フェルナンド・オルシ
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名前 | ||||||
愛称 | Nando[1]。 | |||||
ラテン文字 | Fernando Orsi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1959年9月12日(65歳) | |||||
出身地 | ローマ | |||||
身長 | 180cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1978–1979 | ASローマ | 0 | (0) | |||
1979–1980 | シエーナ | 34 | (0) | |||
1980–1982 | パルマ | 51 | (0) | |||
1982–1985 | ラツィオ | 82 | (0) | |||
1985–1989 | USアレッツォ | 125 | (0) | |||
1989–1998 | ラツィオ | 43 | (0) | |||
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フェルナンド・オルシ(Fernando Orsi, 1959年9月12日 - )は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手で指導者。ポジションはGK。
経歴
[編集]ASローマの下部組織で本格的にサッカーを始め、イタリアジュニアユース代表にも選出された[1]。1977-78シーズンにはカンピオナート・プリマヴェーラで優勝も果たした[1]。1978年と1979年にはトップチームのフレンドリーマッチでプレーしたが、トップでの公式戦出場が無いまま、1979-80シーズンにシエーナへ売却され、そこでプロデビューした[1]。シエーナで良いプレーを見せると、翌シーズン、パルマが獲得した[1]。パルマでも良いパフォーマンスを見せ、1982-83シーズン、当時セリエBのラツィオに移籍し、セリエA昇格に貢献した[1]。1984-85シーズン、1984年12月にイタリアU-21代表に選出された[1]。しかし、このシーズン、チームはセリエBへ降格し、アレッツォへ移籍、ここで4シーズンプレーした[1]。
1989-90シーズンにラツィオへと複帰した[1]。1992-93シーズン、暫く先発起用されていたフィオーリにミスが多かったことから、先発で起用されるようになり、良いパフォーマンスを見せたが、1993-94シーズンにルカ・マルケジャーニが加入すると、再び控えGKとなった[1]。以降、マルケジャーニの欠場時にのみ出場機会を得ていた。模範的で献身的であり、控えの立場であっても不平を口にすることは決してなく、もくもくとトレーニングをこなし、試合へ備えていた[1]。ラツィオでの合計12シーズンのうち[2]、1982-83シーズン、特に1989年に複帰してからの9シーズンは主に控えGKとして過ごすことが多かった、公式戦通算125試合に出場した[1]。1997-98シーズン、一度も試合出場は無く、38歳で引退した[1]。
引退後はラツィオのGKコーチ、アシスタントコーチ、インテルのアシスタントコーチ、ASリヴォルノ・カルチョの監督[3]、テルナーナ・カルチョの監督を歴任した[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m “Nando Orsi, un portiere esemplare: lo Scudetto Primavera nella Roma, il "no" al Milan, una vita nella Lazio”. GOAL (2022-912). 2023年9月1日閲覧。
- ^ “Derby, Fernando Orsi: “Lazio, a Sarri serve tempo. Derby importante ma non decisivo””. ROMA TODAY. 2023年5月28日閲覧。
- ^ “リボルノ、オルシ氏が監督に復帰”. ゲキサカ (2008年4月30日). 2023年5月28日閲覧。
- ^ “Fernando Orsi”. TRANSFERMARKT. 2023年5月28日閲覧。