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ヒュー・ボートン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヒュー・ボートン(Hugh Borton, 1903年5月14日 - 1995年8月6日)は、アメリカ合衆国歴史家日本史を専門とし、1957年から1967年までハヴァフォード大学学長を務めた。

生い立ち

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1903年、ニュージャージー州ムーアズタウンにて、敬虔なクエーカーの家庭に誕生[1]。父親はチャールズ・ウォルター・ボートン (Charles Walter Borton, 1867-1959)、母親はサラ・キャドバリー・カーター (Sarah Codbury Carter, 1865-1930) であった[2]。クエーカー教徒の学校で育ち、ペンシルベニア州のウェストタウン・スクールを卒業[3]。1926年にハヴァフォード大学を卒業[1]。1926年9月1日にエリザベス・ディーン・ウィルバー (Elizabeth Dean Wilbur) と結婚し、1男1女をもうけた[2]。夫妻はアメリカ・フレンズ奉仕団の活動を目指し、テネシー州のグレート・スモーキー山脈山麓の小さな学校で教職に就いた。1926年から1928年まで、夫妻は奉仕団の作業支援のため、日本の東京に滞在した[3]。ボートンは日本で3年を過ごし、その後の彼の日本研究の基礎を作った。ボートンは駐日イギリス領事館の参事官ジョージ・サンソムの下で指導を受けた後、1931年にアメリカに帰国。

1932年にコロンビア大学で歴史学の修士号を取得[1]。続いてオランダのライデン大学J・J・L・ドイフェンダック教授およびヨハネス・ラーダー英語版教授の下で中国学および東洋学を研究。

1933年から1936年までコロンビア大学講師[3]。1935年から1936年まで東京帝国大学に在籍[3]。1937年にフローニンゲン大学で博士号取得[3]。1937年から1941年までコロンビア大学准教授[3]。1938年に太平洋問題調査会調査員[3]。1942年に陸軍省軍政大学講師[3]

国務省

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1942年から1948年まで国務省に在籍[1]。1942年10月19日より地域部長補佐[3]。1944年7月1日より国別専門官[3]。1945年11月13日より日本部長補佐代理[3]。1946年2月11日より日本部長補佐[3]。1946年3月15日より日本部長代理[3]。1946年11月3日より日本部長[3]。1947年2月15日より北東アジア部長[3]。1947年10月6日より極東部長特別補佐官[3]

国務省では日本国との平和条約の準備に関与し[1]第二次世界大戦後期には国務・陸軍・海軍調整委員会にて日本の天皇の地位に関する検討を行った[4]。ボートンは1943年に昭和天皇の地位保全を覚書にて勧告したが、この勧告は概ね変更されることなく連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーにより立案・実施された[4]

晩年

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1957年から1967年までハヴァフォード大学学長[1]。1967年から1991年までコロンビア大学の東アジア研究所で上級研究員[1]。1995年、マサチューセッツ州コンウェイの自宅において死去[1]

著作物

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  • Peasant Uprising in Japan (1938)
  • Japan's Modern Century From Perry to 1970 (1956)
  • Spanning Japan's modern century : the memoirs of Hugh Borton (2002)

出典

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  1. ^ a b c d e f g h Pace, Eric (1995年8月9日). “Hugh Borton, 92, Expert on Japan and Ex-College President, Dies”. The New York Times. http://www.nytimes.com/1995/08/09/obituaries/hugh-borton-92-expert-on-japan-and-ex-college-president-dies.html 2011年3月2日閲覧。 
  2. ^ a b RootsWeb's WorldConnect Project”. RootsWeb.com, Inc.. 2012年2月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p United States. Dept. of State (1948-04-01). REGISTER of the Department of State 1948. Office of Public Affairs, Department of State. pp. p.188. https://archive.org/details/registercontaini1948unit 
  4. ^ a b Borton, Hugh (2 1966). “Preparation for the Occupation of Japan”. The Journal of Asian Studies 25 (2): 205. 
公職
先代
ウィリアム・テイラー・ターナー
アメリカ合衆国国務省極東局日本部長
1946年11月3日 - 1947年2月14日
次代
-
北東アジア部に統合
先代
-
新設
アメリカ合衆国国務省極東局北東アジア部長
1947年2月15日 - 1947年10月5日
次代
ジョン・ムーア・アリソン