コンテンツにスキップ

ハビアー・バスケス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハビアー・バスケス
Javier Vázquez
ブレーブス時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区ポンセ
生年月日 (1976-07-25) 1976年7月25日(48歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 MLBドラフト5巡目
初出場 1998年4月3日
最終出場 2011年9月27日
年俸 $5,000,000(2011年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年2009年

ハビアー・カルロス・バスケス(Javier Carlos Vázquez, 1976年7月25日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手投手)。右投げ右打ち

経歴

[編集]

エクスポズ時代

[編集]

1994年ドラフト5巡目でモントリオール・エクスポズへ入団。1998年4月3日にメジャーデビューを果たした。同年は5勝15敗と負け越した。1999年は6月に2勝4敗・防御率6.63の成績でAAA級のオタワヘ降格[2]。オタワではカーブスライダーの磨きをかけ[3]、メジャー復帰後は7勝4敗・防御率4.05を記録。2000年はリーグ6位となる196奪三振を記録。奪三振増加の原因をバスケス本人は、コントロールに自身が持てるようになったこととしている[3]

2001年オールスターまでの成績が7勝9敗、防御率4.93だったが、それ以後の成績は9勝2敗、防御率1.60で8月には月間MVPを受賞している。しかし、9月17日のマーリンズ戦で、ライアン・デンプスターからの死球により眼窩を骨折し、シーズンを終えた[4]。しかし、自己最多の16勝、リーグ最多の3完封を記録した。2002年は10勝13敗とデビュー年以来となる負け越しとなった。

2003年に自己最高となる防御率3.24、241三振をマークした。241三振はペドロ・マルティネス(1997年、305三振)、ビル・ストーンマン(1971年、251奪三振)に次ぐ球団史上3位だった[5]。シーズン終了後にニック・ジョンソンフアン・リベラらとのトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、その後4年4500万ドルの契約を結んだ[6]

ヤンキース時代

[編集]

2004年、ヤンキースでシーズン通してコンスタントに登板できたのは、バスケスだけであった。しかし、5年ぶりに200投球回を下回り、防御率は5点台に近い4.91で、好不調の差が激しかった。リーグチャンピオンシップシリーズでも第7戦で2番手で登板するもKO、チームも3勝0敗から4連敗という逆転負けを喫した。

ダイヤモンドバックス時代

[編集]

2005年1月11日、ランディ・ジョンソンとのトレードでディオナー・ナバーロブラッド・ハルシー、900万ドルと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍[7][8]。2年ぶりのナ・リーグ復帰となった。このシーズンは開幕投手を務め、ブランドン・ウェブに次ぐチーム2位の11勝を記録した。若い選手が張り切っていてやりがいがあると発言していたが、シーズン終了後トレードを志願[9]。バスケスが長い遠征の際に家族はプエルトリコに帰って行った。エクスポズ・ヤンキース時代は容易だったが、アリゾナはプエルトリコの飛行機の便が悪く移動に丸1日かかるため、2歳と1歳の子供には厳しいからだという[9]。そして、12月20日にオーランド・ヘルナンデスルイス・ビスカイーノクリス・ヤングらとの1対3のトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍[8]

ホワイトソックス時代

[編集]
ホワイトソックス時代

2006年シーズン前にワールド・ベースボール・クラシックプエルトリコ代表に選出された。2次リーグのドミニカ共和国戦において5回1失点の好投で1勝を挙げる。レギュラーシーズンは8月10日の時点で11勝6敗だったが、これ以降1勝もできず6連敗でシーズンを終えたが、オールスター以降の後半戦、ヨハン・サンタナに次ぐリーグ2位の98個奪三振を挙げ、9月以降に57奪三振を記録した[10]

2007年、開幕前の3月に翌年からの3年総額3450万ドルで契約延長した[11]。32先発すべての登板で5イニング以上投げるという抜群の安定感を披露。エクスポス時代の2001年以来となる15勝、同じく2003年以来となる200奪三振以上となる213奪三振をマーク。マーク・バーリージョン・ガーランドと共に、シーズン通して不振に陥ったチームを支えた。

ホワイトソックス退団後

[編集]
2010年

2008年12月4日に、ブーン・ローガンと共に、タイラー・フラワーズブレント・リリブリッジジョン・ギルモアサントス・ロドリゲスらとの交換でアトランタ・ブレーブスに移籍。

2009年は自己最高となる防御率2.87(リーグ6位)の成績を残した。12月23日、メルキー・カブレラマイケル・ダンアローディス・ビスカイーノとの交換トレードでブーン・ローガンと共にニューヨーク・ヤンキースに移籍。6年ぶりの復帰となった。

2010年、6年前と同様に好不調の差が激しく、投球回も200イニングを下回ったり、先発から外され救援に回ったりした。ポストシーズンからのロースターからも外れた。12月2日にフロリダ・マーリンズと1年700万ドルで契約する。

2011年、8月30日に通算2500奪三振を達成。後半戦は29イニング連続無失点を記録する好調で、9月には月間MVPを受賞した。

2012年はどこのチームにも所属せず、母国プエルトリコ・ウィンターリーグポンセ・ライオンズでプレー。

2013年第3回WBCプエルトリコ代表に招集されていたが、右ひざの故障により辞退。

2014年4月にMLB選手会の国際部門スペシャルアシスタントに就任。

国際大会での活躍

[編集]

第1回大会で1勝、第2回大会で2勝を挙げ、第2回WBC終了時点での通算成績で、松坂大輔の6勝に次ぐ歴代単独2位の3勝(0敗)を記録している。2大会連続で勝ち星を記録しているのは、第2回WBC終了時点で松坂とバスケスの二人だけである。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1998 MON 33 32 0 0 0 5 15 0 -- .250 764 172.1 196 31 68 2 11 139 2 0 121 116 6.06 1.53
1999 26 26 3 1 1 9 8 0 0 .529 667 154.2 154 20 52 4 4 113 2 0 98 86 5.00 1.33
2000 33 33 2 1 0 11 9 0 0 .550 945 217.2 247 24 61 10 5 196 3 0 104 98 4.05 1.42
2001 32 32 5 3 2 16 11 0 0 .593 898 223.2 197 24 44 4 3 208 3 1 92 85 3.42 1.08
2002 34 34 2 0 2 10 13 0 0 .435 971 230.1 243 28 49 6 4 179 3 0 111 100 3.91 1.27
2003 34 34 4 1 2 13 12 0 0 .520 938 230.2 198 28 57 5 4 241 11 1 93 83 3.24 1.11
2004 NYY 32 32 0 0 0 14 10 0 0 .583 849 198.0 195 33 60 3 11 150 12 2 114 108 4.91 1.29
2005 ARI 33 33 3 1 3 11 15 0 0 .423 904 215.2 223 35 46 4 5 192 7 0 112 106 4.42 1.25
2006 CWS 33 32 1 0 0 11 12 0 0 .478 872 202.2 206 23 56 2 15 184 7 0 116 109 4.84 1.29
2007 32 32 2 0 1 15 8 0 0 .652 882 216.2 197 29 50 2 7 213 5 0 95 90 3.74 1.14
2008 33 33 1 0 0 12 16 0 0 .429 890 208.1 214 25 61 2 6 200 2 0 113 108 4.67 1.32
2009 ATL 32 32 3 0 1 15 10 0 0 .600 874 219.1 181 20 44 2 4 238 6 0 75 70 2.87 1.03
2010 NYY 31 26 0 0 0 10 10 0 1 .500 683 157.1 155 32 65 4 7 121 8 0 96 93 5.32 1.40
2011 FLA 32 32 2 1 2 13 11 0 0 .542 798 192.2 178 21 50 8 2 162 5 0 91 79 3.69 1.18
MLB:13年 450 443 28 8 12 165 160 0 1 .508 11935 2840.0 2784 373 763 58 88 2536 76 4 1431 1331 4.22 1.25
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注

[編集]
  1. ^ Javier Vazquez Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2012年1月12日閲覧。
  2. ^ Wagner, John (June 8, 1999). “Mud Hens lose 2 to retirement, game to Ottawa” (英語). The Blade: p. 34. https://news.google.co.jp/newspapers?id=CjExAAAAIBAJ&sjid=ogMEAAAAIBAJ&pg=1477,2714209&dq=javier-vazquez+ottawa&hl=en 2010年3月3日閲覧。 
  3. ^ a b 「JAVIER VAZQUEZ ハビアー・バスケス [エクスポズ]」『月刊メジャー・リーグ11月号増刊 大リーグ・オールスター来日観戦ガイド』 ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08626-11、58頁。
  4. ^ Montreal (AP) (September 19, 2001). “Expos' Vazquez out for season” (英語). Kentucky New Era: p. B2. https://news.google.co.jp/newspapers?id=rOgrAAAAIBAJ&sjid=wQUGAAAAIBAJ&pg=6104,7896753&dq=javier-v%C3%A1zquez&hl=en 2010年3月3日閲覧。 
  5. ^ 2003 Career Highlights:Javier Vazquez” (英語). MLB.com. 2008年3月19日閲覧。
  6. ^ Javier Vazquez Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月6日閲覧。
  7. ^ 「ランディ・ジョンソン[ヤンキース]/“41歳の若者”が挑む大舞台」『月刊メジャー・リーグ』2005年3月号、ベースボール・マガジン社2005年雑誌コード08625-3、8-9頁。
  8. ^ a b Javier Vazquez Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月6日閲覧。
  9. ^ a b 「各球団マンスリー・リポート」『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボールマガジン社、2006年雑誌 08625-1、50頁。
  10. ^ 2006 Career Highlights” (英語). MLB.com. 2008年9月6日閲覧。
  11. ^ Stark, Jayson (March 8, 2007). “Vazquez, White Sox agree to $34.5M extenstion” (英語). ESPN.com. 2010年3月3日閲覧。

外部リンク

[編集]