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パク・ミヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パク・ミヒ
Park Mi-Hee
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
生年月日 (1963-12-10) 1963年12月10日(61歳)
ラテン文字 Park Mi-Hee
身長 173cm[1]
体重 65kg
選手情報
ポジション センター
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パク・ミヒ(漢字表記:朴美姫、ハングル表記:박미희、ラテン翻記:Park Mi-Hee、1963年12月10日 - )は、大韓民国の元女子バレーボール選手[2]、現指導者である[3]。元大韓民国代表[2]

来歴

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中学在学中から将来を嘱望され、1980年にアジアジュニア選手権で優勝、1981年に世界ジュニア選手権でも優勝を果たし[3]、1982年には19歳でシニア代表入り、世界選手権に出場した[1]。1983年に実業団の美都波(ミドーパ)に入団して美都波黄金時代を支えた[2]

オリンピックにも1984年、1988年に二度出場を果たした。ポジションはもともとセンターであったが、1989年のワールドカップではセッターにコンバートされ、主将としてチームを率い[4]、その容貌で世界を魅了した[2]。1991年に現役を引退。

結婚後には漢陽大学校に学び[3]、2003年からは延辺科学技術大学に留学するとともに自らも准教授を務めた[3]。2006年に帰国後、大学教員を務める傍ら、KBSNのバレーボール解説者となった[2]

2014年5月、成績低迷にあえぐVリーグ興国生命ピンクスパイダーズは、ミヒを監督に招聘した[2]。同年秋のKOVOカップでピンクスパイダーズは準決勝進出を果たし、続く2014/15リーグの第1ラウンドでトップ通過を遂げた[5]。同シーズンの最終結果は15勝15敗で4位となり、前シーズンの最下位を脱出した[6]。2022年に退任[7]

球歴

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脚注

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  1. ^ a b 『月刊バレーボール』 1982年10月号臨時増刊 106ページ
  2. ^ a b c d e f 『月刊バレーボール』 2014年12月号 126ページ
  3. ^ a b c d 興国生命ピンクスパイダーズ. “コーチングスタッフ”. 2015年1月8日閲覧。
  4. ^ 『月刊バレーボール』 1989年11月号臨時増刊 120ページ
  5. ^ 『月刊バレーボール』 2015年1月号 125ページ
  6. ^ kovo. “チームデータ”. 2015年11月3日閲覧。
  7. ^ 뉴스 : 네이버스포츠”. m.sports.naver.com. 2024年7月26日閲覧。