バクト・シング
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バクト・シング Bakht Singh | |
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マールワール王 | |
バクト・シング | |
在位 | 1751年 - 1752年 |
戴冠式 | 1751年7月8日 |
別号 | マハーラージャ |
出生 |
1706年8月16日 ジョードプル、メヘラーンガル城 |
死去 |
1752年9月21日 シンドゥリー |
子女 | ヴィジャイ・シング |
王朝 | ラートール朝 |
父親 | アジート・シング |
宗教 | ヒンドゥー教 |
バクト・シング(Bakht Singh, 1706年8月16日 - 1752年9月21日)は、北インドのラージャスターン地方、マールワール王国の君主(在位:1751年 - 1752年)。
生涯
[編集]1706年8月16日、バクト・シングはマールワール王国の君主アジート・シングの息子として、ジョードプルで誕生した[1]。
1724年6月24日、兄アバイ・シングとともに首都で父王アジート・シングを殺害し[2]、兄が王位を継承した[1]。同年7月4日、バクト・シングはその協力の代償として、兄からナーガウルのジャーギールをもらった[1]。
1748年5月1日、バクト・シングはアジュメールとグジャラートの太守に任命された[1]。
1749年6月18日、兄アバイ・シングが死ぬと、その息子ラーム・シングが継承した[1]。だが、1750年11月27日にバクト・シングはラーム・シングを戦いで破り、1751年7月8日に自ら王位を宣した[1]。
1752年9月21日、バクト・シングはシンドゥリーで死亡した[1]。王位は息子のヴィジャイ・シングが継承した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- ビパン・チャンドラ 著、栗原利江 訳『近代インドの歴史』山川出版社、2001年。