ハーバート・ユージーン・アイヴス
Herbert Eugene Ives ハーバート・ユージーン・アイヴス | |
---|---|
Ives (1913年ごろ) | |
生誕 |
1882年7月21日 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア |
死没 |
1953年11月13日 (71歳没) ニュージャージー州アッパーモントクレア |
国籍 | アメリカ合衆国 |
教育 | ペンシルベニア大学 |
配偶者 | Mabel Lorenz (1908年結婚) |
子供 |
Barbara Ives Beyer Kenneth Ives Ronald Ives |
親 |
Frederic Eugene Ives Mary Olmstead |
業績 | |
プロジェクト |
ファクシミリ テレビ電話 テレビジョン レンチキュラーによる3D写真の撮影 |
受賞歴 |
エドワード・ロングストレス・メダル (1907年、1915年、1919年) フレデリック・アイヴズメダル (1937年) 有功章 (1948年) |
署名 | |
ハーバート・ユージーン・アイヴス(英語:Herbert Eugene Ives, 1882年7月21日 - 1953年11月13日)は20世紀前半にAT&Tでファックスやテレビジョンのシステムの開発を指揮した科学者兼エンジニアであった[1]。1938年のアイヴズ=スティルウェルの実験が最も知られており、その実験では特殊相対性理論の時間の遅れが直接立証されたが[2]、アイヴス自身は特殊相対性理論を受け入れず、代わりに実験結果の別の解釈を主張した[3]。
経歴
[編集]ペンシルベニア州フィラデルフィアでフレデリック・ユージーン・アイヴスとメリー・オルムステッドの間に1882年7月21日にアイヴスは生まれた。ペンシルベニア大学とジョンズ・ホプキンズ大学で勉強して1908年に卒業した。同じ年にメーベル・ローレンツと結婚して3人の子供を持った。
1920年、航空機部門の幹部[注 1]が軍によって占められていたころに航空写真についての本を書いた[4]。1924年から1925年までアメリカ光学会の代表を務めた[5]。ベル研究所では電気光学研究の主任を務めた[6]。
父親のフレデリック・ユージーン・アイヴスのようにハーバートもまたカラー写真の専門家だった。1924年には当時の衣装を着たサイレントフィルムの花形だったルドルフ・ヴァレンティノをムッシュ・ボーケールの撮影の中で個別に撮った赤、緑、青の色を使い最初のカラーファックスを送信、再構成した[7]。
1927年には、その時の商務長官だったハーバート・フーヴァーのライブビデオ映像をニュージャージー州ホイッパニーにあるAT&Tの実験施設の3XNを通して送信を行い、メディアの取材者とフーヴァーとの会話をできるようにして、185本の走査線の長距離間テレビジョンの実演がアイヴスによって行われた[8]。1930年までには、(ギリシア語で「画像 - 音声」を意味するikonophoneという) テレビ電話システムが公認された上で使用実験が行われていた[9][10]。1930年代のベル研究所の大きなニューヨークの研究施設では、アイヴス博士と200人以上の科学者によるチームによって研究開発に何年も費やされていた。長距離通信とエンターテインメント放送の両方を目的として、ベル研究所ではテレビ電話やテレビジョンの開発を予定していた[11]。
アイヴスの退任から長い年月が経ってからも、ベル研究所では音声と映像を組み合わせた電話の研究を続けるために5億ドルを超える予算が投じられ、最終的にAT&Tによる先進的なピクチャーフォンの展開につながった[12]。
父親と同じように、アイヴスはオートステレオスコピー (Autostereoscopy) による3D画像表示に興味があった。1920年代後半から1930年代前半のベル研究所の在任中には、「parallax panoramagrams」と名付けた3D画像の作成手法(今では、レンチキュラーを使った3Dのハガキや1960年代半ば以降に一般的になったノベルティによってよく知られている。)とその装置の開発に取り組んだ。Journal of the Optical Society of Americaにおいてこの分野の成果に関したいくつかの記事が載せられ、発明に関した数多くの特許が認められた。
ヘンドリック・ローレンツの哲学にならい、論理的な議論と実験によって相対論的効果の物理的な実在性を実演しようとした。特殊相対性理論の時間の遅れが直接立証されたアイヴズ=スティルウェルの実験を行ったことで一番知られている[13]。しかしアイヴス自身は実験はエーテルの存在の立証であり、また間違った考えに基づき、当然相対性理論への反証であるとも考えた[14]。科学コミュニティが実験に対して自身の予想とは反対の解釈をしたことにアイヴスは落ちこんだ。
この後、アイヴスは相対性理論について取り組み、一連の記事を公表した[15][16][17][18]。その中で単一の座標系の観点(相対性理論への反証になると誤って考えていた。)で相対性理論の現象を説明した[19]。著名な物理学者のハワード・ロバートソンによってアイヴスの伝記の中でアイヴスの特殊相対性理論に対する態度についての次に示す概要が寄稿されており、この研究に対する矛盾した様相について解説がなされている[20]。
"Ives' work in the basic optical field presents a rather curious anomaly, for although he considered that it disproved the special theory of relativity, the fact is that his experimental work offers one of the most valuable supports for this theory, and his numerous theoretical investigations are quite consistent with it ... his deductions were in fact valid, but his conclusions were only superficially in contradiction with the relativity theory—their intricacy and formidable appearance were due entirely to Ives' insistence on maintaining an aether framework and mode of expression. I ... was never able to convince him that since what he had was in fact indistinguishable in its predictions from the relativity theory within the domain of physics, it was in fact the same theory..."
「アイヴスは実験の研究成果は相対性理論の反証になると考えたのに対し、実際は相対性理論の最も重要な根拠の1つになったように、彼の数多くの理論的な研究は相対性理論とまったく矛盾せず、基礎光学分野におけるアイヴスの研究はなかなか奇妙で変則的なことになっています。[...]推論は確かに正しかったのですが、アイヴスの結論と相対性理論とはただ表面上は反しているだけでした。彼の出した結論が複雑で手に負えないように見えるのは、完全にエーテルの枠組みや表現法の維持をしようとしたことによるものでした。[...]物理学の領域においては、確かにアイヴスによる理論の予測上は相対性理論と区別できなかったため、アイヴスを説得することはできませんでした。実際には同じ理論だったのです。[...]」
アイヴスは熱心なコインの収集家でもあり、1942年から1946年までアメリカ貨幣協会の代表を務めた[21]。
ニュージャージー州アッパーモントクレアで1953年11月13日にアイヴスは亡くなった[1]。
表彰と名誉
[編集]- フランクリン協会から1907年、1915年、1919年の3回エドワード・ロングストレス・メダルを受け取った[22]。
- アメリカ光学会からフレデリック・アイヴズメダルを1937年に授与された[23][24]。
- 灯火管制と光通信システムに関した戦争中の研究でハリー・S・トルーマン大統領から有功章を授与された[25]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 訳注: 05:57, 22 July 2018 UTC の英語版ではofficerは無冠詞の単数形になっています。
出典
[編集]- ^ a b “Dr. Herbert Ives, Pioneer In TV, Dies. Researcher on Electron-Optics Developed 3-D Photography, Wirephoto Transmission”. New York Times. (1953年11月15日) 2014年1月8日閲覧。
- ^ Robertson, H. P. (1949). “Postulate versus Observation in the Special Theory of Relativity”. Reviews of Modern Physics 21 (3): 378–382. Bibcode: 1949RvMP...21..378R. doi:10.1103/RevModPhys.21.378.
- ^ Halliday, David; Resnick, Robert (1978). Physics (3 ed.). ジョン・ワイリー・アンド・サンズ. p. 931
- ^ Herbert E. Ives (1920). Airplane Photography. フィラデルフィア: J. B. Lippincott Company
- ^ “Past Presidents of the Optical Society of America”. Optical Society of America. オリジナルの2009年1月20日時点におけるアーカイブ。 2009年2月22日閲覧。
- ^ Bell telephone Quarterly 11 (2): 78. (1932-04). 「Contributors To This Issue」を参照
- ^ Sipley, Louis Walton (1951). A Half Century of Color. Macmillan (訳注: 05:57, 22 July 2018 UTC の英語版に記載されているコメントアウトされた文の翻訳: すみませんがこの本を今持っていなくてページ番号を載せられません。ですがその画像のカラーでの再現は特徴のある絵であり関係したテキストがどこにあるかはわかりやすいです。)
- ^ “Radio Board Tests Television Process. Finds Demonstration Satisfactory and Will Keep Top Air Band for It”. New York Times. (April 28, 1927) 2014年1月11日閲覧. "A demonstration of television was given here today for the benefit of Admiral Bullard and the other members of the Radio Commission by Dr. Herbert E. Ives, inventor of an American process, and Dr. Frank B. Jewett, Vice President of the American Telephone and Telegraph Company. ..."
- ^ D.N. Carson. "The Evolution of Picturephone Service", Bell Laboratories Record, Bell Labs, October 1968, pp.282-291.
- ^ “Washington Hails The Test: Operator There Puts Through the Calls as Scientists Watch”. New York Times. (April 8, 1927) 2014年1月11日閲覧。
- ^ “Herbert E. Ives”. BairdTelevision. 2010年10月22日閲覧。
- ^ “Videophone”. ブリタニカ百科事典. 2009年4月13日閲覧。
- ^ H.E. Ives; G.R.Stilwell (1938). “An experimental study of the rate of a moving atomic clock”. Journal of the Optical Society of America 28 (7): 215-226.
- ^ “Einstein Hails 'Proof'. Dr. Ives Provides Best Support for Relativity, He Says”. New York Times. (April 27, 1938) 2014年1月8日閲覧. "The experiment of Dr. Herbert E. Ives of the Bell Telephone Laboratories with an 'atomic clock' which verifies the existence of ether in space is the most direct proof yet brought forth in support of the theory of relativity, Dr. Albert Einstein declared tonight. In an interview at his home, 12 Mercer Street, he said ..."
- ^ H.E. Ives (1947). “Historical note on the rate of moving atomic clock”. Journal of the Optical Society of America 37 (10): 810-813.
- ^ H.E. Ives (1948). “The measurement of the velocity of light by signals sent in one direction”. Journal of the Optical Society of America 38 (10): 879–884.
- ^ H.E. Ives (1949). “Lorentz-type transformations as derived from performable rod and clock operations”. Journal of the Optical Society of America 39 (9): 757–761.
- ^ H.E. Ives (1950). “Extrapolation from Michelson-Morley experiment”. Journal of the Optical Society of America 40 (4): 185–191.
- ^ Lalli, Roberto (2013-02). “Anti-Relativity in Action: The Scientific Activity of Herbert E. Ives between 1937 and 1953”. Historical Studies in the Natural Sciences (University of California Press) 43 (1): 41-104.
- ^ Oliver E. Buckley; Karl K. Darrow (1956). “HERBERT EUGENE IVES”. Biographical Memoirs (National Academy of Sciences): 165-166 2018年9月7日閲覧。.
- ^ “ARCHER | Authorities: Ives, Herbert E. (Herbert Eugene), 1882-1953 (ives)”. American Numismatic Society. 2018年9月7日閲覧。
- ^ “Franklin Laureate Database - Edward Longstreth Medals for Herbert E. Ives”. Franklin Institute. 2011年11月16日閲覧。
- ^ “Frederic Ives Medal / Quinn Prize”. アメリカ光学会. 2011年8月17日閲覧。
- ^ “Pay Honor to Frederic E. Ives”. New York Times. (1937年7月23日) 2014年1月11日閲覧. "The memory of Frederic Eugene Ives, inventor of half-tone processes used in ... Herbert E. Ives, son of the inventor, presented to the institute the original patent ..."
- ^ Turner, Dean; Hazelett, Richard (1979). The Einstein Myth and the Ives Papers: A Counter-Revolution in Physics. Pasadena: Hope Publishing 2006年11月11日閲覧。