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プリトビパティ・シャハ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プリトビパティ・シャハ(Prithvipati Shah、生年不詳 - 1716年)は、ネパールゴルカ王国の第8代君主(在位:1673年 - 1716年)。第7代君主ルドラ・シャハの息子。

生涯

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1673年、父王ルドラ・シャハが死亡したことにより、王位を継承した[1]

プリトビパティはラーム・シャハ以来続いてきたパタンとの友好政策を転換し、三都マッラ朝パタン・マッラ朝カトマンズ・マッラ朝バクタプル・マッラ朝)に対して様々な権謀戦術を用いた[2]。それはゴルカの影響力を盆地に浸透させるためでもあった。

1678年カトマンズを訪れてヌリペーンドラ・マッラと会い、カトマンズ・マッラ朝と同盟し、新たな外交政策に乗り出した[2]

その後、1683年にはパタン王シュリーニヴァーサ・マッラと談合したが、1685年に同王が退位すると、カトマンズ王パールティヴェーンドラ・マッラ、バクタプル王ジターミトラ・マッラとカトマンズで会合し、パタンを孤立化させた[2]

1700年、カトマンズ王ブーパーレーンドラ・マッラが死亡すると、今度はバクタプル王ブーパティーンドラ・マッラに味方し、パタンに圧力をかけ、カトマンズを孤立させた[2]

1716年、プリトビパティ・シャハは死亡し、孫ナラ・ブーパール・シャハが王位を継承した[1]

脚注

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  1. ^ a b Nepal 3
  2. ^ a b c d 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.488

参考文献

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  • 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目

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