ハンス・アールマン
ハンス・ヤコブ・コンラッド・ウィルヘルムソン・アールマン(Hans Jakob Konrad Wilhelmsson (W:son) Ahlmann、1889年11月14日 - 1974年3月10日)は、スウェーデンの地理学者。カールスボリ (Karlsborg (en)) に生まれ、ヘーゲルステン (Hägersten (en)) で没した。
概要
[編集]アールマンは、1915年に、ラグンダション湖 (Ragundasjön) に関する論文でストックホルム大学からPh.D.を取得した[1]。同年、ストックホルム大学で地理学の准教授となり、1920年にはウプサラ大学の地理学准教授となった。著作には、ノルウェーの氷河を詳細に検討した『Geomorphological studies in Norway(ノルウェーの地形学的研究)』(1919年)や、イタリアやイタリア領リビアの文化地理学研究など、人文地理学分野での業績があった。その後アールマンは、地理学の教授に昇進し、1939年にスウェーデン王立科学アカデミー会員に選出された。同年には、北極圏における探険と氷河研究に対し、イギリスの王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を受賞した[2]。
第二次世界大戦中、アールマンはスウェーデン=ノルウェー連合 (Svensk-norska föreningen) の担い手となり、1950年から1956年まで、在ノルウェー・スウェーデン大使としてオスロに駐在した。
南極大陸の地名
[編集]南極大陸のアールマン氷河 (Ahlmann Glacier) とアールマン山脈 (Ahlmann Ridge) は、アールマンにちなんで命名されたものである。アールマン氷河は、1947年に、フォークランド諸島調査所 (Falkland Islands Dependencies Survay, FIDS) によって命名された[3]。アールマン山脈は、1949年から1952年にかけてのノルウェー=イギリス=スウェーデン南極探検隊 (the Norwegian-British-Swedish Antarctic Expedition, NBSAE, 1949-52) によって調査され、この探検隊を組織したスウェーデンの委員会委員長であったアールマンにちなんで命名された[4]。
脚注
[編集]- ^ Ahlmann, Hans W:son (1915). Ragundasjöns geomorfologi. Stockholm: Norstedt Libris 1630754
- ^ “Medals and Awards, Gold Medal Recipients” (PDF). Royal Geographical Society. 2014年4月14日閲覧。
- ^ “Antarctica Detail, Ahlmann Glacier”. U.S. Geological Survey. 2014年4月14日閲覧。
- ^ “Antarctica Detail, Ahlmann Ridge”. U.S. Geological Survey. 2014年4月14日閲覧。