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ファレノプシス (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ファレノプシス
エリザベス女王杯優勝時(2000年11月12日)
欧字表記 Phalaenopsis
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1995年4月4日
死没 2016年7月1日
ブライアンズタイム
キャットクイル
母の父 Storm Cat
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産者 マエコウファーム
馬主 ノースヒルズマネジメント
(現・ノースヒルズ)
調教師 濱田光正栗東
厩務員 清水久詞
競走成績
タイトル JRA賞最優秀4歳牝馬(1998年)
JRA賞最優秀5歳以上牝馬(2000年)
生涯成績 16戦7勝
獲得賞金 4億6651万円
勝ち鞍
GI 桜花賞 1998年
GI 秋華賞 1998年
GI エリザベス女王杯 2000年
GII ローズステークス 1998年
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ファレノプシス日本競走馬繁殖牝馬。1998年の桜花賞秋華賞、2000年のエリザベス女王杯などを制した。1998年度JRA賞最優秀4歳牝馬、2000年度同最優秀5歳以上牝馬。馬名は、胡蝶蘭の学名である。

半弟に2002年のピーターパンステークスを制し、日本生産馬として43年ぶりのアメリカ重賞優勝馬となったサンデーブレイク(父フォーティナイナー)、2013年東京優駿優勝馬キズナ(父ディープインパクト)がいる。

出生

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母のキャットクイルは従兄にGI競走3勝を挙げたビワハヤヒデと、クラシック三冠を含む同5勝のナリタブライアンがいる。マエコウファームを経営する前田幸治はキャットクイルを1993年にイギリスで行われたセリ市で落札した直後に、ビワハヤヒデの管理調教師の浜田光正に産駒の管理と翌1994年の種牡馬の選択を依頼し、浜田がこの年のクラシック戦線を賑わせていたナリタブライアンの父のブライアンズタイムを推薦したことで前田は2頭を交配させた[1]

1995年4月、北海道新冠町のマエコウファーム(後のノースヒルズマネジメント 現・ノースヒルズ)にてキャットクイルは後のファレノプシスとなる黒鹿毛の牝馬を出産した。その血統背景から誕生前より大きな期待を掛けられていたが[2]、同馬は幼駒の頃から体質が弱く、「すくむ体質」[注 1]だったため調教がままならず[3]、逆体温[注 2]にも悩まされた[4]。また後躯が非常に貧弱で、競走馬にはなれないのではないかとも見られていた[5]

しかし3歳春頃より急速に状態が良化していき[6]、9月には栗東の浜田厩舎に入る。当初浜田はその能力に懐疑的であったが、調教を続ける内に後躯の状態が良化、優れた動きを見せ始めた[7]

戦績

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3-4歳時(1997-1998年)

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1997年11月30日阪神開催の新馬戦でデビュー。鞍上は浜田厩舎所属の若手騎手・石山繁が務めた。脚への負担を考慮して[7]ダート競走への出走であったが、2着に9馬身差・2歳レコードタイムでの圧勝を収める。続く条件戦、年明け緒戦のエルフィンステークスと快勝。春に控えた牝馬クラシック戦線への最有力候補と目された。

3月チューリップ賞桜花賞トライアル)で重賞に初出走。前年の最優秀3歳牝馬アインブライドシンザン記念で牡馬を退けたダンツシリウス等を抑え、1番人気に支持された。しかし馬体重は414kgと細化、レースもスタートで出遅れると、道中から直線にかけて終始馬群に包まれた状態となり、ダンツシリウスの4着に終わった。状態の悪さに加え、騎乗ミスが明確であったと判断され、この競走を最後に石山は降板となる[8]。クラシック初戦の桜花賞に向けて、新たな鞍上には武豊を迎えた。

4月12日の桜花賞では3番人気であったが、前走から10kg増と状態は回復を見た。レースは道中中団前方から、直線で逃げ粘るロンドンブリッジを交わして優勝。重賞初勝利をクラシックで果たした。生産者兼馬主の前田幸治にとっては、牧場創設14年目で初めてのGI制覇となった。

クラシック二冠を目指した優駿牝馬(オークス)では、戦前から2400mという距離への不安説があった[9]。レースでは後方待機策から直線で追い込むも、エリモエクセルエアデジャヴーを捉えきれず、3着に敗れた。競走後に武は「これほど距離が持つとは思わなかった。失敗した」と、不安から消極的なレース運びとなったことを悔やむコメントを出している[9]

浜田の方針から夏は放牧に出されず、栗東で過ごした[10]9月27日ローズステークス秋華賞トライアル)で復帰、前走から一転して先行策からの勝利を挙げた。迎えた牝馬三冠最終戦・秋華賞ではエアデジャヴーに1番人気を譲ったものの、中団待機から最終コーナーで先頭に並び掛け、直後先頭からゴールまで押し切り優勝。牝馬二冠を達成した。

競走後、浜田からジャパンカップ出走が表明されたが、状態の不安から回避となり、休養に入った。翌年1月には当年の最優秀4歳牝馬に選出された。

5-6歳時(1999-2000年)

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休養の後、翌年3月に復帰。緒戦のマイラーズカップは10着と大敗を喫したが、次走の京王杯スプリングカップは勝ったグラスワンダーから1馬身余りの差で5着と、復調を見せた。しかし春の目標とした安田記念を前に熱発を起こし、休養に入る。

夏に札幌記念で復帰すると、同期のクラシック二冠馬・セイウンスカイに半馬身差の2着となる。その後は間隔を開け、秋の目標としたエリザベス女王杯に出走、当日1番人気に支持された。しかし最後の直線要所で進路を失い[11]、6着に終わる。年末にはグランプリ有馬記念に出走するも8着と大敗し、シーズンを終えた。

不利を受けて敗れたエリザベス女王杯の雪辱を期し、翌2000年も競走生活を続行する[11]。しかし緒戦に予定していたフェブラリーステークス蕁麻疹で回避、改めて復帰したマイラーズカップでは10着と大敗し、さらに競走後に脚部不安を生じて休養に入った。前年と同様に札幌記念で復帰するも7着に終わり、競走後には球節炎を発症する。これを受け、エリザベス女王杯へは前年と同様に直行となった。

11月12日、エリザベス女王杯を迎える。本競走をもっての引退が表明されており、当日は「究極の仕上げ」という好調で臨んだ[12]松永幹夫を鞍上に3番人気の支持を受けると、レースは2番人気トゥザヴィクトリーが先導するスローペースの中、5、6番手を進んだ。そして最終コーナーにかけて先行馬を捉えに動くと、最後の直線では粘るフサイチエアデールをゴール前で交わし、半馬身の差を付けて優勝。秋華賞以来およそ2年振りの勝利で、引退を飾った。

翌年1月5日京都競馬場で引退式が行われ、エリザベス女王杯のゼッケン「2」を着けてファンにラストランを披露した。その馬名に因み、記念撮影では胡蝶蘭で編まれたレイが掛けられ[13]、関係者にも胡蝶蘭の花束が手渡された[12]。同月、エリザベス女王杯優勝が評価され、2000年度の最優秀5歳以上牝馬に選出された。

競走成績

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年月日 競馬場 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 3F 着差 騎手 斤量
[kg]
馬体重
[kg]
勝ち馬/(2着馬)
1997 11. 30 阪神 3歳新馬 9 1 01着 1200m(重) R1:11.5 (36.0) -1.5秒 石山繁 52 424 (ジュディアーバン)
12. 14 阪神 さざんか賞 500万下 15 1 01着 芝1400m(良) 01:22.6 (36.6) -0.4秒 石山繁 53 428 (アマートベン)
1998 2. 15 京都 エルフィンS OP 15 1 01着 芝1600m(良) 01:36.6 (36.7) -0.2秒 石山繁 53 422 マルカコマチ
3. 7 阪神 チューリップ賞 GIII 13 1 04着 芝1600m(良) 01:37.2 (34.8) -0.3秒 石山繁 54 414 ダンツシリウス
4. 12 阪神 桜花賞 GI 18 3 01着 芝1600m(良) 01:34.0 (35.8) -0.2秒 武豊 55 424 ロンドンブリッジ
5. 31 東京 優駿牝馬 GI 18 1 03着 芝2400m(良) 02:28.4 (34.8) -0.3秒 武豊 55 430 エリモエクセル
9. 27 阪神 ローズS GII 11 1 01着 芝2000m(稍) 02:04.4 (36.6) -0.1秒 武豊 54 438 (ビワグッドラック)
10. 25 京都 秋華賞 GI 18 2 01着 芝2000m(良) 02:02.4 (36.1) -0.2秒 武豊 55 436 ナリタルナパーク
1999 3. 7 阪神 マイラーズカップ GII 14 5 10着 芝1600m(良) 01:37.3 (37.9) -1.7秒 松永幹夫 56 446 エガオヲミセテ
5. 15 東京 京王杯スプリングC GII 18 6 05着 芝1400m(良) 01:20.7 (34.0) -0.2秒 武豊 56 434 グラスワンダー
8. 22 札幌 札幌記念 GII 10 2 02着 芝2000m(良) 02:00.2 (35.4) -0.1秒 武豊 55 440 セイウンスカイ
11. 14 京都 エリザベス女王杯 GI 18 1 06着 芝2200m(良) 02:13.8 (35.0) -0.3秒 武豊 56 442 メジロドーベル
12. 26 中山 有馬記念 GI 14 9 08着 芝2500m(良) 02:38.1 (35.3) -0.9秒 蛯名正義 55 442 グラスワンダー
2000 4. 15 阪神 マイラーズカップ GII 18 5 10着 芝1600m(良) 01:35.3 (36.7) -1.0秒 熊沢重文 57 444 マイネルマックス
8. 20 札幌 札幌記念 GII 14 1 07着 芝2000m(良) 02:00.5 (35.5) -0.6秒 松永幹夫 55 448 ダイワカーリアン
11. 12 京都 エリザベス女王杯 GI 17 3 01着 芝2200m(良) 02:12.8 (33.6) -0.1秒 松永幹夫 56 440 フサイチエアデール
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

繁殖牝馬時代

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引退後は故郷ノースヒルズマネジメント(現・ノースヒルズ)で繁殖牝馬として供用されていたが、2016年7月1日にクモ膜下出血のため、死亡した[14]

産駒一覧

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  生年 馬名 性別 毛色 父馬 馬主 厩舎 戦績
初仔 2002年 スパンゴールド 青鹿毛 サンデーサイレンス (有)ノースヒルズマネジメント 栗東・浜田光正 9戦1勝
2番仔 2003年 ティンクルハート 青鹿毛 6戦0勝
3番仔 2004年 ルアシェイア 黒鹿毛 フジキセキ (有)ノースヒルズマネジメント
→(株)ノースヒルズ
栗東・浜田光正
→栗東・中竹和也
28戦3勝
4番仔 2005年 フィーユ 栗毛 ダンスインザダーク (有)ノースヒルズマネジメント 栗東・森秀行 8戦1勝
5番仔 2006年 アディアフォーン 黒鹿毛 (有)ノースヒルズマネジメント
→(株)ノースヒルズ
栗東・橋口弘次郎 31戦3勝
6番仔 2007年 ラナンキュラス 青毛 スペシャルウィーク (有)ノースヒルズマネジメント
→前田幸治
栗東・矢作芳人 13戦2勝
7番仔 2009年 アワーグラス 栗毛 アグネスタキオン (株)ノースヒルズ 栗東・中竹和也 5戦0勝
8番仔 2011年 クールオープニング 青鹿毛 マンハッタンカフェ 前田晋二 栗東・橋口弘次郎
→栗東・橋口慎介
48戦3勝
9番仔 2012年 クライミングローズ 青鹿毛 前田幸治 栗東・角田晃一 17戦2勝
10番仔 2015年 ヴィンセント 黒鹿毛 ハーツクライ 前田幸治 栗東・橋口慎介
大井・上杉昌宏
33戦0勝
11番仔 2016年 レイナローサ 黒鹿毛 ヴィクトワールピサ (株)ノースヒルズ 栗東・清水久詞 3戦0勝

血統表

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ファレノプシス血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ロベルト系
[§ 2]

*ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛 アメリカ
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
父の母
Kelley's Day
1977 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale

*キャットクイル
Catequil
1990 鹿毛 カナダ
Storm Cat
1983 黒鹿毛
Storm Bird Northern Dancer
South Ocean
Terlingua Secretariat
Crimson Saint
母の母
Pacific Princess
1973 鹿毛
Damascus Sword Dancer
Kerala
Fiji Acropolis
Riffi F-No.13-a
母系(F-No.) 13号族(FN:13-a) [§ 3]
5代内の近親交配 なし [§ 4]
出典
  1. ^ JBIS ファレノプシス5代血統表2016年7月31日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com ファレノプシス5代血統表2016年7月31日閲覧。
  3. ^ JBIS ファレノプシス5代血統表2016年7月31日閲覧。
  4. ^ JBIS ファレノプシス5代血統表2016年7月31日閲覧。

母はビワハヤヒデ・ナリタブライアンの母パシフィカスの半妹。父ブライアンズタイムはナリタブライアンと同じであり、同馬とは「4分の3同血」となっている。

主な近親

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脚注

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注釈

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  1. ^ 筋肉が硬直し、悪化させると動けなくなること[3]
  2. ^ 普通の競走馬は午前中は体温が低いが、本馬はそれと逆で午後になると体温が下がっていた[4]

出典

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  1. ^ 『優駿』2005年7月号、p.51
  2. ^ 『優駿』1998年8月号 p.40
  3. ^ a b 『優駿』2017年8月号、p.49
  4. ^ a b 『優駿』2017年8月号、p.50
  5. ^ 『優駿』1998年8月号 pp.41-42
  6. ^ 『優駿』1998年8月号 p.42
  7. ^ a b 『優駿』2005年7月号 p.52
  8. ^ 『優駿』2005年7月号 p.53
  9. ^ a b 『優駿』2005年7月号 p.54
  10. ^ 『優駿』2005年7月号 p.55
  11. ^ a b 『優駿』2005年7月号 p.56
  12. ^ a b 『優駿』2005年7月号 p.57
  13. ^ 『優駿』2001年2月号 p.76
  14. ^ ファレノプシス死す…21歳、くも膜下出血 98年桜花賞などG1・3勝”. スポーツニッポン新聞社 (2016年7月4日). 2016年7月4日閲覧。

参考文献

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  • 優駿』1998年8月号(日本中央競馬会、1998年)
    • 宇都宮直子「'98年春GI勝ち馬の故郷 ノースヒルズマネジメント - 花を咲かせた胡蝶蘭」
  • 『優駿』2005年7月号(日本中央競馬会、2005年)
    • 井口民樹「サラブレッド・ヒロイン列伝 20世紀を駆けた名馬たち(50) 気高き血脈、咲き誇れり - ファレノプシス」
  • 『優駿』2017年8月号(日本中央競馬会、2017年)

外部リンク

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