。(例によってまたリアクションが遅くなるかもしれませんが、ご了承ください)(砂手紙)ねこまんま(会話) 2025年2月26日 (水) 09:47 (UTC)
- いいえ、具体例は必要ありません。私は過去のコメントで中立的な観点にも触れています。「美術の専門家の方の著書・論文」と「美術の非専門家の方の著書」で専門家が触れていない、専門家の意見を否定する非専門家の意見を記載することは中立的ではないことを既に説明しています。砂手紙さんがすべきはそれらに反しない理由を出すことであってこちら側に何かをお願いすることではありません。賛成・反対ではないとコメントされていますが『とりあえず更に複数の意見が集まるまで「コメントアウト」の状態にしておく、暫定的な合意形成の方向の提案をさせていただきます。』に対してその提案には反対ですとコメントしたまでです。--ぷにを(会話) 2025年2月26日 (水) 10:12 (UTC)
- ぷにをさん、ご意見どうもありがとうございます。繰り返しになりますが、創作物に関しまして「情報源」の問題で削除されたものはあまり知らないので、具体的にこのような事例が複数あり、そういう編集は一般的である、という情報がいただけましたら幸いです。なおこの場は賛成・反対で何かを決める場ではなく、合意形成の場と判断しているのは、冒頭「論争が生じたら、解決を探ろう」という記述、およびこのノート欄で賛否によって何かを決めたというものがうまく確認できなかったことによります。ぷにをさんのほうから、合意形成に至るような提案をいただけましたら幸いです。(例によってまたリアクションが遅くなるかもしれませんが、ご了承ください)(砂手紙)ねこまんま(会話) 2025年2月26日 (水) 09:47 (UTC)
- みそがいさん、ご意見どうもありがとうございます。日野原氏のテキストが「信頼できない」「信頼できる」から、有泉氏のテキストが「信頼できる」「信頼できない」という話はしていないという判断なので、もしよろしければ、日野原氏のテキストの「信頼できる情報源」に関する議論をお望みのようでしたら、「日野原健司の書籍はWikipedia:信頼できる情報源に該当するか」という節を立てたほうがよろしいかとも思います。また、創作物に関しまして「情報源」の問題で削除されたものはあまり知らないので、具体的にこのような事例が複数あり、そういう編集は一般的である、という情報がいただけましたら幸いです。(砂手紙)ねこまんま(会話) 2025年2月26日 (水) 09:35 (UTC)
- 「有泉豊明の書籍はWikipedia:信頼できる情報源に該当するか」という議論ですから枝葉末節の話は不要です。私は砂手紙さんが引き合いに出した日野原氏と有泉氏との比較で、後者は信頼できる情報源には当たらないと説明しただけです。砂手紙さんが有泉文献が信頼できる情報源である旨を説明されないのであれば本議論は収束し、関連する記述は削除されるでしょう。他の議論や事例はここでは直接の関係ありませんし、浮世絵関連に対し日野原文献の信頼性も問題視していません。--みそがい(会話) 2025年2月26日 (水) 13:25 (UTC)
みなさん、ご意見どうもありがとうございます。ところでウィキペディアの編集上で「信頼できる情報源には当たらない」の根拠は「アマチュアだから」ということでよろしいでしょうか。その場合「アマチュアだという理由で、信頼できる情報源として扱われず、削除された「創作物に関する記述」の例はありますか? 「個人のウェブサイト、ウィキソース、掲示板やUsenet、ブログへの投稿を二次資料として使用してはいけません」というのはあるので、それ以外の実在する著作物で、複数例を挙げていただけましたら幸いです。
また「複数の公共施設(図書館)が蔵書として持っている書物」がある一方「アマチュアの著作物だから」という理由で蔵書として持たない図書館は存在しますか?
「中立的な視点」ということでは、「「某氏は、大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と記述することはできます」と書かれているとおりです。
それから、参考までにお伺いしたいのですが、このページでの意見交換に参加しているかたは、有泉豊明氏の図書に目を通しておられると(期間も十分あり、複数の図書館での貸出も可能な状況なので)思いますが、その本に関する感想などをいただけましたら幸いです。意見交換のためではなく、今後類似の著作を読む際の個人的な産駒にしたいと判断しています
。
なお、引き続き個人的な環境の問題(スマホにはアクセスできるけどPCにはいささか難しい)がありますので、検索・記述に関するリアクションが遅くなることはご了承ください。(砂手紙)--ねこまんま(会話) 2025年3月2日 (日) 08:24 (UTC)
- わたしは「この作者はプロフィールで医者としているようで、美術史家や浮世絵研究者といった立場にない人物のようにも読み取れ、かつ書籍の評価や作者の評価などからもかなり慎重に使用する必要があると思われる」と最初に書いた通りです。アマチュアの可能性が高く、かつ内容に疑義を持っています。一例を挙げると「富士講では法螺貝を使用しない」「猟師は山の中で銃身の手入れをしない」など、証拠や論拠なく「〇〇は××するはずがない」「〇〇は××したはずだ」という決めつけをかなり多様して主張していたり、事実かどうか定かではないことを断定的に書いていたりと、首を傾げるような記述が多いです。有泉豊明ほどではなくても北斎関連では檀乃歩也、内田千鶴子、神山典士、千野境子など疑義を呈される可能性の高い著者は多数存在します。実際に指摘を受けて書き換えや記述の除去を行った[1]こともあります。--Gurenge(会話) 2025年3月2日 (日) 09:20 (UTC)
- わざと論点を外してコメントを返されているのかと思うほどに嚙み合いません。「「某氏は、大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と記述することはできます」の部分は「意見を事実として記さない」についてです。中立的な観点#観点の中立とは何ではないかや中立的な観点#中立を達成するためにを読んでください。なお、砂手紙さんの要求は今回の議論に不要なものなので議論の内容に集中してください。実例は必要ありません。図書館の存在もこの議論には不要です。本の感想も不要です。--ぷにを(会話) 2025年3月3日 (月) 02:25 (UTC)
- 「アマチュア」が「職業ではない」(広辞苑)という意味であれば、筆者の「専門分野」ではないと通常は判断するでしょう。私は上記の北斎についての2冊を図書館で確認しました。その2冊とも奥付には著者の情報として医師である以外に書籍の他には美術や浮世絵関連の業績が読み取れませんでした。したがってWikipediaにおける信頼できる情報源ではないと判断します。図書館がどのような書籍を収蔵するかは知る由もありませんし関係ありません。余談ですが「北斎はこう描いているが、それは間違っていて実際はこうである」的な記述が多々目につきました。
- また、中立的な観点を持ち出す前に「信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます」(Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付け)以下をご確認下さい。Wikipediaでは何事においても「信頼できる情報源」が必要です。ですから本議論の核はそこです。それを無視して加筆することは方針上できません。方針文書のごく一部を取り出して自説の論拠とすることは控えるべきです。
- Gurengeさんのコメント[2]から新たな見解は出てきていません。砂手紙さんは、有泉文献は「信頼できる情報源」であるという根拠ではない論に転じていますので、今後これ以上の議論進展は無いように感じます。--みそがい(会話) 2025年3月3日 (月) 03:43 (UTC)