バーンパイン郡
座標: 北緯14度13分39秒 東経100度34分32秒 / 北緯14.22750度 東経100.57556度
バーンパイン郡 | |
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バーンパイン郡の位置 | |
情報 | |
タイ語名 | อำเภอบางปะอิน |
県 | アユタヤ県 |
地理番号 | 1406 |
郵便番号 | 13160 |
統計 | |
面積 | 229.098 km2 |
人口 | 73,630 人 (2000年) |
人口密度 | 321.4 人/km2 |
行政 |
バーンパイン郡(バーンパインぐん)はタイ、アユタヤ県の郡(アムプー)の一つ。
名称
[編集]地元の伝説では、ある王がこの周辺の民家に泊まった。そのときインと言う美しい女性に会い、妻の一人に迎えたので、ここをバーンナーンイン (บางนางอิน、イン婦人の水村、の意。) と名付けたという。当初はそう呼ばれていたが、後にバーンパイン(インに合った水村、の意。)に代わった。また、ラーマ5世時代には雰囲気を出すため、バーンパーイン (บางป่าอินทร、インドラあるいは帝釈天の森の水村、の意。) と表記されたこともあるという[1]。
日本語ではバンパインとも表記される。
歴史
[編集]バーンパインにはアユタヤー王朝時代プラーサートトーン王によって避暑地の離宮として建てられたバーンパイン宮殿がある。宮殿はアユタヤー王国がビルマ軍によって一度滅びたときに一緒に攻撃され、荒れ果てたが、後にラーマ4世(モンクット)とラーマ5世(チュラーロンコーン大王)によって西洋風にの宮殿が増改築された。この宮殿は現在、一般にも公開されており、毎年内外から多くの観光客が訪れる。
行政区分としては、カウェーン・ウタイ (แขวงอุไทย) と呼ばれたが、ラーマ5世(チュラーロンコーン)時代1910年、プララーチャワン郡と名を変え、その後、1917年に現在の名称に変わった[2]。
地理
[編集]チャオプラヤー川沿いにあり、それが形成した平地にあり、郡内はおおむね平地である。
交通はタイ国鉄が南北に通っており、北はアユタヤ南はバンコク方面と通じる。バーンパインはアウターロング・ロードの北の最終地点であり、また国道32号線と国道1号線(パホンヨーティン通り)が分岐する地点であり、交通の要所となっている。
経済
[編集]郡内の主な産業は農業と工業で、農業では米が主な産物である。
郡内にはハイテク工業団地、バーンパイン工業団地があり工業も盛んである。
行政区分
[編集]郡内には18のタムボンがあり、さらにその下位に149の村(ムーバーン)がある。自治体(テーサバーン)が設置されており、以下のようになっている。
- テーサバーンタムボン・バーンレーン・・・タムボン・バーンレーンの一部
- テーサバーンタムボン・バーンサーン・・・タムボン・バーンサーンの全体
- テーサバーンタムボン・プラインタラーチャー・・・タムボン・チエンラークノーイの一部
- テーサバーンタムボン・クローンチック・・・タムボン・クローンチックの全体
また、郡内には13のタムボン行政体が設置されている。以下は郡内のタムボンの一覧である。
- タムボン・バーンレーン・・・ตำบลบ้านเลน
- タムボン・チエンラークノーイ・・・ตำบลเชียงรากน้อย
- タムボン・バーンポー・・・ตำบลบ้านโพ
- タムボン・バーンクロット・・・ตำบลบ้านกรด
- タムボン・バーンクラサン・・・ตำบลบางกระสั้น
- タムボン・クローンチック・・・ตำบลคลองจิก
- タムボン・バーンワー・・・ตำบลบ้านหว้า
- タムボン・ワットヨム・・・ตำบลวัดยม
- タムボン・バーンプラデーン・・・ตำบลบางประแดง
- タムボン・サームルアン・・・ตำบลสามเรือน
- タムボン・コクート・・・ตำบลเกาะเกิด
- タムボン・バーンプラップ・・・ตำบลบ้านพลับ
- タムボン・バーンペーン・・・ตำบลบ้านแป้ง
- タムボン・クンラーン・・・ตำบลคุ้งลาน
- タムボン・タリンチャン・・・ตำบลตลิ่งชัน
- タムボン・バーンサーン・・・ตำบลบ้านสร้าง
- タムボン・タラートクリアップ・・・ตำบลตลาดเกรียบ
- タムボン・カノーンルワン・・・ตำบลขนอนหลวง
脚注
[編集]- ^ 冨田竹二郎編著 『タイ日大辞典』 めこん、第三版1997年10月1日、p.821 ISBN 4839601143
- ^ “ประกาศกระทรวงมหาดไทย เรื่อง เปลี่ยนชื่ออำเภอ”. ราชกิจจานุเบกษา เล่ม ๒๙ (ตอน ๐ ก): หน้า ๒๐๔๐. (๒๙ เมษายน ๒๔๖๐) .