フクパーク
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フクパーク(キノピヨ) | |
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欧字表記 | Fuku Park |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量42.96%) |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1950年5月20日 |
死没 | 不明 |
父 | ラツキーパーク |
母 | フクセカイ |
母の父 | オールグリーン(サラブレッド) |
生国 | 日本 北海道 浦河郡浦河町 |
生産者 | 不明 |
競走成績 | |
生涯成績 |
62勝(参考記録) 地方競馬52勝 中央競馬10勝(うち障害競走5勝) |
フクパークとは兵庫県競馬組合でかつてレース名にその名を残したアングロアラブ種の競走馬、種牡馬である。
競走馬時代
[編集]戦績の詳細は不明であるが、兵庫県競馬組合に抽せん馬(補助馬)として入厩。デビューから(旧表記)4歳時まで34戦し、30勝2着3回、5着1回という戦績を残し南関東へと移籍。その後も好成績を収め中央競馬へ移籍した。中央競馬では名前を「フクパーク」から「キノピヨ」へと変更して登録[1]。すでにホウセントにより抽選馬でない自由購買馬は平地のアングロアラブ競走から閉め出されていたため、対サラの平地とアングロアラブの障害競走に出走。サラブレッドを相手に5勝を収め、第1回アラブ大障害で2着などした。中央競馬におけるアラブ系競走が抽せん馬に限定され、地方競馬からの転厩が禁止された理由のひとつは、フクパークの中央転入後の活躍がきっかけと言われている。
参考記録ながら、フクパークの勝利数は62となっている[1](兵庫30勝、南関東22勝、中央10勝[1]〈平地5勝/障害5勝〉)。
種牡馬時代
[編集]資料があまりにも少ないので明確な数などを挙げるのは避けるが、判った分の産駒をあげる。
- 第20回アラブ大障害 ギヤルソンヌ
血統表
[編集]フクパーク(キノピヨ)の血統ロックサンド系 / 4代内オーバーヤン五ノ六3×4=18.75% 第一ナーギーノ一3×4(18.75%) 「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名は豪アラ | (血統表の出典) | |||
父 アア ラツキーパーク Lucky Park 1938 鹿毛 |
父の父 プライオリーパークPrioy Park 1922 |
Rocksavage 1915 | Rock Sand 1900 | |
Manuka 1903 | ||||
Chatham 1908 | Darley Dale 1901 | |||
Coronation Day 1902 | ||||
父の母 アア 初鶯1922 |
アラ *オーバーヤン五ノ六 1908 | アラ O'Bajan V 1894 | ||
アラ ガズラン一ノ五 | ||||
アア 第一ナーギーノ一 1910 | アア キドラン四二ノ一五 1903 | |||
アア 第一ナーギー 1904 | ||||
母 アア フクカセイ 1936 鹿毛 |
オールグリーン All Green 1921 |
Greenback 1907 | St.Frusquin 1893 | |
Evergreen 1902 | ||||
Verity 1912 | Your Majesty 1905 | |||
Word of Honour 1892 | ||||
母の母 アア 高扇
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アア 王儀 | アラ *オーバーヤン五ノ六 | ||
アア 第一ナーギーノ一 | ||||
アア 座高 | アラ *コハイランシード一ノ四 | |||
アア 第二ザリーフノ二 ザリーフ系 |
脚注
[編集]- ^ a b c “オリジナルステップ(高知) サラ系最多勝記録更新”. 地方競馬全国協会 (2011年4月23日). 2019年12月24日閲覧。
参考文献
[編集]「馬匹血統登録書」(第一巻) 帝国競馬協会編、1926年 (国立国会図書館蔵)