フアン (アストゥリアス公)
フアン・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ Juan de Aragón y Castilla | |
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アストゥリアス公 | |
在位 | 1478年 - 1497年 |
出生 |
1478年6月28日 カスティーリャ王国、セビリア |
死去 |
1497年10月4日(19歳没) カスティーリャ王国、サラマンカ |
埋葬 | カスティーリャ王国、アビラ、サン・トマス王立修道院 |
配偶者 | マルグリット・ドートリッシュ |
家名 | トラスタマラ家 |
父親 | アラゴン王フェルナンド2世 |
母親 | カスティーリャ女王イサベル1世 |
フアン・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ(Juan de Aragón y Castilla)またはフアン・デ・トラスタマラ・イ・トラスタマラ(Juan de Trastámara y Trastámara, 1478年6月28日 - 1497年10月4日)は、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の唯一の男子。両王の王位継承者としてアストゥリアス公、ジローナ公の称号を授けられていたが、王位継承を果たせずに早世した。
生涯
[編集]1497年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘マルグリット(スペイン語名:マルガリータ)と結婚した。前年の1496年にはフアンの妹フアナ(後のカスティーリャ女王)とマルグリットの兄フィリップ美公が結婚している。
結婚から間もなく、ポルトガル王マヌエル1世と再婚する姉イサベルの婚礼に際してポルトガルへ赴く途上、サラマンカで死去した。死因は結核であったと考えられている。フアンが死去した時、妻マルグリットは懐妊していたが、その後男子を死産した。
唯一の男子であったフアンの死と、その子の死産により、両王の王位継承権は長女である姉イサベルに移ったが、イサベルは1498年に王子ミゲル・ダ・パスを出産して間もなく死去し、ミゲルも2年後の1500年に夭逝した。そのため、両王の次女であるフアンの妹フアナを王位継承者として、嫁ぎ先のフランドルから呼び戻すことになった。
系譜
[編集]フアン | 父: フェルナンド2世 (アラゴン王) (カスティーリャ王フェルナンド5世) |
祖父: フアン2世 (アラゴン王) |
曽祖父: フェルナンド1世 |
曽祖母: レオノール・デ・アルブルケルケ | |||
祖母: フアナ・エンリケス |
曽祖父: ファドリケ・エンリケス[1] | ||
曽祖母: マリアナ・デ・コルドバ | |||
母: イサベル1世 (カスティーリャ女王) |
祖父: フアン2世 (カスティーリャ王) |
曽祖父: エンリケ3世 (カスティーリャ王)[2] | |
曽祖母: カタリナ[3] | |||
祖母: イサベル |
曽祖父: ジョアン(アヴェイロ公)[4] | ||
曽祖母: イザベル・デ・バルセロス[5] |
- 妹:フアナ - フアンの死により、カスティーリャを継承する。
- 妹:カタリナ - ヘンリー8世 (イングランド王)妃(英語名:キャサリン)。
[1]はエンリケ2世 (カスティーリャ王)の弟ファドリケの子孫。
[3]は、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと、ペドロ1世の次女コンスタンサの一人娘。よって、[2][3]の結婚は、[2]の祖父エンリケ2世 (カスティーリャ王)(トラスタマラ朝の祖)が異母弟で嫡出子のペドロ1世(ボルゴーニャ朝)から王位を簒奪しており(第一次カスティーリャ継承戦争)、両家の合一と和解という歴史的意義がある。
[4]はジョアン1世 (ポルトガル王)の王子で、兄にドゥアルテ1世やエンリケ航海王子、姉に、妻マルグリットの曾祖母であるイザベルがいる。また[4]たちの母はフィリッパは、[3]の異母姉である。
[5]はジョアン1世 (ポルトガル王)の庶子アフォンソ1世 (ブラガンサ公)の娘。よって[4]と[5]の結婚は叔姪婚となる。
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