フランク赤木
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フランク 赤木 | |
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生誕 | 1939年8月5日(85歳) |
出身地 | 日本・福岡県 |
ジャンル |
カントリー 歌謡曲 ロカビリー |
職業 | 歌手、俳優 |
担当楽器 | ボーカル |
共同作業者 | ワゴン・マスターズ、ブーツ・ブラザース |
フランク 赤木(ふらんく あかぎ、1939年8月5日 - ?)は、福岡県出身の日本の歌手、俳優。
来歴
[編集]金融業を営む赤木逸平と房子のもと、次男としてハワイに生まれる。父の仕事の都合で満州・大連へ移住するが、終戦直後、父が急逝し、兄と姉が動員されたため、母とフランクの2人だけで、日本へ引揚げた[1]。その後、兄と姉が帰国し一緒に生活するが、母が亡くなったため、兄と姉は仕事に追われ、フランクは一人で留守番することが多くなり、その間に寂しさを紛らすために歌を歌うようになる[1]。
その頃、兄のすすめで習っていたボクシングの興行先でバンドと知り合い、小学6年生にして、バンドボーイとして米軍キャンプを回るようになる。ギターと歌に磨きをかけ、中学1年生にして上京。ウエスタンの「ワゴンマスター」に入る。17歳の時には、独立してデキシーバンド「ニュー・オルリンズ」を結成したが、その頃ロカビリーが急激に人気を集め、そのあおりをくって、三十万円の借金を残して解散しなければならなくなった[1]。
その後、小野満とスイングビーバース、ブルー・レンジャーズのボーイ等を経て、1962年にレイ・チャールズのカバー「愛さずにはいられない」でデビュー[2]。のちにザ・キングトーンズが吹込んだ「暗い港のブルース」[注釈 1] も歌った。非常に歌唱力のある歌手で、ザ・キングトーンズにも歌唱指導した[3]。
フランク赤木とブーツ・ブラザース、小坂一也とワゴンマスターズにも所属。寿司屋、電気屋、自転車屋、バンドボーイといろいろな職業を経験した。
1970年代以後、赤木の消息は不明とされる。
主な出演
[編集]映画
[編集]ディスコグラフィー
[編集]- 浅草の灯
- おんなの西銀座
- 悲しみは降る星のごとく
- 暗い港のブルース
- 零戦黒雲隊の歌
- 太陽の讃歌