プリトビパティ・シャハ
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プリトビパティ・シャハ(Prithvipati Shah、生年不詳 - 1716年)は、ネパール、ゴルカ王国の第8代君主(在位:1673年 - 1716年)。第7代君主ルドラ・シャハの息子。
生涯
[編集]1673年、父王ルドラ・シャハが死亡したことにより、王位を継承した[1]。
プリトビパティはラーム・シャハ以来続いてきたパタンとの友好政策を転換し、三都マッラ朝(パタン・マッラ朝、カトマンズ・マッラ朝、バクタプル・マッラ朝)に対して様々な権謀戦術を用いた[2]。それはゴルカの影響力を盆地に浸透させるためでもあった。
1678年、カトマンズを訪れてヌリペーンドラ・マッラと会い、カトマンズ・マッラ朝と同盟し、新たな外交政策に乗り出した[2]。
その後、1683年にはパタン王シュリーニヴァーサ・マッラと談合したが、1685年に同王が退位すると、カトマンズ王パールティヴェーンドラ・マッラ、バクタプル王ジターミトラ・マッラとカトマンズで会合し、パタンを孤立化させた[2]。
1700年、カトマンズ王ブーパーレーンドラ・マッラが死亡すると、今度はバクタプル王ブーパティーンドラ・マッラに味方し、パタンに圧力をかけ、カトマンズを孤立させた[2]。
1716年、プリトビパティ・シャハは死亡し、孫ナラ・ブーパール・シャハが王位を継承した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。