フレデリック・シンジョン (第2代ボリングブルック子爵)
第2代ボリングブルック子爵および第3代シンジョン子爵フレデリック・シンジョン(英語: Frederick St John, 2nd Viscount Bolingbroke, 3rd Viscount St John、1732年12月21日 – 1787年5月5日)は、グレートブリテン王国の貴族。
生涯
[編集]第2代シンジョン子爵ジョン・シンジョンと妻アン(Anne、旧姓ファーニーズ(Furnese)、1747年7月11日没、第2代準男爵サー・ロバート・ファーニーズの娘)の息子として[1][2]、1732年12月21日に生まれ、1733年1月17日にハノーヴァー・スクエアのセント・ジョージ教会で洗礼を受けた[3]。イートン・カレッジで教育を受けた[1]。1748年11月26日に父が死去すると[3][4]、シンジョン子爵位を継承した[1]。1751年12月12日に伯父ヘンリーが死去すると、ボリングブルック子爵位の特別残余権(special remainder)に基づき爵位を継承、1754年2月12日に貴族院議員に就任した[1]。
1757年9月8日、ダイアナ・スペンサー(1808年8月1日没、第3代マールバラ公爵チャールズ・スペンサーの娘)と結婚[1]、下記の子女をもうけた。
- ジョージ・リチャード(1761年3月5日 – 1824年12月18日) - 第3代ボリングブルック子爵、第4代シンジョン子爵[1]
- フレデリック(1765年12月20日 – 1844年11月19日) - 陸軍軍人、庶民院議員。1788年12月8日、メアリー・カー(Mary Kerr、1791年2月6日没、第5代ロジアン侯爵ウィリアム・カーの娘)と結婚、子供あり。1793年4月6日、アラベラ・クレイヴェン(1819年6月9日没、第6代クレイヴェン男爵ウィリアム・クレイヴェンと妻エリザベスの娘)と再婚、子供あり。1821年11月14日、キャロライン・エリザベス・パーソンズ(Caroline Elizabeth Parsons、1869年5月27日没、J・パーソンズの娘)と再婚、子供あり[5][6]
しかし、ダイアナがトパム・ボークラーク(シドニー・ボークラーク卿の息子、初代セント・オールバンズ公爵チャールズ・ボークラークの孫)と不倫したため、ボリングブルック子爵は彼女を訴え、1768年3月10日に可決された法案に基づき離婚した[1]。ダイアナはその2日後にボークラークと再婚した[1]。
貴族院でははじめホイッグ党に属したが、1760年にジョージ3世が即位した後は国王支持に転じ、1765年印紙法の廃止に抗議した[1]。1761年11月3日にジョージ3世の寝室侍従に任命され、1765年7月21日に辞任した後、1768年1月2日に再び任命され、1780年9月14日に退任した[7]。
第4代チェスターフィールド伯爵フィリップ・スタンホープからは「彼の才能をもってして、伯父の名を冠する価値がないわけがない」(by his talents no way unworthy to bear his uncle's name)と評された[1]。
1787年5月5日に死去、息子ジョージ・リチャードが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 207–208.
- ^ Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 218.
- ^ a b Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 96.
- ^ Lea, R. S (1970). "ST. JOHN, Hon. John (1702-48), of Lydiard Tregoze, Wilts". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月4日閲覧。
- ^ Thorne, R. G. (1986). "ST. JOHN, Hon. Frederick (1765-1844), of Chailey, Sussex.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月4日閲覧。
- ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 1 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 273.
- ^ Bucholz, Robert Orland, ed. (2006). "Index of officers: Bi - Bo". Office-Holders in Modern Britain (英語). Vol. 11. London: University of London. pp. 758–783. British History Onlineより。
外部リンク
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