パスカル・リスバ
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パスカル・リスバ Pascal Lissouba | |
任期 | 1992年8月31日 – 1997年10月25日 |
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首相 | |
任期 | 1963年12月24日 – 1966年4月15日 |
大統領 | アルフォンセ・マサンバ=デバ |
出生 | 1931年11月15日 フランス領赤道アフリカ コンゴ チンギディ |
死去 | 2020年8月24日(88歳没) フランス ピレネー=オリアンタル県ペルピニャン |
政党 | 国民革命運動 (1964年 - 1969年) コンゴ労働党 (1969年 - 1991年) 社会民主主義パン・アフリカン連合 (1991年 - 2020年) |
出身校 | パリ大学 |
配偶者 | アネット・シャントグレイ ジョセリン・ロズダム |
子女 | 11人 |
パスカル・リスバ(フランス語: Pascal Lissouba, 1931年11月15日 - 2020年8月24日)は、コンゴ共和国の政治家。大統領(1992年8月31日 - 1997年10月15日)を務めた。社会民主主義パン・アフリカン連合党員。
生涯
[編集]パリ大学に留学した遺伝学者であり、パリ大学やユネスコに勤務したあと、コンゴ共和国で行われた1992年の民主的選挙で、ドニ・サスヌゲソ大統領を破って当選。コンゴ共和国大統領となる。しかし、1993年の選挙の公正さに疑問が持たれ、サスヌゲソを中心とする野党が一斉に反発。サスヌゲソ・リスバ双方が私兵を集め、軍事衝突に発展した。1995年12月に一時和平が成立したものの、1997年6月、再び大規模な武力衝突が起こり、サスヌゲソ派が首都を制圧。リスバはロンドンへと亡命した。
亡命後はロンドンに居住したが、一貫してコンゴへと帰国する意思を示していた。しかし復権したサスヌゲソ政権による野党・反対者弾圧の一環として、外患罪と汚職の罪に問われて訴追されたため、コンゴに入国すれば逮捕されるという懸念から帰国は実現しなかった。
2020年8月24日、フランスのペルピニャンで死去、88歳没[1]。
出典
[編集]- ^ “パスカル・リスバ氏死去 前コンゴ共和国大統領”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2020年8月25日) 2020年8月25日閲覧。
公職 | ||
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先代 ドニ・サスヌゲソ |
コンゴ共和国大統領 1992 - 1997 |
次代 ドニ・サスヌゲソ |