コンテンツにスキップ

プロジェクト‐ノート:紀年法/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

第一段階の作業進行状況

[編集]

西暦年記事の更新状況はWikipedia:各年のスタイルガイド/作業リストで確認が可能ですが、参加者の方でガイドラインに従った記入を完了された方、チェックを完了された方は、以下にそれぞれ署名の上報告してください。世紀ごとに分けておきますが、書式は必要に応じ書き換えていただいてさしつかえありません。--Novo 2007年6月2日 (土) 12:55 (UTC)

追記:以下に報告されている以外にも、プロジェクト参加者による記入があるようです。--Novo 2008年8月28日 (木) 18:45 (UTC)

  • 紀元前660年
  • 紀元前100年
  • 紀元前1年:記入完了(Novo
  • 1世紀:oxhopさん記入済み
  • 2世紀:oxhopさん記入済み
  • 3世紀:oxhopさん記入済み
  • 4世紀:田英さん記入中→記入完了(田英)
  • 5世紀:438年まで田英さん担当→5世紀全部受け持ちます(田英)
  • 6世紀
  • 7世紀
  • 8世紀
  • 9世紀
  • 10世紀
  • 11世紀
  • 12世紀:Novo記入中→1161年までで休止中(Novo
  • 13世紀:Novo記入中→記入完了(Novo
  • 14世紀:Novo記入中→記入完了(Novo
  • 15世紀:Novo記入中→記入完了(Novo
  • 16世紀:Novo記入中→記入完了(Novo
  • 17世紀:Novo記入中→記入完了(Novo
  • 18世紀:Novo記入中→記入完了(Novo、ただし修正ユリウス日、リリウス日は18世紀以前未記入)
  • 19世紀:Novoさん記入中→1850年まで記入完了(Novo
  • 20世紀
  • 21世紀(2001年 - 2050年2100年

典拠による紀年の不一致

[編集]

個別紀年について、典拠によって食い違いがあった場合にはここに報告してください。なお、方針としては、「異同のある場合は新しい研究成果を採る(具体的には李崇智《中國歷代年號考》、鄧洪波《東亞歴史年表》)」ことが確認されています。--Novo 2007年6月2日 (土) 12:55 (UTC)

基準想定外紀年の対処

[編集]

記入中にガイドラインにない紀年法や、根拠のはっきりしない紀年法を発見し、検討が必要と判断された場合には、ここに報告してください。原則としてガイドラインの規定が優先されますが、ガイドライン改正の検討が必要になる場合もありえます。--Novo 2007年6月2日 (土) 12:55 (UTC)

  • 303年:田英さん対処済み。--Novo 2007年6月2日 (土) 12:55 (UTC)
  • 1711年:琉球国王在位紀年の記載があり、コメントアウトしました。明らかな誤りは削除、訂正し、それ以外はコメントアウトした上で、必要があればガイドライン改正を提案するか、または提案を待つという対応でいいのではないかと思います。--Novo 2007年6月16日 (土) 06:33 (UTC)

個別年記事についての提案

[編集]

西暦年記事「他の紀年法」節の個別内容について変更の提案や疑問点がある方は、こちらに問題提起をお願いします。場合によっては該当する紀年法、王朝、君主、元号などの個別記事のノートで検討していただくこともありえます。--Novo 2007年6月2日 (土) 12:55 (UTC)

  • ノート:永昌 (李自成)で、この元号を私年号と見なすか、崇禎を継ぐ正統年号と見なすかについて議論が行われています。コメントをいただければ幸いです。--Novo 2007年7月28日 (土) 07:02 (UTC)
    • (報告)議論は私年号とみなすということで妥結を見ましたが、合意形成後も一部議論参加者による一方的編集があり、様子見の状況です。--Novo 2008年8月28日 (木) 18:39 (UTC)
      • 横から失礼いたします。上記Novo氏のコメントと関連してですが、template:中国の歴史でまた同様の一方的な編集がなされ、私もノートで反論しているところですが、投げかけられた質問には全て答えようとせず、私のコメントも飛躍した解釈をしたり、一方的に「東洋史の知識が不足している」などと決め付けたり、相変わらずの態度です。しまいには議論さえも行われていないことまで「合意の結果の編集」などと言い始める始末です。結局永昌のノートでの合意もその場だの口先だけだったとしか思えないような状況になっています。--202.211.128.147 2008年10月12日 (日) 00:45 (UTC)
  • 南詔及び大理国の元号については、異説があり、また元年、末年を確定できないケースも多く、西暦年記事への記入が難しいのですが、鄧洪波の年表に基づき、年次のない部分については年次を書かず元号のみを書いて「?」をつける、という方針で対処したいと思います。西夏及び西遼の元号にも異説がありますが、元号記事に異同を記入した上で、西暦年記事では「?」をつけた上で暫定的に鄧洪波年表に従いたいと思います。ご意見があればお寄せください。--Novo 2007年11月3日 (土) 14:10 (UTC)

旧12月改元の記入について

[編集]

旧12月に改元があった場合、太陽暦では次年の年始以降にずれ込んでいるケース(たとえば1593年文禄改元及びベトナム莫朝の宝定康佑1645年正保改元)があります。将来は暦日も記入する方針なので、こういう場合、私は元号記事のほうに注記をした上で、西暦年記事では次年の方に書き込んでいますが、現状では暦日が明示されていないので、閲覧者に分かりにくいところがあるかなあという気もしています。通常の年表のように前年のほうに書き込んだほうがいいか、ご意見があればお聞かせください。--Novo 2007年6月27日 (水) 10:27 (UTC)

私年号について

[編集]

ベトナムの元号において、YonoemonさんというユーザーがCategory:私年号を作成されています。ベトナムや渤海など中国以外の私年号の扱い方のガイドラインが一目で見て取れなかったので、放置しています。何らかの対応をとる必要があると考えられます。--小川尚明 2007年6月11日 (月) 13:25 (UTC)

ガイドラインではベトナム、朝鮮の元号、及び分類に複数の解釈がある元号で正統王朝以外の勢力が立てたものはすべてCategory:私年号(現状で未作成)に入れることになっております。記事ごとの個別の検討は必要かと思いますが、全体の方針としてはそのままでよいと思います。--Novo 2007年6月11日 (月) 15:24 (UTC)
了解しました。お手数をおかけしました。--小川尚明 2007年6月16日 (土) 03:32 (UTC)

Template:和暦 いちおう完成のお知らせ

[編集]

和暦を簡易に表記するためのテンプレート「Template:和暦」が、いちおう完成しました。このテンプレートは、「{{和暦|2003}}」と西暦年を記入することで、「2003年(平成15年)」のように表示されるものです。唐棣色さんが作り始めて、私が645年(大化元年)から1867年(慶応3年)まで追加しました。詳しい使用法はTemplate:和暦へ。ご意見、不具合等ございましたら、Template‐ノート:和暦まで。--Digesto 2008年6月7日 (土) 08:03 (UTC)

文明19年閏2月

[編集]

文明 (日本)の和暦西暦対照表について、ご意見をいただければと思います。

実隆公記の同年の日記には、文明19年は閏11月(改元されて長享元年となっています)の記述があり、閏2月は存在しなかったように思われます。換暦でも、ユリウス歴1487年3月24日は文明19年2月29日に、同25日は3月1日になっており、閏2月は確認できませんでした(同サイトでも長享元年閏11月が変換可能になっています)。

記述の誤りであろうことは間違いないのですが、他の元号記事にも同様の誤りが含まれている可能性があります。この部分を追記したのがログインユーザーでしたので、「閏2月」に対する出典を求めることが困難なのですが、どのようにすればよろしいでしょうか。--Tamago915 2008年7月22日 (火) 23:16 (UTC)

私もその対照表の記入については気になっていたのですが、日本の元号記事はこのプロジェクトの直接の対応範囲に含めていなかったのできちんとチェックしていませんでした。私の手元の資料でも閏11月が正しいと思います。IPユーザーで出典を求めることが困難であれば、こちらが出典を明記して個別に間違いを訂正していくしかないと思います。--Novo 2008年7月23日 (水) 15:15 (UTC)
閏月や大小月については事実の記述ですので、ここに出典を求めるのは変な話ですね。ただ、明らかな誤りと思えるものに対しては、単に訂正するか、出典を要求するかの選択があると思われます。今回は記述した当人が非ログインユーザーであることもあり、単に訂正で仕方ないとは思いますが、ほかのところはどうしましょうか。一斉にチェックするのか、気がついたときに適宜修正でよいか、ですが。--Tamago915 2008年7月23日 (水) 23:11 (UTC)
未確認ですが、対照表はぜんぶ(おそらくはひとりの)IPユーザーが比較的短い期間に記入したものと理解しています。この記事に限らず、編集はすべてボランタリーなものですから、一斉であれ気がついたときであれ、興味のある人がチェックして、誤りを見つけたら直していくしかないのではないでしょうか(ここで分担者を募ることはできると思います)。または、くだんのIPユーザー氏の編集全体を信用性に欠けると判断して、いったん全部除去またはコメントアウトするという(やや乱暴な)選択肢もないではないと思います。全部を除去すれば、IPユーザー氏がまた出現して、議論や出典提示に応じてくれる可能性が高まるとも考えられます。--Novo 2008年7月24日 (木) 09:02 (UTC)
いちばん気にしているところ(「一斉であれ気がついたときであれ」のどちらにするか)が受け流されてしまったのですが、今更慌ててコストをかける意味も少ないですし、気づいたときに気づいた人が修正するというのでよいかと思います。性格正確であれば有用な情報ですし、除去にはいたらないでしょう。--Tamago915 2008年7月24日 (木) 15:33 (UTC)
あ、なるほどすみませんでした。気がついたときよりも一斉のほうが正確さが増すので望ましいですが、ひとりだけでやりきるのはたいへんではないかなと感じます。チームを組むとすると、共通の出典を踏まえるべきです(一応Wikipedia:ウィキプロジェクト 紀年法/ガイドライン#暦日に挙げてあります)が、皆が手元に共通の出典を持つのは難しいので、合意形成に時間がかかるのではないか、それなら個別に直していくしかないかなと思っていました。なお、旧暦の暦日は、日本については比較的研究が進んでいるようですが、中国との差異など細かいところで難しい議論があるようなので、知識のない私は具体的な記入には立ち入らないようにしようと思っています。--Novo 2008年7月25日 (金) 04:15 (UTC)
私も、個別の対応でよいと思います。とりあえず、今回気づいた文明 (日本)長享は修正しました。--Tamago915 2008年7月25日 (金) 23:20 (UTC)
横槍になってしまう非礼をお詫びしておきます。今回の場合、誤りである可能性の方が高そうですが、『日本暦日原典』を作成された内田正男さんも同書内にて全ての期日が確定するまでには未だ不十分で更に時間がかかるとおっしゃっています。更に室町後期になると、例えば古河公方が改元を否認して享徳元号を長期にわたって使用した例をはじめ、地方と中央の暦の間で閏月の配置や月の大小が違ったりする場合もあります。更に宣徳暦時代には御暦奏の儀が終わった(本来はこれによって来年の暦が確定する)後で物言いがついて改暦(この場合は閏月などの変更)が行われる場合もあり、この場合の宣旨などは現存していない場合も多いために、暦として伝わっている日付の配置と実際の日付の配置が違っていても分からない可能性があるという信じられない事例(というより、最早地雷か?)も存在するために研究されている方も苦労されているようです。従って、個別に対応していく以外には方法がないのではと思われます。--水野白楓 2008年8月31日 (日) 11:13 (UTC)

偽年号の削除に関し

[編集]

Wikipedia:削除依頼/渤海史の偽史関係で偽年号を削除すべきという意見が出されています。削除となりますと私年号項目の総見直しが必要になりますのでご報告いたします。--Yonoemon 2008年12月27日 (土) 03:21 (UTC)

あなたの論理はまたまちがっています。問題の偽年号の記事を削除しても、私年号項目が検証可能性をみたすなら、それらの総見直しが必要にならないです。--女衒 2008年12月27日 (土) 04:26 (UTC)

読み仮名は必要か?

[編集]

現在、西暦年記事にはたとえば「1497年」には「(せん よんひゃく きゅうじゅう なな ねん)」というようにすべて読み仮名が振ってありますが、これって果たして必要なのでしょうか? 私は若干違和感があります。

1桁目を「いっせん~」と読む人もいれば2桁目を「しひゃく」、3桁目を「くじゅう」と古風に読む人もいるし、4桁目を「しち」と読む人も少なくありません。人によっては「いちよんきゅうしちねん」のように千、百、十の省略もありえるでしょう。そういった別の読み方を排除しているようで、どうも気になります。そもそも数字部分にはふりがなは不要なのではないでしょうか。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#読み仮名によれば、「特殊な読み方をしない英数字はそのままに記載する」と記載されています。数字部分を取り除いて「(-ねん)」のようにするか、「(1497ねん)」のような表記にした方がいいように思われますが、いかがでしょうか。--トホホ川 2009年9月27日 (日) 16:02 (UTC)

西暦年記事のこの部分はTemplate:Year-definition‎で定義されていて、お話のような問題提起はすでにそのノートに出されていますが、まだ書き換えられていません。ご参考までに。--Novo 2009年10月18日 (日) 16:50 (UTC)
議論を提起したことも忘れてました。1年待ってもご意見がなかったようなので、修正します。--唐棣色 2009年10月18日 (日) 23:52 (UTC)
ありがとうございます。読みが「ねん」だけになっているのを確認しました。--トホホ川 2009年10月19日 (月) 13:02 (UTC)

中国の元号の細分化カテゴリについて

[編集]

現在、下記の19カテゴリが未使用になっています。

  1. Category:前涼の元号
  2. Category:前趙の元号
  3. Category:前燕の元号
  4. Category:前秦の元号
  5. Category:北涼の元号
  6. Category:南涼の元号
  7. Category:夏(五胡十六国)の元号
  8. Category:後涼の元号
  9. Category:後燕の元号
  10. Category:後秦の元号
  11. Category:後趙の元号
  12. Category:成漢の元号
  13. Category:西涼の元号
  14. Category:西秦の元号
  15. Category:北燕の元号
  1. Category:梁の元号
  2. Category:劉宋の元号
  3. Category:斉の元号
  4. Category:陳の元号

しかし、これらのカテゴリは、Wikipedia:ウィキプロジェクト 紀年法/ガイドライン#中国の元号で明記された「これ以外のカテゴリの作成は原則行わない。」に反しており、今後とも使用される見込みが無いと考えます。そこで、私としては、まずは本プロジェクトで、ご意見を募り、もし特に異議が無いようでしたら、「本プロジェクトにて廃止合意済み」と付記した上で即時削除依頼を出したいと考えております。もし異議あるようでしたら、10月中をめどにご意見いただければ幸いと考えています。よろしくお願いいたします。--どんどん 2009年10月18日 (日) 01:18 (UTC)

ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」新設のお知らせ

[編集]

先日行われた、ウィキプロジェクト用名前空間新設に関する投票の結果に基づき、ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」が新設されます。その際、以下の点にご注意ください。

  • ウィキプロジェクトのページ(サブページも含む)は、Botを用いて全て新名前空間へ移動されます。
  • 元ページはリダイレクトとしてすべて残されます。
  • プロジェクト名前空間のタブ表記は「プロジェクト」となります。
  • Wikipedia名前空間のタブは、「プロジェクトページ」から「ウィキペディア」に変更されます。

なお、具体的な日程などについては、『編集者向けsitenotice』などで告知される予定です。--W.CC 2010年7月27日 (火) 09:26 (UTC)

地域概念としての「琉球」追加について

[編集]

1187年(舜天元年)から1872年(尚泰24年)、もしくは1879年(尚泰31年)までは、日本、中国、朝鮮とならび、地域疑念としての琉球を追加するべきだと思います。 朝鮮と同様、「国名:国王○年」例えば「琉球国:尚巴志4年」などと記述するのがよろしいでしょうか。 --Franz Rekio会話2012年12月18日 (火) 16:20 (UTC)

  • 日本や中国、朝鮮と異なり、琉球の場合は独自の紀年法を採用していませんので地域概念としての追記は不要と考えます。これを言い出すと世界中のあらゆる地域を記載して○○王○年、○○侯○年のような記載が可能となってしまします。日本人からすれば琉球というのは特殊な地域かもしれませんが、紀年法で見れば日本と中国のいずれかの紀年法で記述可能なので、あえて追記する必要性はないと判断しています。--Yonoemon会話2013年1月25日 (金) 04:25 (UTC)

天皇の在位と西暦をどこまで対応させるか

[編集]

どこで議論してよいかわからなかったので、こちらに書かせて頂きます。表題の通り、古代の天皇と西暦をどの天皇まで・どのレベルまで対応させるかという点についての提案です。

現状では神武天皇に始まり歴代天皇の日本書紀の記載と西暦との対応がなされていますが、古くから紀年論として、その対応には誤りがあるのは一般的事実と見られています(『国史大辞典』日本書紀紀年論項、『世界大百科事典』紀年論項等より)。『国史大辞典』を例として挙げると、推古天皇以後は生涯を西暦に明示的に対応させていますが(人名のすぐあとに年号を記載)、それ以前では文章中に記載するに留め、さらに仁賢天皇以前では西暦が文中からも除かれています。西暦を絶対的な時間軸として扱う以上、この「日本書紀の暦と西暦を別にする」という考えをWikipediaでも基にするべきと考えます。

問題はこのように明らかで、そこからどうしていくかですが、まず日本書紀と西暦のズレには以下の3区分が考えられます。

  • A. 倭の五王以前:天皇の実在自体が定かではなく、西暦との対応づけはやってはいけない
  • B. 倭の五王頃-推古:天皇の実在・事績はグレーで、年代も日本書紀以外にも諸説ある
  • C. 推古天皇以後:一般に西暦との対応は確実視される(『国史大辞典』日本書紀紀年論項より)

これを踏まえた上で、以下の提案をさせて頂きます。

  • Aの時代に関しては、対応はさせない
    • Template等に記載はしない。記載をするにしても「日本書紀による」と明示(脚注不可)
    • 天皇の生没年カテゴリも除去
  • Bの時代では、年の後に「?」を記載・または脚注レベルでの「日本書紀による」と記載
  • Cの時代では、対応可

Bをどの天皇からということですが、史学的に見解があるわけでなく、各出版社で記述が異なり難しいところです。例を挙げると以下のようになり、個人的には継体天皇を考えています。

  • 吉川弘文館:武烈天皇の途中から西暦記述開始(『国史大辞典』、『日本古代史年表』)
  • 平凡社:継体天皇以後、西暦記述開始(『日本史大事典』)
  • 小学館:継体天皇以後、西暦記述開始(『日本歴史大辞典』)
  • 大和書房:継体天皇以後、西暦記述開始(『日本古代史大辞典』)
  • 国書刊行会:履中天皇以後完全に対応(『新・国史大年表』)

(即位順参考:雄略、清寧、顕宗、仁賢、武烈、継体、安閑、宣化、欽明、敏達、用明、崇峻、推古)

天皇に関するページに限らず神社等の他のページでの表記にも関わってくることですので、ガイドラインを定めなければいけないと考えております。ご意見をよろしくお願いいたします。--Saigen Jiro会話2013年3月17日 (日) 06:27 (UTC)

賛成 基本的にSaigen Jiroさんの提案に賛成です。個人的には推古天皇以降が異論の最も少ない案かとも思いますが、継体でも反対しません。--ろう(Law soma) 2013年3月18日 (月) 00:56 (UTC)

ご意見ありがとうございます。--Saigen Jiro会話2013年3月18日 (月) 06:56 (UTC)
(補足)要は継体・欽明朝の内乱説を考慮したらどうか、というものです。--ろう(Law soma) 2013年3月18日 (月) 08:18 (UTC)

妥当な論点整理、感謝します。Bに関してですが、継体か推古かいずれとすればよいのかは難しいですね。しかし、近年、考古学界で真の継体陵ではないかとされている、今城塚古墳の発掘調査なども一応の終了をみているので、やはり継体を区切りとするのが穏当なところでしょうか。ただ、これに固執するものではありません。また、Aグループの各天皇の生没年や事績、あるいは天皇一覧表にも西暦が付されていますが、これについても是非に訂正して欲しいものです。--ちえカラス会話2013年3月18日 (月) 13:06 (UTC)

(Law somaさんへ) おっしゃるように継体から欽明の実年代には説があるので、その意味でも「?」の追加で良いかと思っております。「?」なしは敏達からでも良いかもしれませんね。
(ちえカラスさんへ) ご意見ありがとうございます。継体の件、了解いたしました。Aについては上記の通り、(批判のない限り)対応はさせないつもりです。--Saigen Jiro会話2013年3月18日 (月) 13:20 (UTC)
(Saigen Jiroさん)最初の意見は2段階でよいのではないかという趣旨でしたが、3段階にも反対しませんし、その場合継体で区切る案は了解です。
(ちえカラスさん)この場を借りてのお願いですが、リンク付き年号([[○○年]]のような書式)にクエスチョンマークを付ける際には、[[○○年?]]ではなく、[[○○年]]?としてください。でないと「?」付の項目へのリンクになってしまいます。よろしくお願いします。--ろう(Law soma) 2013年3月19日 (火) 02:54 (UTC)--ろう(Law soma) 2013年3月19日 (火) 02:55 (UTC)書式修正
Law somaさんのご指摘、了解しました。今後、注意します。もう一点、訂正をお願いします。それは、各天皇記事の項で「在位年と西暦との対照表」が記されていますが、やはりこれも削除していただきたい、ということです。この記事があると、在位年などが史実であると誤認されてしまいますから。よろしく対処のほどお願いします。--ちえカラス会話2013年3月19日 (火) 13:18 (UTC)
ご提案の対照表については、Saigen Jiroさんの案に準じて、
  • Aの時代に関しては、掲載しない
  • Bの時代では、「日本書紀による」と明記
  • Cの時代では、掲載
としては如何でしょうか。--ろう(Law soma) 2013年3月22日 (金) 04:14 (UTC)
私はAの時代についてもBにならって表を掲載すべきだと思います。一般論として、古く誤った学説や、事実であるはずがない伝説でも、重要なものなら誤解がないような書き方で収録するのが良いからです。Aの時代の天皇を含め、なんとか天皇の御代から何年、という書き方で歴史事件や現在を語る本を時折りみかけます。欠史八代もまったく何もないわけではなく、後世の地方的伝説が付け加わっていることがあるからです。その種の伝説を扱うときに、もちろん中身も年代も史実でありえないということを承知の上で、対照表を利用することはあるでしょう。もちろん、日本書紀の古い時代の記述も重要な伝説ですから、各年がいつにあたるかは、それ自体として関心を払うべき事柄です。そういうわけで、実際の年代とは考えられないと記した下に表を掲載したほうがよいと思うのです。--Kinori会話2013年3月22日 (金) 05:43 (UTC)
(Aへの記載はやや反対)「史実ではない」と記載することで一般閲覧者の誤解をどれだけ抑えられるかということになりますが、個人的にはAにも記載すると誤解は抑えられないと感じます。ただ、対照表の重要性は感じますので、非史実を前提とした別ページ、例えば「日本書紀における古代天皇の西暦対照表」ページを作りそこにAの表をまとめて記載すれば良いかと。「誤った情報を切り捨てる」という一方の立場にのみ拠った編集はまずいでしょうけれども、本件に関しては「西暦との対応はできない」という情報を伝えるために「Aには記載しない」ぐらいの方が必要な措置と思います。--Saigen Jiro会話) 2013年3月22日 (金) 08:38 (UTC)--Saigen Jiro会話) 2013年3月22日 (金) 08:40 (UTC)(訂正)--Saigen Jiro会話2013年3月22日 (金) 12:32 (UTC)(再度訂正)
「一般閲覧者」のレベルをどのくらいに想定するかの問題でしょうか。日本書紀のはじめの内容が信用できないというのは一般的な歴史教育を受けた人には常識です。一般の人ならくどくど言わずとも了解できます。史実ではないという注記は、脚注にだすのでなく、見出しのすぐ下に普通の大きさで書いて、その下に表を置くのでしょう。それが読めないほど愚かな読者を想定する必要はないと思います。--Kinori会話2013年3月22日 (金) 13:03 (UTC)
了解いたしました。いらぬ心配でした。--Saigen Jiro会話2013年3月22日 (金) 13:18 (UTC)

 いや、やはりAについては西暦との対照表は不要だと考えます。何度も記しますが、「日本書紀のはじめの内容が信用できないというのは一般的な歴史教育を受けた人には常識です。一般の人ならくどくど言わずとも了解できます」と考えるのは、実情をご存じない、美しい誤解です。高校日本史ではそこまで詳しく授業は行われていないはずです(これも授業をしっかりと聞いていれば、という前提ですが)。ですから、学生たちの中にはwikiの記述を鵜呑みする輩が存在するのです。また、たしかに伝承などの中には貴重な情報も含まれていますが、記紀の記載でそれを見るのであり、それは記紀編纂時(8世紀)の姿であるのです。しかも、伝承などは一時に出来上がるのではなく、なんども改変されながら定着するものなのです。したがって、現在の記紀伝承はいくつかの時点の情報が重層していると考えるのが妥当なのです。そこへ、現代ではほぼ絶対的な時間基準となっている西暦を対照させるのは、以上のような複雑な経緯をたどった伝承の姿を誤解させるもととなります。したがって、「日本書紀の古い時代の記述も重要な伝説ですから、各年がいつにあたるかは、それ自体として関心を払うべき事柄です」というご指摘は、意味をなさないでしょう。結局、Law somaさんのご提案が妥当ではないでしょうか。--ちえカラス会話2013年3月22日 (金) 14:30 (UTC)

 比較的最近、いまちょうど話題となっている時代に興味を持ち、個人的に読書を進めている者です。古い時代において「日本書紀の記述をそのまま信ずれば西暦何年である」という建前と、「常識的に本当は違うんだよ、みんな知ってるよ」という本音が恥ずかしげもなく共存させられている状況には強い違和感を感じます。先の方々の議論での A, B, C などの時代の切れ目の位置決定は充分に討論される必要があるポイントでしょうけれども、科学的・考古学的にみて書紀の年代(あくまで記述上の年)と西暦(絶対的な基準ともいえる年)とが一致しないことがもはや常識であるというのなら、一致しているかのような書き方・西暦と対応させた書き方はそもそも やってはいけないこと であると考えます。--ひと煮立ち会話2013年3月22日 (金) 15:07 (UTC)

「科学的・考古学的にみて書紀の年代(あくまで記述上の年)と西暦(絶対的な基準ともいえる年)とが一致しないことがもはや常識であるというのなら、一致しているかのような書き方・西暦と対応させた書き方はそもそも やってはいけないこと であると考えます」というひと煮立ちさんのご指摘は、まさに正鵠を得ています。ですから、削除を提案したのです。「結局、Law somaさんのご提案が妥当ではないでしょうか」と記したのは、私としての妥協案なのです(言葉を補足しておきます)。  ただ、「「日本書紀の記述をそのまま信ずれば西暦何年である」という建前と、「常識的に本当は違うんだよ、みんな知ってるよ」という本音が恥ずかしげもなく共存させられている状況には強い違和感を感じます」というのは、どういうことでしょうか。現在はさまざまな本が氾濫しており、とくに今話題としている時代に関しては、珍説・奇説のほうが幅をきかせているようです(記紀の現代語訳などの出現で、その内容が専門外の方にも理解できるような状況ですから)。史料批判という歴史学の基本を承知されていないようなジャーナリストまがいの手になる著書の方が、専門家のそれよりも一般の方には面白いのでしょう、よく売れているようです。専門家の著書では「「日本書紀の記述をそのまま信ずれば西暦何年である」という建前」のような書き方はしていないと思いますが、いかがでしょう。そのうえ、現状では誤解を招くwikiの記述まであるのですから。  情報洪水ゆえに、なにか真実に近いのか、現代は本当に見えにくくなっています。ですから、一般の方の誤解を生まないように、いろいろと改善を提案しているわけです。--ちえカラス会話2013年3月23日 (土) 01:55 (UTC)

学生の実情はわかりました。宮内庁では皇紀を基にして各天皇の命日が公定されていますし、例えば建国記念の日のような祝日もあります。それがひと煮立ちさんのおっしゃる「建前」にもあてはまるでしょう。現状では皇紀を基にした公の行事が事実としてあり、日本文化は現状では皇紀と切り離せないものです。史実と真実のズレの研究をするために対照表を参考にする方もいるでしょう。世の中を正しい方向に持っていくために百科事典があるのではなく、世の中とともに歩くのがあるべき姿と考えます。なので対照表は史実でないことが明らかでない上でなら、記載するwikipedia内のどこかには記載するべき事項です。ですので別ページを提案しております。--Saigen Jiro会話2013年3月23日 (土) 09:15 (UTC)

Saigen Jiroさん、ちょっと待って下さい、「日本文化は現状では皇紀と切り離せないものです」と断定されるのは。建国記念の日には未だに反対行事が行われているように、この祝日の制定には異論があった(とくに古代史学界)にも拘わらず、ときの自民党政府が強行した経緯があるのです。また、宮内庁の行事をもって「皇紀を基にして各天皇の命日が公定されています」とは言いがたい点があります。宮内庁は天皇家の私的な側面をサポートする役所でもあるからです。それら以外に皇紀などという概念と結びつくのは、神社神道くらいでしょう。また、皇紀などという歴史概念が公的に登場するのは、明治に近代天皇制国家が成立して以降で、戦後では公的な場からは退場させられています(政府主催の建国記念日の祝典でも皇紀という言葉は使用されていません)。つまり、皇紀という歴史概念は、近代天皇制国家という政治権力と強く結びついたもので、それと戦後の日本文化との結びつきを想定するのは、明らかに誤った歴史認識です。この辺りは誤解のないようにお願いします。--ちえカラス会話2013年3月23日 (土) 12:41 (UTC)

今後さらに見直しは進むのでしょうけれども、現時点では記念の日はありますから…。無くなれば考慮しますが。それに過去に皇紀という制度が存在した以上、その説明をする必要はwikipediaにあるのではないでしょうかね。--Saigen Jiro会話2013年3月23日 (土) 14:31 (UTC)
話が広がりすぎていないでしょうか。縄文時代の年表の中に神武天皇や綏靖天皇の即位年を書きこもうと言っているわけではないので、日本文化の中での重要性にまで話を広げる必要はないと思います。
今の冒頭部「綏靖天皇(すいぜいてんのう、神武天皇29年(紀元前632年?)- 綏靖天皇33年5月10日(紀元前549年6月28日?))は、日本の第2代天皇(在位:綏靖天皇元年1月8日(紀元前581年2月23日?) - 同33年5月10日(紀元前549年6月28日?))。」という文面は、「?」がついていても、確かに実在の人物、実際の年紀という誤解を招くと思います。西暦年との対照だけでなく年を除き、「綏靖天皇(すいぜいてんのう)は、日本の第2代天皇とされる人物である。古代の歴史書『古事記』『日本書紀』に記されるいわゆる欠史八代の1人で、実在しない。」とでも書き改めるべきでょう。
私の意見は、そうやって伝説上の人物と位置づけられたA群の記事の中に、伝説が語る年紀として対照表を載せるというものです。それも、史実ではないと注記した上で載せようというわけです。それは、別ページに掲載すれば誤解がなくなるというものではないでしょう。できの悪い学生・生徒や、珍説奇説を好む人は、今もたくさんいるし、将来もたくさん出てくるので、それに合わせて振り回されるようではいけません。しかし年代を換算してみる需要はまっとうな研究・教育からもあるはずです。日本書紀の紀年に誤りがあるとしながら前660年からの在位年を書き入れた対照年表としては、平田俊春『最新歴史年表』があり、版を重ねておりました。決して奇抜なアイデアではありません。ここで我々のとるべき方向は、情報へのアクセスをしにくくすることではなく、アクセスしやすくした上でちゃんとした学説を記すことではないでしょうか。--Kinori会話2013年3月24日 (日) 03:29 (UTC)
論点を見失っておりました。おっしゃる通りと感じます。ありがとうございます。--Saigen Jiro会話2013年3月24日 (日) 03:55 (UTC)
  • 最初の提案から一週間が経過し、「年代の対応付けの制限」についてはLaw somaさんの2段階案以外は異論なく、Law somaさんは3段階も可とのことですので、当初の提案通り「西暦への対応付けの3段階での制限」・「AグループのTemplate等、生没年カテゴリに西暦を含めない」の合意形成がなされたとします。ガイドラインはWikipedia:表記ガイド#年月日・時間に記載します。なお、各天皇の西暦対照表の存続の件は合意に至っていない状況ですので現状では保留で。--Saigen Jiro会話2013年3月24日 (日) 06:45 (UTC)

皆さんのご協力に感謝します。とくにSaigen Jiroさんのご尽力に。これでようやく標準的な百科事典(ネット上の)としての内容となるでしょう。あとは編集作業を行えば良いのですね。--ちえカラス会話2013年3月26日 (火) 12:40 (UTC)

在位年と西暦との対照表について

[編集]

上記のとおり、「年代の対応付けの制限」については合意が成立し、今後、少しずつでも修正が図られることになり、喜ばしい限りです。なお、上記の合意を元に記事を修正する際には、ここのノートへのリンクを要約欄に記載頂きますと、無用の混乱・軋轢を生む可能性が低くなりますので、皆さん、心がけて頂ければ幸いです。

さて、上記節でちえカラスさんが指摘された「在位年と西暦との対照表」について、折角議論が深まってきたところですので、引き続き話し合いたいと思います。私は自分の提案に固執するわけではありませんし、Kinoriさんのおっしゃることももっともであると思います。ただ、ちえカラスさんのご指摘については、現状のままでよいという意見は、今のところ見当たらないようにも思います。今のところ出ている案は、

  1. ろうの案:Aの時代に関しては、掲載しない/Bの時代では、「日本書紀による」と明記/Cの時代では、掲載
  2. Saigen Jiroさんの案:非史実を前提とした「日本書紀における古代天皇の西暦対照表」のようなページを作り、Aの表をまとめて記載
  3. Kinoriさんの案:冒頭部に「実在しない」と明記/表の節名のすぐ下に普通の大きさで「実際の年代とは考えられない」と記した下に表を掲載

であろうかと思います。

Saigen JiroさんはKinoriさんの案を受け容れたように見えます。私としてもKinoriさんの案に首肯できるのですが、そもそも問題を指摘されたちえカラスさんのご意見をお聞きしたいところです。ある意味、「常識」を弁えていると自分では思っている利用者だけで、現場で「常識」が通用しない学生を相手にしている方の意見がないままの改善案では、もしかしたら十分ではないかもしれません。Kinoriさんが言及した「冒頭部に実在しないことを明記する」の案に対し、ちえカラスさんがどのように思われるかを、まだお聞きしていませんので。--ろう(Law soma) 2013年3月25日 (月) 07:30 (UTC)

私としては、現行のように各天皇の項目毎に対照表を掲げる必要はないと考えます。別の項目、たとえば書紀紀年や皇紀などの項目に付属させるのが穏当だと考えるのですが、いかがでしょう。  Kinoriさんが言及されている平田俊春氏は、あの狂信的な皇国史観を唱道した平泉澄の門下生であり、戦後もあまり立場を変えずに活動されたようです。それゆえ、「書紀の紀年には誤りがある」といわれても、本音は違うところにあるのではないかと想像しますね。したがって、氏の歴史年表は特異なものといってよいでしょう(吉川弘文館の『日本史総合年表』などを見て下さい)。標準的で安定した説を中心とした百科事典を目指すwikiで取り上げるべきものではないと判断します(学説史の整理では良いでしょうが)。また、分類Aの記紀記載は大半が伝承的記事であり、逐一西暦に対応させることはできません。  以上の理由により、現行の対照表のあり方は変更するべきだと考えます。--ちえカラス会話2013年3月26日 (火) 13:06 (UTC)

要約欄に何やら見られない記述が登場したのを見て、慌てて駆けつけて参りましたので、従来の議論に対する認識不足があれば御寛恕戴ければ幸いです。私は消極的意味で対照表はあった方がいいという立場です。私自身、継体天皇以前の紀年は疑いをもってはいるのですが、かと言って記紀に記載された伝承を流れとして把握するためには、分かりやすい指標がないのも百科事典としてどうかと思います。例えば、履中天皇の2年と反正天皇の3年が時系列としてどっちが先でどっちが後かと認識するためにはそれぞれの天皇の在位順位と在位年から利用者に計算させると言うのは、私は利用者に対して甚だ不親切であると思います。この場合指標として使用可能なのは西暦か皇紀になるのでしょうが、今の時代に皇紀を使っている方を探す方が難しいくらいですので、残るのは西暦ということになると思われます。勿論、あくまでも対照表は便宜上設けるということでしかないので、非実在の可能性については明記する必要性はあるのは当然のことです。--水野白楓会話2013年3月26日 (火) 16:23 (UTC)

(個人的な提案)あと、この問題は日本史とか皇室史とかの問題にも関わって来るので、プロジェクト:日本史プロジェクト:日本の皇室の参加されている方にもお声をおかけした方がいい気がするのですが、ご検討いただければ幸いです。--水野白楓会話2013年3月26日 (火) 16:33 (UTC)
(ちえカラスさんへ)ありがとうございます。仰る趣旨は分かります。
ところで、Wikipedia日本語版には「中立的な観点」という方針があり、むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。これは全て論争をフェアに説明するという任務の一部です。となっております。その方針上からは皇国史観であっても掲載する必要があります。勿論、現在科学的な批判があり、主流派ではないことは明記する必要はありますが。
ちえカラスさんのご意見は、Saigen Jiroさんの案と「各天皇記事には記載せず別の記事に掲載する」という意味では同種のものと整理してよろしいでしょうか。
(水野白楓さんへ)ありがとうございます。早速プロジェクト:日本史プロジェクト:日本の皇室に案内しました。
(皆さんへ)概ね論点は、表を分割統合するか否かという点にあるように思います。折角他プロジェクトに周知しましたので、もう少し他のご意見を待ってみて、それから具体的に議論を始めたいと思います。--ろう(Law soma) 2013年3月27日 (水) 08:08 (UTC)

(Law somaさんへ)ご指摘のように、私の意見はSaigen Jiroさんの案とほぼ同一と考えていただいて結構です。ただ、平田俊春氏作成の年表をわざわざ掲載する必要はやはりないと考えます、「中立的な観点」からしても。触れるなら研究史のなかで、ということではないですか。--ちえカラス会話2013年3月27日 (水) 13:32 (UTC)

『日本史総合年表』第2版を見ました。この年表では、在位年の対照が西暦500年、武烈天皇2年からはじまっています。それ以前は一年一年に欄をつくる形式ではなく、事項がとびとびに配列されています。500年以前は一律に否定すべきと考えているのでないことは、とびとびになった中に一部神功紀の事件をとるところから察せられます。単純に考えて、古い時代について対照表を組まないのは、空白ばかりのページを作りたくないからではないでしょうか。
『最新歴史年表』では、前660年について縄文文化晩期と記し、以後長く書紀の紀年と並行させます。そして崇神天皇以降について、諸学説の紀年を書紀の紀年と並行して示します。もちろん学説は書紀のものより下ります。学説欄を除くのは推古天皇以降です。つまり『日本史総合年表』のほうが書紀を軽信していると、言おうとすれば言えてしまいます。前660年から表を組んだことに底意はあるのですが(10年1ページだからページ数を10倍すれば皇紀が計算できると書いてあります)、「狂信的な・・・門下生」による「特異なもの」といった見方で退けられるような、程度の低いものではありません。
書紀編者は、記した年代を書紀の中だけの話として記したのではありません。中国や朝鮮の史書にある倭人・倭国関係の記事を意識していました。神功皇后66年は西暦266年で、西晋の泰始2年。台与の遣使の年です。神功皇后49年は249年、その干支は己巳で、干支が2巡した120年後の己巳、369年が、百済の近肖古王24年にあたります。ここらあたりの歴史を学んだことがある人なら、こうした参照を珍説・奇説とは言わないでしょう。『最新歴史年表』の便利なところは、こうした参照が簡単にできることでした。そして今日ではウィキペディアでも同じようなことができます。便利な時代になりました。愚かな民衆に誤用されないためという理由でこの便利さをなくす提案には賛成しがたいです。
しかしともかく両書は年表であり、ウィキペディアでそれに該当するのはプロジェクト:紀年法で管理される1年などの西暦年記事です。1年のページから「垂仁天皇30年」「皇紀661年」といった記述を除き、そこだけ別ページを参照させようという提案ならまだわかるのですが、人物記事から年代だけ別ページに移すのは、おっしゃる懸念と関係ないのではないでしょうか。人物記事から移しても、我々はただ不便になるだけで、誤解のおそれは増えもせず減りもしないと思うのです。--Kinori会話2013年3月28日 (木) 15:43 (UTC)
神社記事などを執筆しておりますので、各地の神社で孝元天皇の御宇創建と伝えられていること等には個人的に興味を引かれています。でも孝元天皇を紀元前の人物と考えたことはありません。(実在しても卑弥呼の時代の人でしょう。)Kinoriさんのご意見を伺って思ったのは、結局のところ、仁賢天皇以前は、逐一人物記事に表を付けずとも、「上古天皇在位年と西暦対照表(仮称)」へのリンクを貼るだけで足りるのではないか、ということです。そして、その方が複数の説を併記しやすく、更に干支のチェックもし易いのではないか、ということも考えました。--ろう(Law soma) 2013年3月29日 (金) 00:36 (UTC)
Law somaさん、議論を進めて頂いてありがとうございます。私としては分割表でも統合表でも、表が存続するならば異論はありません。議論を伺う限りでは、Law somaさんのおっしゃる統合表に関して、時系列の認識上さらに便利になるので作成したいと考えています。現状では「分割表から統合表への移行」には反対があっても「分割表と統合表の併存」には異論がないようですが、「統合対照表の作成」自体については皆様いかがでしょうか。異論がなければ、議論を「統合表作成のレイアウト」の議論と「分割表の存廃」の議論に分けたいと思います。--Saigen Jiro会話2013年3月29日 (金) 12:35 (UTC)
(話は本筋からずれますが)前記と関連したことで、現行のWikipediaは「各国の元号→西暦」や「各西暦年ごと」の記事は充実していますが、「各西暦年が各国の元号の何年にあたるか」をまとめて扱った記事が無いように思います。例えば『日本古代史辞典』には西暦とともに干支・年号・改元月日・天皇・中国の皇帝名と元号・朝鮮の王名と元号をまとめた表があるのですが、そういった網羅的な「東アジア年号対照表」があっても良いし作成しようかと思います。その場合は史実ですので、A・Bグループは除いた方が良いとは思いますが。--Saigen Jiro会話2013年3月29日 (金) 13:05 (UTC)(追記)

Law somaさんのご提案で結構ですが、再度、現行のあり方(分割表)を廃止していただくことを希望しておきます。その理由は、一般の方のいらぬ誤解を防ぐためであり、将来の改善(改悪)に際しても統合表の方が対応しやすいと考えるからです。各天皇の項目毎に対照表を逐一掲げるのは無駄でもあり、一カ所に統合するのが様々な情報を加える場合も都合が良いでしょう。  Kinoriさんのような詳しい知識をお持ちの方は、少し不便になりましょうが、我慢していただきたい(wikiを簡便に利用する人が多くなっているのですから)。紹介して下さった『最新歴史年表』の巧妙さを一般の方はおそらく見抜くことが出来ないでしょう。ですから、かなり詳しい説明が必要となるはずです。そのためにも統合表の方が都合が良いと考えます。--ちえカラス会話2013年3月30日 (土) 01:53 (UTC)

統合表を用意することに賛成します。そして人物記事にも今まで通りに置くのがよいと思います。「隠す」「表示」機能があるのですから、置いて邪魔になるものではないでしょう。ウィキペディアは紙数の制限を受けないので、大型で分厚い『日本史総合年表』を量で超えてもいいのです。そして繰り返しになりますが、知識制限が良いこととは思えません。民衆を善導するために余計な知識をカットして正統思想だけを刷り込む、というのは明治の文部省が考えたことではありませんか。正反対の方向で同じことをしても良いことはありませんよ。だから私には、ちえカラスさんが考える便益が便益と思えないのです。人物記事から対照表を除くのは、1クリック余計にかかる不便にすぎませんから、私の反対も気持ちとしては少しの反対です。しかし得られる利益がないことに、賛成の気持ちはおきないのです。--Kinori会話2013年3月31日 (日) 01:18 (UTC)

残念ながら、Kinoriさんの同意を得るには時間がかかりそうですね。ならば、ともかく現在の誤った対照表を削除することだけでも同意して下さい。そうでないと、私の問題提起と皆さんのご協力でせっかく訂正された、各天皇の項目での内容や歴代天皇表の記載と対照表との矛盾が放置されてしまうことになるからです。何度も書きますが、現実に弊害が生じているのですから、早急に削除をお願いしたい。  それにしてもKinoriさんを代表として詳しい知識をお持ちの方々が、これまでのwikiの記載をなぜ放置されてこられたのでしょうか、不可解でなりません。--ちえカラス会話2013年3月31日 (日) 07:34 (UTC)

いや、詳しい知識を持っているからこそ、置いて邪魔にならない表をあえて除去する気にならなかったのですよ。私も含めて。本文に非実在性を書いてあれば、それでよしとしてきた利用者の気持ちはわかります。常識ですから。ですが、ちえカラスさんの提言で、その「常識」が通用しない一部の現実を知らされた訳です。
私は今もってKinoriさんのご意見も理解出来ます。だから、例えば各天皇記事においては「隠す」機能を必須として、更に「日本書紀による」、「実際の年代とは考えられない」と明記しさえすれば事足りるという気持ちもあります。私個人としては、どちらでもよいのです。ここでは、折り合いのつく着地点を模索しているだけなのです。--ろう(Law soma) 2013年4月1日 (月) 03:30 (UTC)

Law somaさんが書かれたことは理解できないですね。現行の対照表は現在の学問水準からみて、明らかに誤ったものです。それをそのままにして「置いて邪魔にならない」と受け止めるのは、歴史学の根本である年代観を理解されていない、ということになりますよ。  いずれにせよ、誤った現行の対照表は早急に削除するべきです。どのように改善するのか、新しい対照表をどのように掲示するのか、などはその次の段階で良いでしょう。--ちえカラス会話2013年4月1日 (月) 13:58 (UTC)

何と言いましょうか、現行の対照表が現在の日本史の学問水準からみて誤ったものであることに異論はないのですよ。ただ、「そう言われてきた」という資料なのです。天皇記事は日本史分野が主領域になりますが、神道や民俗学の範疇にも入るものです。伝承であり現在の学問水準からみて事実とは認められないことが明記されていれば、それでもよい、という立場です。
もちろん、これまで私の個人的意見を押しつけようと議論してきたわけではありません。私の出している「折り合いのつく着地点」は、今でも「Aの時代に関しては、掲載しない/Bの時代では、「日本書紀による」と明記/Cの時代では、掲載」です。ちえカラスさんが許容されるなら、「Aの時代に関しては、年表記事へのリンクのみ」と変更しますが。Kinoriさんも、「私の反対も気持ちとしては少しの反対です。」とおっしゃっているように、何が何でも反対な訳ではありません。この場面でちえカラスさんにお願いしたいことは、ご自分が理解出来る出来ないではなく、「得られる利益」の明確な説明です。--ろう(Law soma) 2013年4月2日 (火) 01:23 (UTC)

Law somaさん、「「得られる利益」の明確な説明」とありますが、どういうことでしょうか。何度も書きましたように、知識のあまりない学生たちの誤解を防ぐためですが。また、現状でのwiki記載の矛盾を解消するためです。これで、よろしいでしょうか。  ところで、神道や民俗学に興味を持たれているのですか。それならば、仰ることが分かりやすくなります。両分野ともに時代による変化をあまり認めようとはしませんから。ただ、神道というのは、学問というより信仰という要素が混入してきますね。注意が必要となるでしょう。また民俗学についても慎重さが必要でしょう。それは、主な素材となる伝承というものが奇想天外な一面をも含みうるからです。その一例として、民俗学を専攻する方から聞いた話を紹介しておきます。それは、兵庫県の明石には光源氏の子孫と自称する一家(族)が存在する、というものです。その伝承がどのような経緯で成立したのか、詳しいことは確認できなかったのですが、伝承というものの一面を象徴していると言えるでしょう。また以前に記したことですが、伝承にはいくつもの層が重なっており、それを一つ一つ慎重に弁別する必要もあります。そして、その確かな方法は未だに見出されていないでしょう。ですから、古代史では両分野にはあまり関わらないのです。その辺りが、一般の方には不満なのでしょうが。--ちえカラス会話2013年4月2日 (火) 13:40 (UTC)

「「得られる利益」の明確な説明」と書きましたのは、Kinoriさんが2013年3月31日 (日) 01:18 (UTC)に「しかし得られる利益がないことに、賛成の気持ちはおきないのです。」と書かれていることに対応しております。表の除去に消極的にではあれ反対しているKinoriさんに、その「得られる利益」を、これまでちえカラスさんが書かれてきたことに加えて何か説明されては如何かと思った次第です。
神道や民俗学に関して、私自身が興味を持っているか否かは、特に関係ありません。百科事典の利用者は、そのような分野に興味があって調べたいと思っている人も含まれるということを言いたかったのです。Wikipediaは百科事典であり、歴史用語辞典でも人物事典でもありません。複数の分野にまたがる項目については、複数の視点が欠かせないのです。私は天皇記事が「日本史分野が主領域」という事実は認識しております。それでも他分野への配慮をしつつ書かねばならないのではないでしょうか。--ろう(Law soma) 2013年4月3日 (水) 01:16 (UTC)
私見を。統合表への移行を私も初めは考えていたので、私の考えた「得られる利益」を挙げると、
  • 「余計なワンクリック」という「不便」を通して、初学者が「その天皇の非実在」をより認識できる。
  • 「他の天皇のページにはあるのに対照表がない」ということからも、それをより認識できる。人間は文には目を通さながちなので(これまでの人生経験上)。
の2点を考えておりました。あくまでも初学者に対してのみですが、ちえカラスさんの言う「弊害」が上記により防げるのならば、それは「利益」にあたるのではないでしょうか。--Saigen Jiro会話2013年4月3日 (水) 07:52 (UTC)

Saigen Jiroさん、私の意見を補足して下さって、有り難うございます。しかしLaw somaさんの指摘される「他分野への配慮」も、他の項目記事と矛盾し、しかも誤った情報を提供したのでは意味をなさないでしょう。ですから、まず現在の対照表を削除した後に、統合表へ移行するのか、分割表も並行して掲示するのか、また、対照表の内容をどこまでとするのか、などについてじっくりと議論するのが最善ではないですか、と提案しているわけです。いかがでしょうか。--ちえカラス会話2013年4月3日 (水) 13:35 (UTC)

「Aの対照表を併存するかしないか」が現状の着地可能点なのに「まず削除」では議論にならないでしょう。また、現行の対照表がその期間Wikipediaのどこにも無くなる状態になることを考えると、少なくとも私は同意できません。対照表が継続される編集をしていくべきと考えます。これまでの「人物記事にも今まで通りに対照表を置くのがよい」という意見に対して「誤った対照表を削除することだけでも同意して下さい」という件や、「「得られる利益」の明確な説明を」に対して「そんなことより早く削除を」という姿勢のように、建設的な議論をする姿勢がちえカラスさんから見えないため、もっと早くまとまる議論もまとまらないのです。私としても早く収束させたいので、先にも補足させて頂きました。
(追記) 統合対照表の作成自体には異論はありませんでしたので、上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧としてとりあえず作成しました(copy&pasteながら)。これで議論もしやすくなれば幸いです。--Saigen Jiro会話2013年4月3日 (水) 16:45 (UTC)
Saigen Jiroさん、お手数をおかけしました。ありがとうございます。ちえカラスさん、私は最初から「Aの時代に関しては、掲載しない/Bの時代では、「日本書紀による」と明記/Cの時代では、掲載」と言っており、また、追加で「Aの時代に関しては、年表記事へのリンクのみ」でもよい旨提示しております。いずれ、ここで話し合っていることは、お互いの立場についての論争ではなく、お互いの考えているメリット・デメリットを考慮した場合、どのような記述が最も読者のためになるかということです。前向きに着地点の模索にご参加ください。Kinoriさん、おっしゃる「利益」として、上記Saigen Jiroさんご提示のメリットに加え、繰り返しになりますが私が上で書いた「複数の説を併記しやすく、更に干支のチェックもし易い」もご検討ください。現状の(Saigen Jiroさん作成の)統合表を縦表に修正し、列を加え、別の説を追加すれば、もっと使い勝手がよくなり誤解も少なくなると考えております。--ろう(Law soma) 2013年4月4日 (木) 00:14 (UTC)
(追記)統合表が作成された現状での今後の進め方について、私としては、
  1. 各天皇記事にある対照表を削除するか否かの合意を得る
  2. 統合対照表の体裁・内容をどのようにするのか話し合う
の順で進めていきたいと考えております。Kinoriさんのレスポンスをお願いします。--ろう(Law soma) 2013年4月4日 (木) 00:19 (UTC)
作成してくださったSaigen Jiroさんに感謝します。統合表には人物別の表では得られない利益がある、という点にはまったく同意です。その利益の中には、Law somaさんが挙げたこともあるでしょうし、また別の良い点もあるかもしれません。それに対し、人物別の表では西暦年にたどりつくまでの検索時間の短さという、これまた軽視できない利点があります。両方にメリットとデメリットがあるのなら、両方残して利用者に好きなようにさせればよいというのが私の考えです。既に述べたことの繰り返しになりそうですが、一般的に学問というものは、誤った説を見せないように、触れさせないようにと動くものではないはずです。愚にもつかない珍説は別段として、日本書紀の紀年は、現代の歴史学でも全然参照されないものではないのですから。そして、我々が作ろうとする百科事典は、中学・高校生ややる気がない大学生に読者を絞ったものではなく、調べる意欲と日本語を読む能力を持ったすべての人を対象にしたものでしょう。そういう意味で、Saigen Jiroさんが挙げた欠点については、人によってはそういう事もあるかもしれないが皆がそれに縛られることはないだろう、と考えるのです。しかし、まあ、私が強く反対するのは全然消してしまうことです。リンクを引いて場所を移すことに強い反対はありません。両方に置くという意見に納得していいだけるならありがたいことですが、皆さんがそうは思わないと言うなら仕方がないかと思っています。--Kinori会話2013年4月5日 (金) 13:24 (UTC)

Saigen Jiroさんに誤解させるような書き方で、申し訳なかったです。わたしが対照表をいったん削除してはいかがか、と記したのは「Kinoriさんの同意を得るには時間がかかりそうですね。ならば」ということであったのです。もちろんKinoriさんが同意して下されば、先へ進めてもらって結構です。ですから、Law somaさんが提示された手順で話を進めていくことに異存はありません。ただ、いささか納得できないのは、編集に関わっている皆さんの便宜を考慮する必要があるのか、ということです。しかし、こうした疑問を提示することで議論の進行を阻害しようとするものではありません。--ちえカラス会話2013年4月6日 (土) 14:12 (UTC)

皆さんのご意見はもっともではありますが、着地可能点となるとLaw somaさんの案となるでしょうか。私もそれに同意します。Law somaさん、いかがでしょう。--Saigen Jiro会話2013年4月6日 (土) 15:47 (UTC)

皆さん、ご意見ありがとうございます。いずれ、現在のところSaigen Jiroさんが作成してくださった統合表を削除すべきという意見はありません。個別天皇記事の対照表の除去に関しては、Kinoriさんが消極的反対、ちえカラスさんが積極的賛成、Saigen Jiroさんと私が消極的賛成といったところではないか、と受け止めております。
では、Kinoriさんには申し訳ありませんが、個別天皇記事における対照表について、「Aの時代に関しては、除去し、統合表へのリンクを貼る/Bの時代では、「日本書紀による」と明記して対照表を残す/Cの時代では、これまでどおり掲載する」という案でいきたいと思いますが皆さん如何ですか?--ろう(Law soma) 2013年4月8日 (月) 01:03 (UTC)
賛成 異論ありません。--Saigen Jiro会話2013年4月8日 (月) 03:41 (UTC)

私も賛成します。よろしく進めて下さい。--ちえカラス会話2013年4月8日 (月) 12:17 (UTC) 

賛成ではありませんが、私一人の反対で止めるようなことではありませんので、そのように進めてください。--Kinori会話2013年4月8日 (月) 23:52 (UTC)

皆さん、特にKinoriさん、ありがとうございます。それでは、各プロジェクトにも周知していますので数日異論を受け付けますが、概ね合意できましたので来週には作業にかかりたいと思います。--ろう(Law soma) 2013年4月9日 (火) 00:10 (UTC)

相当期間異論がありませんでしたので、各天皇での作業を行いました。--Saigen Jiro会話2013年4月17日 (水) 01:19 (UTC)
Saigen Jiroさん、まとまった時間がとれなくて取りかかっておりませんでした。ありがとうございました。--ろう(Law soma) 2013年4月17日 (水) 03:23 (UTC)
横からのレスで失礼ですが、上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧の作成にあたり、Wikipedia:ページの分割と統合にある「編集履歴の継承」は考慮されたのでしょうか? 要約欄に「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧へ統合」か「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧へ一部転記」と記されていれば最低限の条件はクリアされたのですが。このままだと誰かが削除依頼したら受理されかねません。--SRIA会話2013年4月17日 (水) 06:35 (UTC)
SRIAさん、ご指摘ありがとうございます。完全に抜かっておりました。今からどんな対処をすれば良いでしょうか?--Saigen Jiro会話2013年4月17日 (水) 12:10 (UTC)
私も確認しておりませんでした。申し訳ありません。今後の対処としては、最も筋が通った適切なものとしては、1.各天皇記事から表を除去した編集を一旦全部を取り消した上で、要約欄に「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧に転記・分割」と書いて再度除去する。2.上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧を空編集し、要約欄に各天皇記事のリンクを貼って(入らないならノートに書いてノートへのリンクを貼るのも可かと思います)「~より転記」と書く。3.上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧の特定版(第1版と第2版)削除依頼を出す。というものでしょう。
とは言え、現状ではここのノートへのリンクも貼られており、一応の履歴訴求性は確保されています。上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧の削除依頼を出してコメントを募集することを先にするというのも、一つの手かもしれません。--ろう(Law soma) 2013年4月18日 (木) 00:03 (UTC)
(インデント戻します)返事が遅くなりました。上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧は、現時点でSaigen Jiroさんの履歴しか存在しないので、初版投稿者による即時削除依頼が可能です。記事冒頭に「{{即時削除|全般8|コメント=要約欄でのコピー元履歴の不掲載}}」と貼れば、Wikipedia:削除依頼にかけなくとも管理者権限ですぐに記事が削除されます。その後、1.各天皇記事から表を除去した編集を差し戻し、2.上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧を再作成して、要約欄に各天皇記事のリンクを貼り、3.各天皇記事から表を削除して要約欄に「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧に統合」とすれば問題ないと思われます。多分この方法が一番すっきりして簡単だと思います。--SRIA会話2013年4月18日 (木) 16:30 (UTC)
Law somaさん、SRIAさん、お返事ありがとうございます。上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧を一旦削除依頼にし、各天皇記事も変更前に戻しました。今後、一覧を再作成し、各天皇記事からの統合の旨を(要約欄に入りきらないので)一覧のノートに記載するとともに、各天皇記事においてもご指摘のようにすることといたします。対処方法を教えて頂き、感謝申し上げます。--Saigen Jiro会話2013年4月19日 (金) 14:32 (UTC)
一応、一連の作業を終えました(これでよろしければ)。お手数をおかけし申し訳ありませんでした。--Saigen Jiro会話2013年4月19日 (金) 14:58 (UTC)

Saigen Jiroさん、Law somaさん、本当に有り難うございました。これで、wikiの記述もようやく正常なものとなりました。感謝致します。--ちえカラス会話2013年4月21日 (日) 04:30 (UTC)

報告 Saigen Jiroさんはじめ、議論にご参加の皆さん、お疲れ様でした。以後、統合対照表の体裁・内容をどのようにするのか話し合う場は、当該記事のノートで行うべきだと思いますので(それほど急ぎの案件ではないものの)、こちらでお願いします。--ろう(Law soma) 2013年4月22日 (月) 00:48 (UTC)

Template:日本の元号について

[編集]

はじめてこちらに書き込ませていただきます。Template:日本の元号が、以前の「前後の元号を指定して表記する形式」から一覧テンプレートに変更され、Template:中国の元号Template:ベトナムの元号と形式が乖離するようになっています。編集されたY.kansuke氏は9月以降編集行為を行われていないので、こちらで意見を求めることにした次第です。私個人としては「日本」か「中国・ベトナム」のいずれかの形式に統一するほうが望ましいと思いますので、ご意見をいただければと思います。--F.M.H会話2013年11月24日 (日) 10:59 (UTC)

報告 時間が経っていることに鑑み、上記の投稿者の会話ページで質問をしています。回答を待ってからコメントなど行いたいと思います。--ボンバスパンチ会話2019年2月3日 (日) 06:51 (UTC)