フィリップ・ウッドハウス (第3代準男爵)
第3代準男爵サー・フィリップ・ウッドハウス(英語: Sir Philip Wodehouse, 3rd Baronet、1608年7月24日洗礼 – 1681年5月6日)は、イングランド王国の政治家。庶民院議員を3期務めた[1]。
生涯
[編集]第2代準男爵サー・トマス・ウッドハウスと妻ブランシュ(Blanche、旧姓ペイトン(Peyton)、1651年11月6日没、クリストファー・ペイトンの未亡人、第3代ハンスドン男爵ジョン・ケアリーの娘)の長男として生まれ、1608年7月24日に洗礼を受けた[1]。1625年にケンブリッジ大学エマニュエル・カレッジに入学、1627年4月23日にリンカーン法曹院に入学した[2]。
第一議会(1654年 – 1655年)と第二議会(1656年 – 1658年)でノーフォーク選挙区の代表として庶民院議員を務めたが[1]、1656年に第二議会から排除された[3]。1658年3月18日に父が死去すると、準男爵位を継承した[1]。
1660年仮議会では王党派の1人として、自身が勢力を有するセットフォード選挙区から出馬、当選を果たした[4]。議会ではあまり活動的ではなく[3]、1661年イングランド総選挙にも出馬せずに議員を退任した[4]。1669年の補欠選挙での立候補を検討したが、結局出馬しなかった[3]。1670年代末に王位排除法案に反対した[3]。
1681年5月6日に死去、ノーフォークのキンバリーで埋葬された[3]。息子トマス(1671年4月29日没)に先立たれたため、孫ジョンが準男爵位を継承した[1]。
人物
[編集]『完全準男爵名鑑』(1900年)で「学のある人物で、優秀な音楽家」(a man of great learning and a skilled musician)と評された[1]。
家族
[編集]1634年7月10日[3]、ルーシー・コットン(Lucy Cotton、1684年6月26日没、第2代準男爵サー・トマス・コットンの娘)と結婚、3男2女をもうけた[5]。
- トマス(1636年ごろ – 1671年4月29日) - 1666年11月2日に国王チャールズ2世により騎士爵に叙されたが、1671年に天然痘で病死した[1]。アン・アーミン(Anne Armine、1719年4月2日没、第2代準男爵サー・ウィリアム・アーミンの娘[6])と結婚して、息子ジョンと娘アン(1686年12月2日に第4代準男爵サー・ニコラス・レストレンジと結婚、子供あり[7])をもうけた[5]
- エドモンド(1727年9月5日没) - マーシー・パーカー(Mercy Parker、サー・フィリップ・パーカーの娘)と結婚、2男2女(うち2男1女は子供なし)をもうけた[5]。アン・アングイッシュ(Anne Anguish、ジョン・アングイッシュの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[5]
- ジョン(1681年までに没[3]) - アン・ストラット(Anne Strutt、初代準男爵サー・デンナー・ストラットの娘)と結婚、1女エリザベスをもうけた[5]
- ブランシュ(Blanche、1697年没) - 1661年2月6日、初代準男爵サー・ジェイコブ・アストリー(1640年 – 1729年8月17日)と結婚、子供あり[8]
- マーガレット - トマス・サヴェージ(Thomas Savage)と結婚[5]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1900). The Complete Baronetage (1611–1625) (英語). Vol. 1. Exeter: William Pollard & Co. p. 52.
- ^ "Philip WOODHOUSE (WDHS625P)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b c d e f g Helms, M. W.; Cruickshanks, Eveline (1983). "WODEHOUSE, Sir Philip, 3rd Bt. (1608-81), of Kimberley, Norf.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月29日閲覧。
- ^ a b Cruickshanks, Eveline (1983). "Thetford". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月29日閲覧。
- ^ a b c d e f Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1145.
- ^ Hattendorf, John B. (3 January 2008) [23 September 2004]. "Herbert, Arthur, earl of Torrington". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/13017。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Watson, Paula (1983). "L'ESTRANGE, Sir Nicholas, 4th Bt. (1661-1724), of Hunstanton, Norf.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月29日閲覧。
- ^ Cruickshanks, Eveline (1983). "ASTLEY, Sir Jacob, 1st Bt. (1640-1729), of Melton Constable, Norf. and Hillmorton, Warws.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月29日閲覧。
イングランド議会 (en) | ||
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先代 ロバート・ジャーミー トバイアス・フリーア ラルフ・ウォルマー ヘンリー・キング ウィリアム・バートン |
庶民院議員(ノーフォーク選挙区選出) 1654年 – 1656年 同職:サー・ジョン・ホバート準男爵 1654年 – 1656年 サー・ウィリアム・ドイリー 1654年 – 1656年 サー・ラルフ・ヘア準男爵 1654年 – 1656年 ロバート・ウィルトン 1654年 – 1656年 ロバート・ウッド 1654年 – 1656年 トマス・ソザートン 1654年 – 1656年 トマス・ウェルド 1654年 – 1655年 トバイアス・フリーア 1654年 – 1655年 フィリップ・ベディングフィールド 1654年 – 1655年 サー・ホレイショ・タウンゼンド準男爵 1656年 チャールズ・フリートウッド 1656年 ジョン・バクストン 1656年 |
次代 サー・ジョン・ホバート準男爵 サー・ウィリアム・ドイリー サー・ラルフ・ヘア準男爵 ロバート・ウィルトン ロバート・ウッド トマス・ソザートン サー・ホレイショ・タウンゼンド準男爵 チャールズ・フリートウッド ジョン・バクストン |
先代 ウィリアム・スティーン ロバート・スチュワード |
庶民院議員(セットフォード選挙区選出) 1660年 – 1661年 同職:ロバート・パストン |
次代 サー・アレン・アプスリー ウィリアム・ゴーディー |
イングランドの準男爵 | ||
先代 トマス・ウッドハウス |
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