プリツカー家
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プリツカー家 Pritzker | |
---|---|
民族 |
ユダヤ系アメリカ人 |
出身地 | ウクライナ・キエフ |
根拠地 | イリノイ州シカゴ |
家祖 | エイブラム・ニコラス・プリツカー |
著名な人物 |
ジェイ・プリツカー ペニー・プリツカー J・B・プリツカー |
プリツカー家(英: Pritzker family)は、ユダヤ系アメリカ人の[1]実業家・慈善家の家系である。『フォーブス』誌の"America's Richest Families"に、1982年の発表開始以来常にトップ10に入っている富豪の一族である。20世紀に入ってから、特にホテルグループのハイアットによって財産を構築した。
一族は、ハイアットグループのほかに製造業のコングロマリットであるマーモン・グループを保有していたが、バークシャー・ハサウェイに売却した[2]。そのほか、シカゴ・スペリオール銀行(2001年に破綻)、トランスユニオン、ブラニフ航空、雑誌『マコールズ』、ロイヤル・カリビアン・インターナショナルなどを保有している。
1881年にウクライナ・キエフからアメリカに渡りイリノイ州シカゴに定住したニコラス・プリツカーを祖とする。現在もシカゴを本拠としている[3]。
家系
[編集]- ヤコブ・プリツカー (1831–1896)、ソフィア・シュワルツマン (1850–1910)
- ニコラス・プリツカー (1871–1957) - キエフからシカゴに渡り、プリツカー&プリツカー法律事務所を設立。レフ・シェストフのいとこ[4]。アニー・P・コーンと結婚する。
- ハリー・ニコラス・プリツカー (1893–1957) - 弁護士で、プリツカー&プリツカー法律事務所を継ぐ。エレナ・ストーンと結婚。
- リチャード・S・プリツカー (1944-2015) - ロリ・ハートと結婚
- ジョアン・プリツカー (1946–1955)
- エイブラム・ニコラス・プリツカー (1896–1986) - 実業家としてのプリツカー家の祖。ファニー・ドッペルトと結婚。
- ジェイ・プリツカー (1922–1999) - ハイアットの共同創業者、慈善家。プリツカー賞を創設。マリアン・"シンディー"・フレンドと結婚。
- ナンシー・プリツカー (1948–1972)
- トーマス・プリツカー (1950-) - プリツカー・オーガナイゼーションの代表。マーゴット・マーシャルと結婚。
- ジョン・プリツカー (1953-)
- アダム・プリツカー (1984-) - 非営利教育組織「ゼネラル・アセンブリー」を設立。コロンビア大学評議員
- ダニエル・プリツカー (1959 - ) - ロックバンド「ソニア・ダダ」を設立し、ギターと作曲を担当。カレン・エデンソードと結婚。
- ジーン・"ジジ"・プリツカー (1962-) - 映画制作者。マイケル・パッカーと結婚。
- ロバート・プリツカー (1926–2011) - マーモン・グループを設立。慈善家。オードリー・ギルバート、アイリーン・ドライバーグ、マヤリ・サージェントと結婚。
- ジェニファー・N・プリツカー (1950-) - 元陸軍中佐。プリツカー軍事博物館・図書館を開設[5][6]。ジェームズ・N・プリツカーとして生まれたが、トランスジェンダーであることを公表し、法的に現在の名前に改名した。
- リンダ・プリツカー (1953-) - チベット仏教のラマ、作家。
- カレン・プリツカー (1958-) - マイケル・ヴロックと結婚。
- マシュー・プリツカー (1982-)
- リーゼル・プリツカー (1984-) -女優。イアン・シモンズと結婚。
- ドナルド・プリツカー (1932–1972) - ハイアットの共同創業者。スー・サンデルと結婚。
- ジェイ・プリツカー (1922–1999) - ハイアットの共同創業者、慈善家。プリツカー賞を創設。マリアン・"シンディー"・フレンドと結婚。
- ジャック・ニコラス・プリツカー (1904–1979) - 不動産業者、弁護士。ローダ・プリツカー(1914–2007)と結婚。
- ニコラス・J・プリツカー (1944-) - ハイアット・デベロップメントCEO。スーザン・ストーウェルと結婚。
- ハリー・ニコラス・プリツカー (1893–1957) - 弁護士で、プリツカー&プリツカー法律事務所を継ぐ。エレナ・ストーンと結婚。
- ニコラス・プリツカー (1871–1957) - キエフからシカゴに渡り、プリツカー&プリツカー法律事務所を設立。レフ・シェストフのいとこ[4]。アニー・P・コーンと結婚する。
一族の財産
[編集]1995年、ハイアットの共同創業者のジェイ・プリツカーが退任し、長男のトーマス・プリツカーにプリツカー・オーガナイゼーションの代表権が移譲された[3]。1999年にジェイ・プリツカーが亡くなり、その財産が11人の親族に、それぞれ推定14億ドルずつ相続された[3]。2005年、相続の対象外となった親族2人からの訴訟が起こされ、1人推定5億ドルの相続で和解した[8][9][10]。相続は2011年に完了し、一族は、ビジネスや慈善事業、芸術活動など、それぞれ別の活動を行うようになった[11]
2015年のフォーブス400にランク入りしたプリツカー家の一族を以下に示す[12]。
順位 | 氏名 | 純資産 (億ドル) |
---|---|---|
557 | アンソニー・プリツカー | 31 |
512 | J・B・プリツカー | 34 |
847 | ジョン・プリツカー | 26 |
551 | トーマス・プリツカー | 31 |
737 | ペニー・プリツカー | 25 |
847 | ダニエル・プリツカー | 22 |
1054 | ジェニファー・プリツカー | 17.8 |
737 | ジジ・プリツカー | 25 |
381 | カレン・プリツカー | 43 |
1054 | リンダ・プリツカー | 18.5 |
1250 | ニコラス・J・プリツカー | 14.8 |
合計 | 290 |
名前を冠したもの
[編集]- シカゴ大学プリツカー医学部
- ノースウェスタン大学プリツカー法学部
- プリツカー小学校
- プリツカー賞
- プリッツカー軍事博物館・図書館
脚注
[編集]- ^ “Pritzker family”. Encyclopædia Britannica. 20 September 2013閲覧。
- ^ Bajaj, Vikas (December 26, 2007). “Rapidly, Buffett Secures a Deal for $4.5 Billion”. The New York Times 29 October 2015閲覧。
- ^ a b c Chandler, Susan; Bergen, Kathy (June 12, 2005). “Inside the Pritzker family feud”. Chicago Tribune 2016年3月21日閲覧。
- ^ Baranova-Shestova, N.L.. The Life of Lev Shestov. p. 290. ISBN 978-5-458-24845-7
- ^ Geidner, Chris (August 23, 2013). “Billionaire Backer Of Open Transgender Military Service Comes Out As Transgender”. BuzzFeed August 23, 2013閲覧。
- ^ “James Pritzker opens new chapter in her life”. 16 March 2017閲覧。
- ^ “JB Pritzker wins the Illinois Democratic primary – facing off against a deeply unpopular Republican governor in a blue state this fall”. 2022年3月2日閲覧。
- ^ Wilgoren, Jodi (2005年1月7日). “$900 Million Accord Enables Breakup of Pritzker Dynasty” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331
- ^ Chandler, Susan (February 12, 2004). “Judge sets hearing on sealed Pritzker cases” (英語). Chicago Tribune. 2020年11月23日閲覧。
- ^ “Shattered Dynasty”. Vanity Fair (June 2007). 2011年11月5日閲覧。
- ^ “Pritzker family agreement to divide wealth comes to a close”. Chicago Tribune. (June 12, 2005) 2016年3月21日閲覧。
- ^ Peterson-Withorn, Chase (Sep 29, 2015). “2015 Forbes 400: Full List Of America's Richest People” (英語). Forbes. 2020年11月23日閲覧。