バンディアガラ
表示
バンディアガラ Bandiagara | |
---|---|
バンディアガラの中心部(2005年) | |
位置 | |
位置 | |
座標 : 北緯14度21分0秒 西経3度36分0秒 / 北緯14.35000度 西経3.60000度 | |
歴史 | |
設立 | 1770年 |
行政 | |
国 | マリ |
州 | バンディアガラ州 |
圏 | バンディアガラ圏 |
コミューン | バンディアガラ |
地理 | |
面積 | |
コミューン域 | 8.8 km2 |
標高 | 392 m |
人口 | |
人口 | (2009年現在) |
コミューン域 | 17,166人 |
人口密度 | 1,951人/km2 |
備考 | [1] |
その他 | |
等時帯 | グリニッジ標準時 (UTC+0) |
バンディアガラ(フランス語: Bandiagara フランス語発音: [bɑ̃djaɡaʁa])は、マリ共和国バンディアガラ州バンディアガラ圏の都市的コミューン。人口は17,166人(2009年国勢調査[1])。名前は大まかに訳すと「大きな食用ボウル」で、料理が盛られる大皿を意味する。
モプティから東南東へ65キロメートルの距離にあり、季節限定のYamé川が北東方向に流れる。世界遺産のバンディアガラの断崖が近くにある。
町にはフラニ族、バンバラ族が住んでいる[2]。またバンディアガラの断崖にはドゴン族が住んでおり、孤立した言語のバンギメ語を話す[3]。
歴史
[編集]1770年、ドゴン族の狩人Nangabanu Tembélyが設立したといわれている。
トゥクロール帝国の建国者ウマル・サイドゥ・タールの甥であるティディアニ・タールによって、帝国の首都はバンディアガラに遷都した。
2012年にマリ北部紛争が勃発して以降政情は不安定で、観光業は大きな打撃を受けた。2018年3月28日、国際連合職員や人道支援活動家が定期的に訪れる市内のホテルで銃撃事件があり、守衛の兵士1人が死亡、2人が負傷した[4]。2021年2月25日、マリ軍の駐屯地を武装勢力が攻撃し、9人が死亡、9人が負傷した[5]。
年 | 1976 | 1987 | 1998 | 2009 |
---|---|---|---|---|
人口 | 9,303 | 9,485 | 11,499 | 17,166 |
-
19世紀の「Maison toucouleurs」。世界遺産の一部。
-
町の市場の屋台
-
ドゴン族の男性
-
1900年代初頭のバンディアガラ
出身人物
[編集]- アマドゥ・ハンパテ・バー - 作家
- マディナ・リュ=タル - 歴史家
- ヤンボ・ウオロゲム - 作家、1968年ルノードー賞受賞者
出典
[編集]- ^ a b “BANDIAGARA”. Citypopulation (2017年7月26日). 2024年5月20日閲覧。
- ^ * (フランス語) Plan de Sécurité Alimentaire Commune Urbaine de Bandiagara 2006-2010, Commissariat à la Sécurité Alimentaire, République du Mali, USAID-Mali, (2006), オリジナルの2012-08-26時点におけるアーカイブ。 2012年4月24日閲覧。.
- ^ “Bandiagara”. dogonlanguages.org (2016年). 2021年2月22日閲覧。
- ^ “Gunmen kill one, wound others in central Mali hotel attack”. ロイター通信 (2018年3月29日). 2024年5月20日閲覧。
- ^ “Several soldiers killed in central Mali attack”. アルジャジーラ (2021年2月26日). 2024年5月20日閲覧。
- ^ “Mali: Regions & Cities”. Citypopulation (2024年3月1日). 2024年5月20日閲覧。