プランジャー (原子力潜水艦)
艦歴 | |
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発注: | 1959年3月23日 |
起工: | 1960年3月2日 |
進水: | 1961年12月9日 |
就役: | 1962年11月21日 |
退役: | 1990年2月2日 |
除籍: | 1990年2月2日 |
その後: | 原子力艦再利用プログラム |
性能諸元 | |
排水量: | 水上:3,540トン、水中:4,300トン |
全長: | 89.9 m (295 ft) |
全幅: | 31 ft 8 in |
吃水: | |
機関: | S5W reactor |
最大速: | 20+ ノット |
乗員: | 士官、兵員100名 |
兵装: | 21インチ魚雷発射管4基、サブロック |
モットー: |
プランジャー (USS Plunger, SSN-595) は、アメリカ海軍の原子力潜水艦。パーミット級原子力潜水艦の3番艦。その名を持つ艦としてはポーパス級潜水艦8番艦(SS-179)以来3隻目。
艦歴
[編集]プランジャーの建造は1959年3月23日にメア・アイランド海軍造船所に発注され、1960年3月2日に起工した。当初は SSGN(原子力巡航ミサイル潜水艦)として建造される予定であったが、起工時までに SSN(原子力攻撃型潜水艦)へ変更される。1961年12月9日にクリントン・P・アンダーソン夫人によって命名、進水し、1962年11月21日にウィリアム・M・アダムズ・ジュニア艦長の指揮下就役した。
11月27日にピュージェット湾での魚雷発射管および聴音機器の試験を行った後、プランジャーは1963年1月5日にメア・アイランドを出航し、真珠湾に向けて整調巡航を行う。プランジャーはメア・アイランドを母港としてソナーおよび火器管制システムの試験を行い、4月1日に母港を真珠湾に変更、第71潜水艦戦隊司令部旗艦となる。
プランジャーは性能試験を継続し、最新型攻撃原潜としての評価が行われた。春から夏にかけて西海岸沖で作戦活動に従事し、1964年9月15日にウェーク島に向かい、潜水艦戦隊のミサイル発射評価試験を行った。
1965年1月にプランジャーは真珠湾に戻り、ドナルド・ホーニッグ博士(科学技術担当大統領特別補佐官)に海軍の対潜水艦戦最新兵器システムの能力をデモンストレーションするために選ばれた。ウェーク島で5月に潜水艦戦隊の訓練試験、 C/S-17 に参加する。9月には西太平洋配備の準備に入り、1966年半ばまで西太平洋で活動した。この配備の間にプランジャーは AN/BQQ-1 ソナーシステムの評価試験を行い、沖縄とスービック海軍基地を訪れている。また、対潜水艦戦訓練および海洋調査、港湾調査を行った。
1967年、第7潜水戦隊と共にプランジャーは真珠湾で太平洋艦隊での対潜水艦戦訓練の準備を行う。3月6日から22日まで対潜水艦戦訓練に参加し、その後も訓練活動を継続した。真珠湾での停泊期間にプランジャーは艦隊訓練計画に従事した。1967年の後半はピュージェット・サウンドを母港とし、1968年2月1日に真珠湾に戻る。
1986年にはマージョリー・ステレット戦艦基金賞を受賞した。
プランジャーは1989年2月10日に不活性化が行われ、1990年1月3日に退役、1990年2月2日に除籍された。その後ワシントン州ブレマートンで原子力艦再利用プログラムの下1995年1月5日に解体が始まり、1996年3月8日に作業は完了した。