フランコ・ドナトーニ
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フランコ・ドナトーニ | |
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基本情報 | |
生誕 | 1927年6月9日 |
出身地 | イタリア王国・ヴェローナ |
死没 |
2000年8月17日(73歳没) イタリア・ミラノ |
学歴 | ミラノ音楽院、マルティーニ音楽院、聖チェチーリア音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽、現代音楽 |
職業 | 作曲家 |
フランコ・ドナトーニ(Franco Donatoni、1927年6月9日 ヴェローナ- 2000年8月17日)は、イタリアの現代音楽の作曲家。
略歴
[編集]1927年6月9日にヴェローナに生まれる。ミラノ音楽院でエットレ・デスデリに、ボローニャのマルティーニ音楽院でリノ・リヴィアベッラに師事したのち、ローマの聖チェチーリア音楽院でイルデブランド・ピツェッティの上級作曲コースを卒業。1953年にはブルーノ・マデルナと出会い、1954年、1956年、1958年、1961年のダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加[1]。新古典主義的な作風からポスト・ウェーベルン的な書法を経て、ジョン・ケージの影響を受けた図形楽譜による作曲に傾斜。その後、引用やオートマティズムによる作曲技法を展開した。
教育者としては、後年ミラノ音楽院の作曲科教授とキジアーナ音楽院の客員教授を務めた。
主要作品
[編集]オペラ
[編集]- 「アルフレッド・アルフレッド Alfred, Alfred」(1995年)
オーケストラ
[編集]- 「Prom」(1999年)
- 「Esa」(2000年)
協奏曲
[編集]- ファゴットと弦楽のための「協奏曲 Concerto」(1952年)
- モダン・チェンバロとオーケストラのための「自画像 Portrait」(1976-77年)
- チェロと19人の奏者のための「階段上の小川 Le Ruisseau sur l'escalier」(1980年)
室内楽
[編集]- 5楽器のための「より静かに表現されたもの Etwas Ruhiger im Ausdruck」(1967年)[2]
- 15楽器のための「思い出 Souvenir」(1967年)
- 10弦楽器のための「ソロ Solo」(1969年)
- 10の楽器のための「息吹 Spiri」(1977年)
- 弦楽四重奏のための「ハートの眼 The Heart's Eye」(1979/80年)
- フルートとピアノのための「いくつもの糸 Fili」(1981年)
- 12楽器のための「テーマ Tema」(1982年)
- 11楽器のための「贈り物 Cadeau」(1984年)
- 弦楽四重奏のための「そのハツカネズミは笑わない」(1988年)
器楽
[編集]- チェンバロのための「BABAI」(1964年)
- ギターのための「アルゴ Algo」(1977年)
- ヴィオラのための「翼 Ali」(1977年)
- ピッコロのための「巣 Nidi」(1979年)
- クラリネットのための「光 Clair」(1980年)
- ヴィブラフォンのための「オマール Omar」(1985年)
- ピアノのための「フランソワーズ変奏曲」(1983-97年)*
声楽
[編集]- メゾソプラノと5楽器のための「最期 L'Ultima Sera」(1980年)
- 合唱とオーケストラのための「末尾に In cauda」(1983年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典 改訂版』三省堂、1996年、482頁。ISBN 4-385-13547-9。
- ^ a b 『アンサンブル・トーンシーク第2回演奏会(プログラム)』Ensemble Toneseek、2023年7月27日、3頁。