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ハセパーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハセパーク(ヒキゾメ)
品種 サラブレッド系種
性別
毛色 鹿毛
生誕 1933年
死没 不明
プライオリーパーク
ギーキング
生国 日本青森県七戸町
生産者 盛田牧場
馬主 門倉恒雄
調教師 金者斤奉
競走成績
生涯成績 37戦8勝
勝ち鞍
八大競走 帝室御賞典 (春) 1938年
重賞 五歳馬特別 1937年
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ハセパーク1933年 - ?)とは日本競走馬である。1938年の第2回帝室御賞典 (春)に優勝した。

経歴[編集]

1936年5月に横浜競馬場の新呼馬でデビューした。当初はヒキゾメという馬名で走り、同年の秋季東京開催からハセパークに改名している[1]。翌年3月の中山のレースで初勝利を挙げると、連勝で重賞・五歳馬特別を制した[1]。秋には第1回天皇賞 (秋)(当時の名称は帝室御賞典)に出走するが、8頭中7番人気で8着であった[2]

1938年、6歳春になってから急激に力をつけ、春の帝室御賞典までに4勝をあげ、本番ではヒサトモらを抑えて1番人気に支持された。レースでは第3コーナー過ぎから先頭に立ち、そのまま押し切るという横綱相撲で優勝した。騎手調教師兼任の金者斤奉[2]。タイム2.53.1はレコードであり、この時の売り上げは330,760円にのぼった[3]

しかし、次に出走した目黒記念で6着に敗れて以降は尻すぼみの成績になり、8歳となる1940年まで走ったが良い成績は残せなかった[4]

血統は牝系に軽半種、サラブレッド系種アングロアラブアラブ系種)を含んでいたので種牡馬としての価値は低かったと考えられる。1940年春季を最後に登録を抹消、乗馬になったとされるが詳細はわかっていない[5]

血統表[編集]

ハセパーク血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ストックウェル系エクリプス系
[§ 2]

*プライオリーパーク
Priory Park
1922 鹿毛
父の父
Rocksavage
1915
Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Manuka Eager
Sempronia
父の母
Chatham
1908 鹿毛
Darley Dale St.Simon
Ismay
Coronation Day Ermak
Farceuse

サラ系 ギーキング

1926 鹿毛
*ゼヴァイキング
The Viking
1913 黒鹿毛
Dark Ronald Bay Ronald
Darkie
Bokaal St.Serf
Kissing Cup
母の母
サラ系 雅芳
1920
*ガロン Gallinule
Flair
軽半 ハツヒメ *セントフヲスチノ
軽半 第二富士越
母系(F-No.) 富士越系(FN:ntb) [§ 3]
5代内の近親交配 St.Simon4.5x5=12.5% Isonomy5x5=6.25%
出典
  1. ^ [6][7][8]
  2. ^ [6]
  3. ^ [6]


母ギーキング、祖母雅芳はかつての分類では「内洋」となる[7]。 牝祖にあたる五代母・富士越は中半血種。その父は第六スプーネーだが、母は「詳細不明の中半血種」とのみ伝わる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 岡田(1964) p.253
  2. ^ a b サンケイスポーツ(2014) p.16
  3. ^ 日本中央競馬会総務部調査課(1970) pp.419-421
  4. ^ 競馬フアン編輯部(1940) p.2
  5. ^ 日本競馬会(1941) p.175
  6. ^ a b c 凪的電脳賽馬-ハセパーク”. 2023年4月19日閲覧。
  7. ^ a b 日本競馬会(1938) p.30
  8. ^ 軽種馬登録協会(1958) p.65

参考資料[編集]

  • 岡田光一郎『名牝の系譜』中央競馬サービスセンター、1964年。 
  • 軽種馬登録協会 編『サラブレッド系種血統書 第1巻』軽種馬登録協会、1958年。 
  • 競馬フアン編輯部 編『競馬成績表 昭和15年 春季』黎明社、1940年。 
  • 日本競馬会 編『競馬成績書 昭和12年春季』日本競馬会、1938年。 
  • 日本競馬会 編『登録馬名簿 昭和16年1月20日現在』日本競馬会、1941年2月。 
  • 日本中央競馬会総務部調査課 編『日本競馬史 第5巻』日本中央競馬会、1970年。 
  • 『天皇賞全史』サンケイスポーツ、2014年11月。 
  • 『天皇賞史I』 (フジテレビ製作、ポニーキャニオン販売)、1995年。