コンテンツにスキップ

ヒサヤ大黒堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社ヒサヤ大黒堂
Hisaya Daikokudo
ヒサヤ大黒堂の「ぢ」ロゴ看板
ヒサヤ大黒堂の「」ロゴ看板
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
541-0041
大阪市中央区北浜2-1-19
設立 1948年
(創薬:1611年)
業種 医薬品
法人番号 6120001087754 ウィキデータを編集
事業内容 医薬品製造、販売
代表者 代表取締役 永田 久継
資本金 5000万円
従業員数 100名
外部リンク http://www.hisayadaikokudo.com/
テンプレートを表示
ヒサヤ大黒堂東京銀座薬寮

株式会社ヒサヤ大黒堂(ヒサヤだいこくどう)は、日本製薬業。痔疾専門の医薬品貼付薬「不思議膏」及び内服薬の「金鵄丸」が主商品[1]。本社は、大阪府大阪市中央区北浜2丁目。薬専門会社として有名であり、平仮名の「」をモチーフとした看板と広告で知られる。

概要

[編集]

1611年慶長16年)、三河国西尾(現・愛知県西尾市)に永田久右衛門が創業。当主(20代目堂主)は永田久継

おもにの薬を製造・販売しているが薬局薬店での販売は行わず、通信販売や「薬寮」と呼ばれる自社店舗での頒布を行っている。長年にわたり新聞各紙にも簡単な痔疾の解説、あるいは個人相談担当医師の挨拶文と、少量の軟膏と内服薬をセットにしたサンプルを無料進呈する旨の広告を出している。

創業以来、家伝の門外不出の秘薬として一子相伝されてきたが、1807年文化4年)、7代目堂主の永田久七によって不思議膏の一般頒布が始められ、その際に時の西尾藩より「久屋(ひさや)」の屋号を賜る。第17代堂主主国太郎が明治政府公認の売薬許可を取得し、痔疾専門の医薬品製造並びに直接販売にかかわる法人「ヒサヤ大黒堂」として現在に至る[2]

昭和初期に創業の地であった西尾より、大阪北浜に移転した。合資会社ヒサヤ製薬を経て、1960年代後半に株式会社ヒサヤ大黒堂となった。

商品

[編集]

不思議膏(軟膏)

[編集]

朝鮮人参大黄甘草桂皮などからなる8つの生薬を配合[3]

  • 効果・効能

金鵄丸(内服薬)

[編集]

朝鮮人参をはじめ、桂皮、大黄など17種の生薬が使われている。1日に3回(食間と就寝前)、水か白湯で一回に10粒をめどにご服用[4]

  • 効果・効能
    • 痔痛・痔出血・掻痒症・痔瘡・便秘・痔腫症

店舗

[編集]

ヒサヤ大黒堂の店名は「○○薬寮」(○○には地名が入る)と表記する。

現在営業中の店舗

[編集]

過去に存在した店舗

[編集]

苦楽園祖心堂修治道場

[編集]

ヒサヤ大黒堂苦楽園祖心堂修治道場 - 東条湖畔の高台に建つ寺院風建築。通信販売用パンフレットには、この場所で水行をし不思議膏を手作りで製造する僧侶姿の永田久継の写真が使用されていた。

その他

[編集]

「痔」のふりがなは現代仮名遣いでは「」であるが、ヒサヤ大黒堂では江戸期以来、歴史的仮名遣字音仮名遣)の「」を用いている。

屋外広告や新聞広告などによる圧倒的なインパクトから、ひらがなの「ぢ」が痔あるいはヒサヤ大黒堂を連想させている例が多く、一例としてはビートたけし(北野武)、トータス松本ウルフルズ)、ユースケ・サンタマリアが出演していた音楽バラエティ番組『新橋ミュージックホール』(よみうりテレビ)において、「ぢ・大黒堂」というグループ名でCDを出したことが挙げられる(ヒサヤ大黒堂とは無関係)。

香港ビクトリア・ハーバー香港島サイド)に「」と記されたネオン看板を出していたことでも有名であったが、1990年代初頭に掲出をやめた。

脚注

[編集]
  1. ^ 株式会社ヒサヤ大黒堂公式サイト”. 2020年12月4日閲覧。
  2. ^ 株式会社ヒサヤ大黒堂公式サイト - ヒサヤ大黒堂について”. 2020年12月4日閲覧。
  3. ^ 株式会社ヒサヤ大黒堂公式サイト - 第二類医薬品不思議膏”. 2020年12月4日閲覧。
  4. ^ 株式会社ヒサヤ大黒堂公式サイト - 第二類医薬品金鵄丸”. 2020年12月4日閲覧。

外部リンク

[編集]