コンテンツにスキップ

ピーター・バーク (弁護士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ピーター・バーク英語: Peter Burke1811年5月7日1881年3月26日)は、イギリス上級法廷弁護士英語版、作家。

生涯

[編集]

ジョン・バーク(1757年 – 1848年、『バーク貴族名鑑英語版』の初版編集者)とメアリー・オライリー(Mary O'Reilly、1846年没、バーナード・オライリーの娘)の息子として[1]、1811年5月7日にロンドンで生まれた[2]。弟にアルスター・キング・オブ・アームズ英語版サー・ジョン・バーナード・バークがいる[2]フランスカーンで教育を受けた[2]

1839年にインナー・テンプルで弁護士資格免許を取得した後、北部巡回区英語版で弁護士業に従事、ついで議会弁護士(parliamentary bar、議会の私法案を専門とする弁護士)になり、貴族院で数度事件を担当した[2]

弁護士業の傍ら、エドマンド・バークの一生とその著述に関する著作や、有名な判例に関する著作を著した[3]

1858年にランカスター公領勅選弁護士英語版に、1859年に上級法廷弁護士英語版選出された[2]

1881年3月26日、サウス・ケンジントン英語版の自宅で死去した[2]

著作

[編集]
  • The Wisdom and Genius of Edmund Burke illustrated in a series of extracts from his writing, with a summary of his life(1845年)[2]
  • Celebrated Trials connected with the Aristocracy, in the relations of private life(1849年と1851年、ロンドン八折り判[2]
  • The Romance of the Forum, or Narratives, Scenes, and Anecdotes from Courts of Justice(1852年と1861年、ロンドン、4巻、十二折り判)[2]
  • The Public and Domestic Life of the Right Hon. Edmund Burke(1853年、ロンドン、八折り判)[2]
  • Celebrated Naval and Military Trials(1866年、ロンドン、八折り判)[2]

出典

[編集]
  1. ^ Lee, Sidney (1886). "Burke, John" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 7. London: Smith, Elder & Co. pp. 365–366.
  2. ^ a b c d e f g h i j k Cooper, Thompson (1886). "Burke, Peter" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 7. London: Smith, Elder & Co. p. 366.
  3. ^ Cooper, Thompson; Pease-Watkin, Catherine (23 September 2004). "Burke, Peter". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/4023 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)

外部リンク

[編集]