フランシスコ (ベージャ公)
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フランシスコ・デ・ブラガンサ D. Francisco de Bragança | |
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ベージャ公、ブラガンサ家 | |
ベージャ公フランシスコの肖像、ドメニコ・ドゥプラ作、1729年-1730年 | |
全名 |
Francisco Xavier José António Bento Urbano フランシスコ・シャビエル・ジョゼ・アントニオ・ベント・ウルバーノ |
出生 |
1691年5月25日 ポルトガル王国、リスボン |
死去 |
1742年7月21日 (51歳没) ポルトガル王国、オビドス |
埋葬 | ポルトガル王国、ブラガンサ王家霊廟 |
子女 |
ペドロ ジョアン |
父親 | ペドロ2世 |
母親 | マリー・ゾフィー・フォン・デア・プファルツ |
宗教 | ローマ・カトリック教会 |
ベージャ公フランシスコ・デ・ブラガンサ(ポルトガル語: D. Francisco de Bragança、1691年5月25日 - 1742年7月21日)[1]は、ポルトガル王国のインファンテ。ポルトガル王ペドロ2世と2人目の王妃マリー・ゾフィー・フォン・デア・プファルツの息子。
生涯
[編集]フランシスコは1691年5月25日、リスボンで生まれた。彼はベージャ公の称号とインファンタード家の領地を与えられた。王妃マリア・アンナの妹マリア・マグダレーナとの結婚の計画もあったが婚約は成立しなかった。
1716年、兄のジョアン5世が教皇クレメンス11世の呼びかけに応じてオーストリアとヴェネツィア共和国の対オスマン帝国戦争を支援、フランシスコとリオグランデ伯爵ロポ・フルタード・デ・メンドンサを指揮官とするポルトガル艦隊を派遣した[2]。
フランシスコは未婚のまま1742年7月21日にオビドスで死去し、リスボンのブラガンサ王家霊廟で埋蔵された。
子女
[編集]フランシスコは生涯結婚しなかったが、修道女マリアナ・シルヴィエラとの間で2人の私生児を産んだ。マリアナは1755年のリスボン大地震で死去した。
- ペドロ・デ・ブラガンサ(? - 1741年)
- ジョアン・ダ・ベンポスタ(1725年 - 1780年) - ポルトガル海軍の将軍、王室家令。アブランテシュ女公マリア・マルガリーダ・デ・ロレーナと結婚
脚注
[編集]- ^ “Infante Francisco of Portugal de Bragança”. 19 July 2010閲覧。
- ^ Nizza da Silva, p. 336.
参考文献
[編集]- Nizza da Silva, Maria Beatriz (2009) (Portuguese). Reis de Portugal: D. João V. Lisbon: Temas & Debates