フリチョフ・バッケル=グロンダール
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フリチョフ・バッケル=グロンダール Fridtjof Backer-Grøndahl | |
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1905年 | |
基本情報 | |
生誕 |
1885年10月15日 スウェーデン=ノルウェー ノルウェー、クリスチャニア |
死没 |
1959年6月21日(73歳没) ノルウェー、オスロ |
ジャンル | クラシック |
職業 | ピアニスト、作曲家 |
フリチョフ・バッケル=グロンダール(Fridtjof Backer-Grøndahl, 1885年10月15日 - 1959年6月21日)は、ノルウェーのピアニスト、作曲家、音楽教師。
生涯
[編集]バッケル=グロンダールはクリスチャニア(現オスロ)に生まれた。父は指揮者、歌唱指導者のオラウス・アンドレアス・グロンダール、母はピアニストで作曲家のアガーテ・バッケル=グロンダールである。まず母から音楽の手ほどきを受け、18歳でコンサートデビューを飾った。ベルリン芸術大学に入学、エルンスト・ルドルフの薫陶を受ける。他にエルンスト・フォン・ドホナーニ、フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカからも個人的に指導を受けていた。
同郷の作曲家であり母の友人でもあったエドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲 イ短調』に関しては詳細な研究を行った。1905年からドイツと周辺諸国を巡る演奏旅行に赴き、1906年のアムステルダム、1907年のキールでは作曲者自身の指揮の下、この作品を演奏している。また、同作品の演奏に際してはヨハン・スヴェンセンとも共演している[1]。
1920年から1930年にかけてはイギリスに居を構えてユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで教鞭を執るとともに、コンサートを催してレパートリーであった自らの母やグリーグなどのノルウェーの作品を演奏した他[1]、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、ブラームスらの楽曲を取り上げた。
作曲家としてのバッケル=グロンダールはピアノ小品や歌曲集を作曲した。わずかながらグリーグの『抒情小曲集』の録音が遺されている。また、母の作品の録音も行っている。
1959年、73歳でオスロに没した。
主要作品
[編集]- Op.1 3つのピアノ小品 (1903年4月)
- Op.2 ピアノのためのエチュード ハ長調 (1905年)
- Op.3 2つのピアノ小品 (1905年)
- Op.4 Bryllupsvis (En Myrtekrans er skjøn at se) (1908年)
- Op.6 2つのピアノ小品 (1908年)
- Op.7 幻想曲集 (1908年)
- Op.9 3つの性格的小品 (1910年)
- Op.10 スペイン風の気分 (1910年)
- Op.11 子どもの情景 (1916年)
- Op.11と12 3つのピアノ小品 (1917年)
- Op.13 気分 (1920年)
- Op.14 3つの歌曲 (1931年)
- Op.15 7つの歌曲 (1934年–1935年)
- Op.16 7つの歌曲 (1937年)
- Op.17 4つの歌曲 (1936年)
- Op.18 3つの歌曲 (1940年)
- Op.19 Kjærlighedshymne (1944年)
- Op.20 3つのピアノ小品 (1945年)
- Op.21 夢想 (1945年)
- Op.22 スケルツォ ("Trykkfeilsdjevelen") (1946年)
- クリスマスイヴ (1944年)
- Julestemning (幸福なクリスマス) (1943年)
- Norge i brand for Kristus (Norge i flammer) (1936年)
出典
[編集]- ^ a b Backer-Grøndahl, Fridtjof, Grove's Dictionary of Music and Musicians, 5th ed., 1954, Vol. I, p. 341
外部リンク
[編集]- Fridtjof Backer-Grøndahl Norsk biografisk leksikon