フランツ・トスト
Franz Tost フランツ・トスト | |
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生誕 |
1956年1月20日(69歳) チロル州トリンス |
国籍 |
![]() |
出身校 |
インスブルック大学 ウィーン大学 |
職業 |
スポーツマネージャー スポーツコンサルタント スポーツエージェント 元レーシングドライバー |
雇用者 | レッドブル GmbH |
肩書き | スクーデリア・アルファタウリ(旧スクーデリア・トロ・ロッソ)代表 |
フランツ・トスト(Franz Tost、1956年1月20日 - )は、オーストリア出身の元レーシングドライバー、スポーツマネージャー。
青年期はレーシングドライバーとして活動。引退後はモータースポーツの管理職を歴任し、F1コンストラクター「スクーデリア・トロ・ロッソ」および「スクーデリア・アルファタウリ」のチーム代表を全期に渡って務めた。
経歴
[編集]青年期
[編集]20代まではレーシングドライバーとして参戦。フォーミュラ・フォード1600でチャンピオンになり、ドイツF3選手権へとステップアップ、F3初年度のチームメイトはフォルカー・ヴァイドラーだった。全日本ツーリングカー選手権などで活躍した同郷のローランド・ラッツェンバーガーとは親友で、ともに寝泊りしながらサーキットを転戦していた。
そしてインスブルック大学やウィーン大学でスポーツ科学、スポーツ経営について学び[1]、ヴァルター・レヒナー・レーシングスクールでチームマネージャーとして働いた。
1993年にウィリー・ウェーバーのマネージメント会社に加入し、ウェーバーが所有し、ミハエル・シューマッハが所属したことでも知られるWTSレーシングチームを任され、チームマネージャーとしてドイツF3選手権を戦った。
その後、ラルフ・シューマッハのマネージメントを任され、1996年にフォーミュラ・ニッポン及び全日本GT選手権(JGTC)に参戦するラルフと共に日本へと向かった。日本ではJGTCでラルフが所属したチーム郷とのつながりで、チーム創設者の郷和道の別荘に住んでいた。2022年現在も郷とは連絡を取り合う仲である[2]。
F1マネージャー時代
[編集]翌1997年、ラルフがF1へとステップアップしたため、トスト自身もF1の世界へと入る。ラルフがウィリアムズチームに移籍することとなると、そのウィリアムズと組んで2000年にF1に復帰することを計画していたBMWと合流し、レースやテストに必要な機材を運ぶトランスポーターの旅程などを決めるトラックオペレーションのマネージメントを任された。以後、2005年の末まで、この仕事を担った。
母国の大手企業レッドブル・グループがイタリアのF1チーム・ミナルディを買収し、2006年からF1コンストラクター「スクーデリア・トロ・ロッソ」として参戦を表明。過去にレーシングチームのマネージャーとして実績があるトストに白羽の矢を立て、同チームの代表に就任[3]。チームは、前身のミナルディも含めての初優勝(2008年)を飾るなどの手腕を発揮した[4]。
それからスクーデリア・トロロッソが2019年シーズンをもって、14年間の歴史で終了[5]。コンストラクターを新たに「スクーデリア・アルファタウリ」と改称し、継続してチーム代表を務めている[6]。そしてチーム改称初年度に初勝利し、トロロッソ時代から12年ぶりの快挙に貢献した[7]。
2023年シーズン限りでアルファタウリの代表退任を発表し[8]、同年末をもって勇退[9]。今後2年間は、レッドブル系チームの非常勤コンサルタントに就く[10]。
レース戦歴
[編集]ドイツ・フォーミュラ3選手権
[編集]年 | エントラント | シャーシ | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 順位 | ポイント |
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1983年 | ヴァルター・レヒナー・レーシングスクール | ラルト・RT3 | VW | A | AVU | MAI | NÜR | WUN | KAU | ERD 15 |
DIE | ZOL | NC | 0 | ||||||
1984年 | A | ZOL | HOC | AVU | MAI | KAU | WUN | NÜR | ERD | ZOL2 | SAL | NÜR2 Ret |
ZOL3 | NC | 0 | |||||
1985年 | Franz Tost | A | ZOL | NÜR 16 |
HOC DNS |
WUN 7 |
AVU | ÖST Ret |
ERD Ret |
NOR Ret |
HOC2 12 |
DIE 16 |
ZOL2 15 |
SAL Ret |
SIE | NÜR2 DNS |
23位 | 4 |
脚注
[編集]- ^ “フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える”. 日経ビジネス (2019年9月17日). 2020年2月2日閲覧。
- ^ 【F1インタビュー】角田のレースペースは「ライバルと遜色なかった」と元ホンダ山本氏が評価。レッドブルは“痛い”結果に - オートスポーツ・2022年3月24日
- ^ “F1 トロロッソ・ホンダ チーム代表 フランツ・トスト氏、「近い将来にFP1でホンダの若手ドライバーを走らせたい」”. Car Watch (2019年5月12日). 2019年11月23日閲覧。
- ^ “第14戦イタリアGP「小さなチームの大きな功績」”. Car Watch (2008年9月15日). 2019年11月23日閲覧。
- ^ “さらばトロロッソ、14年の歴史に有終の美「史上最も成功したシーズン。ホンダに心から感謝」”. formula1-data.com (2019年12月2日). 2020年2月1日閲覧。
- ^ “フランツ・トスト 「アルファタウリ・ホンダは優れたパッケージ」”. F1-Gate.com (2020年1月16日). 2020年2月1日閲覧。
- ^ “トスト代表、ホンダに感謝「ベッテル優勝から12年後、今度はガスリーが歴史を再現してくれた」/F1イタリアGP”. TopNews (2020年9月7日). 2020年9月7日閲覧。
- ^ アルファタウリF1の代表トストが2023年末に退任。後任のメキースと新CEOによる新リーダーシップ体制がスタートへ - オートスポーツ・2023年4月27日
- ^ “さらばアルファタウリ。名伯楽トスト代表、18年に及ぶF1キャリアに幕「ストレスさえ恋しく思うはず」”. motorsport.com (2023年12月24日). 2024年7月31日閲覧。
- ^ “レッドブルF1首脳、2人の王者を育てた功績を賞賛「フランツ・トストはコンサルタントとして2025年まで関わり続ける」”. TopNews (2023年11月27日). 2023年11月29日閲覧。