ブライアン・ブレアー
ブライアン・ブレアー | |
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2014年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ブライアン・ブレアー B・ブライアン・ブレアー キラー・ビー |
本名 |
ブライアン・レズリー・ブレアー (Brian Leslie Blair) |
身長 | 183cm - 185cm |
体重 | 101kg - 107kg |
誕生日 | 1954年1月12日(70歳)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 インディアナ州 レイク郡ゲーリー |
スポーツ歴 |
アメリカンフットボール レスリング |
トレーナー | ヒロ・マツダ |
デビュー | 1977年 |
ブライアン・ブレアー(B. Brian Blair、1954年1月12日[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。インディアナ州ゲーリー出身。
1980年代を全盛期に、一貫してベビーフェイスのポジションで活動した[1]。WWFにおけるジム・ブランゼルとのタッグチーム、キラー・ビーズ(The Killer Bees)での活躍でも知られる[2]。
来歴
[編集]ルイビル大学卒業後、ヒロ・マツダのトレーニングを受け、エディ・グラハムが運営するNWAフロリダ地区にて1977年にデビュー[1]。以降、ボブ・ガイゲルの主宰するカンザスシティのNWAセントラル・ステーツ地区や、レロイ・マクガークが管理していたオクラホマのNWAトライステート地区などを転戦。1980年にはマクガークの娘のミシェル・キャサリン・マクガーク(1980年代末から1990年代初頭にかけて、WWF初の女性リングアナウンサーを務めていた "マイク" マクガーク)と結婚したが、後に離婚している[3]。
1981年はフリッツ・フォン・エリックの牛耳るテキサス州ダラスのWCCWに参戦して、キラー・ブルックスやスタン・スタージャックらベテランのヒール勢と対戦。6月にはアル・マドリルと組んでトーナメントに優勝し、NWAアメリカン・タッグ王座を獲得した[4]。1982年はフロリダに戻り、7月11日にジム・ガービンからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取したが、8月23日にブルーザー・ブロディに敗れタイトルを失っている[5]。
1983年よりWWFに出場し、同年7月にWWFとの提携ルートで新日本プロレスに初来日。同時参加していたディック・マードックやアドリアン・アドニス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、兄弟子のポール・オーンドーフともタッグを組み、藤波辰巳、前田日明、長州力、アニマル浜口らと対戦した[6]。新日本には同年10月と翌1984年10月にも再来日している[7]。その後はWWFを一時離れて古巣のフロリダで活動、1985年1月6日にジェシー・バーを破りNWAフロリダ・ヘビー級王座を再び獲得[5]、4月10日にはリック・ルードからNWA南部ヘビー級王座を奪取した[8]。
1985年下期、同じくマツダの弟子であるハルク・ホーガンの提案により[9]、当時全米侵攻を推進させていたWWFにおいて、AWAから移籍してきたジム・ブランゼルとタッグチームを結成。両者ともにファミリーネームの頭文字が "B" であり、機動力を活かした空中戦を得意としていたことから、蜂(ビー)をイメージしたキャラクターとしてキラー・ビーズのチーム名が与えられた。黒と黄色の縞模様のショートタイツを履き、対戦相手を混乱させるため状況に応じて覆面レスラーに変身するなどの演出で子供たちの支持を獲得。WWF世界タッグ王座への戴冠は果たせなかったものの、ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート、ジム・ナイドハート)、ドリーム・チーム(ブルータス・ビーフケーキ、グレッグ・バレンタイン、ディノ・ブラボー)、ファンク・ファミリー(テリー・ファンク、ホス・ファンク、ジミー・ジャック・ファンク)などヒールのユニットと抗争を展開した[10][11]。
1988年8月にWWFを離脱し、以降は各地のインディー団体を転戦。1992年3月にはキラー・ビーのリングネームで新日本プロレスに久々に登場した。1994年にはカリフォルニア州マリナ・デル・レイのUWFでブランゼルとキラー・ビーズを再結成。1998年にはホームタウンのフロリダにて、インディー版として復活したNWAフロリダ・タッグ王座をスティーブ・カーンとのコンビで獲得[12]、2000年にもブッチ・ミラーとルーク・ウィリアムスのザ・ブッシュワッカーズを相手に同王座を争った。2001年10月7日にはカーン、ドリー・ファンク・ジュニア、ボブ・バックランドと共に、藤波辰爾の自主興行『無我』の後楽園ホール大会に来日、12日と13日の新日本プロレスの興行にも残留参戦した[13]。
引退後は2004年11月にタンパのカウンティ・コミッショナーに選出されるなど、フロリダの郡会議員となって活動している[1]。フロリダのインディー団体にも時折出場しており、2012年3月31日にマイアミビーチで行われたプロレスリング・スーパースターズ主催の "Tribute To Championship Wrestling From Florida" では、メインイベントの8人タッグチーム・エリミネーション・マッチにおいてマイク・グラハム、カルロス・コロン、ラニー・ポッフォと組み、マスクド・スーパースター、ロン・バス、ラリー・ズビスコ、ゲーリー・ロイヤル組と対戦した[14]。
2015年4月には、姪のチェルシー・ダイヤモンドがスターダムに参戦した[15]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- ナショナル・レスリング・リーグ
- NWLタッグ王座:1回(w / ポール・オーンドーフ)
- ユニバーサル・レスリング・フェデレーション
- UWFタッグ王座:1回(w / ジム・ブランゼル)
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Wrestler Profiles: Brian Blair”. Online World of Wrestling. 2011年3月9日閲覧。
- ^ “Tag Team Profiles: The Killer Bees”. Online World of Wrestling. 2011年3月9日閲覧。
- ^ “Miscellaneous Profiles: Michelle McGuirk”. Online World of Wrestling. 2011年3月9日閲覧。
- ^ a b “NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月9日閲覧。
- ^ a b c “NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月9日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by B. Brian Blair in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年6月11日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by B. Brian Blair in 1984”. Wrestlingdata.com. 2017年4月3日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月9日閲覧。
- ^ “B. Brian Blair Chat”. Slam Wrestling (2001年5月4日). 2011年3月9日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1986”. The History of WWE. 2011年3月9日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1987”. The History of WWE. 2011年3月9日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月9日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by B. Brian Blair in 2001”. Wrestlingdata.com. 2017年4月3日閲覧。
- ^ “PWS Tribute To Championship Wrestling From Florida”. Cagematch.net. 2017年4月3日閲覧。
- ^ “2015年4月12日 Grows up stars2015”. 株式会社スターダム (2015年4月12日). 2015年4月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- ブライアン・ブレアーのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database