ハインリヒ4世・ロイス
表示
ハインリヒ4世・ロイス Heinrich IV. Reuß | |
---|---|
ロイス家家長 | |
車椅子に乗ったハインリヒ4世、2011年のオットー・フォン・ハプスブルク葬儀参列時の姿 | |
在位 | 1962年 - 2012年 |
出生 |
1919年10月26日 オーストリア、エルンストブルン |
死去 |
2012年6月20日(92歳没) オーストリア、エルンストブルン |
配偶者 | マリー・ルイーゼ・ツー・ザルム=ホルストマル |
子女 |
ハインリヒ14世 ヨハネッタ カロリーネ エスペランツェ |
家名 | ロイス=ケストリッツ家(中子系) |
父親 | ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツ |
母親 | アントニア・ツー・カステル=カステル |
ハインリヒ4世・プリンツ・ロイス(Heinrich IV. Prinz Reuß, 1919年10月26日 - 2012年6月20日[1])は、ドイツ・オーストリアの地主、資産家。旧諸侯ロイス家の家長(1962年 - 2012年)として、ロイス侯(Fürst Reuß)を称した[2]。
経歴
[編集]弟系ロイス侯国侯家の(統治者身分でない)分流ロイス=ケストリッツ家の当主ハインリヒ39世と、その妻の伯爵令嬢アントニア・ツー・カステル=カステル(1896年 - 1971年)の間の第1子、長男。生涯独身を通した弟系ロイス侯世子ハインリヒ45世の後継者に指名されたが、45世の個人財産は又従兄で45世の養子となったハインリヒ1世に渡ると取り決められた。1945年、45世がドイツ東部を占領した赤軍に拘束され消息不明となり、1962年に西ドイツの裁判所がその死亡宣告を出すと、兄系・弟系ともに血脈の絶えたロイス侯家全体の家長となった。家族が代々所有するニーダーエスターライヒ州のエルンストブルン城で生涯を過ごした。
子女
[編集]1954年6月10日ファーラー城で、右派政治家のオットー・ツー・ザルム=ホルストマル侯爵の末娘マリー・ルイーゼ(1918年 - 2015年)と結婚し、間に4人の子をもうけた。
- ハインリヒ14世(1955年 - ) - ロイス侯家家長、1995年男爵令嬢ヨハンナ・ライツ・フォン・フレンツ[3]と結婚
- アンナ・エリーザベト・ヨハネッタ(1957年 - )
- カロリーネ・アーデルマ・ヘンリエッテ・アンナ・エリーザベト(1959年 - ) - 1991年カール・フィリップ・フォン・ホーエンビューエル=ホイフラー・ツー・ラーゲン男爵と結婚
- エスペランツェ・レナータ・アンナ・エリーザベト・エレオノーレ(1962年 - ) - 1989年ヨハネス・キンスキー伯爵[4]と結婚
引用・脚注
[編集]- ^ Royal News of 2012, Section I Archived 2013-01-12 at the Wayback Machine.
- ^ “Der letzte Fürst Reuß ist mit fast 93 Jahren verstorben – Gera | OTZ” (German). Gera.otz.de. 2012年6月30日閲覧。
- ^ The peerage : Person Page 11136
- ^ リヒテンシュタイン侯夫人マリーの甥。
|
|
|
|
|